いつも自転車で通りがかるおうち。大きな庭と立派な垣根。
 咲いているのは季節の花で、水をやっているのはその家の女の子。
 あたしと同じ年頃の、白い、しろい、女の子。
 彼女とあたしは言葉を交わしたことはないけれど、あたしが通るといつも微笑む。あたしと目が合うからだ。あたしが、彼女を見ているからだ、いつも。

 今は日差しの強すぎる夏で、暑さにとにかくうんざりして、でもあたしは同じ道を通る。あの子に会いたいから、同じ道を通る。
 あの子の家は、垣根に植わる何本もの向日葵は、遠くからもよく見える。
 向日葵はあまりに高くて、彼女を隠してしまうほどに大きくて、あたしは嫌いだった。
 あの子の家の少し手前から、あたしは自転車の速度を少し落とす。
 垣根の端っこから、あの子がホースで水をまいているのが見えた。
 きっとここが彼女が一番良く見える場所だ。後は向日葵に遮られてしまう。彼女の白い肌も、被った帽子が落とす影も、サンダルに乗る細い足の指も、合うはずの視線も。
 だからあたしは唇を噛み締めてペダルを漕ぐ。向日葵を全部切り倒したいと思いながら、一気に通り過ぎてる。
 でも、今日は、急ブレーキをかけて、足を地面についた。
 目の前に、向日葵の隙間から飛び出す、鋭いホースの水。
「最近いつも、すぐに行っちゃうからだよ」
 全身に水を浴びかけたあたしが面食らって振り向くと、彼女が向日葵のすぐ向こうで笑っていた。初めて聞いた声。いつもの微笑みとは違う、少しいじわるな笑み。
「……だ、だって」
 あたしはなんと答えて良いかわからなくて、自転車のハンドルを手が白むくらい強く握った。でも彼女からは目が離せなかった。向日葵の葉と茎で分割された彼女の顔と身体。
 彼女はホースの水を、どぽどぽと向日葵の葉っぱに落とした。流れ落ちた水が彼女のワンピースを少し濡らす。
「邪魔なんだよね、向日葵が」
 彼女があたしを見透かしているのか、それとも彼女も同じことを思っているのか、それもあたしにはわからなかった。
 家の中から、水遣りは終わったの、という女の人の声がする。きっと彼女のお母さん。
 ちょっと待って、と彼女は声を張り上げて、それから向日葵をかき分ける。
 向日葵の影が彼女に落ちるけれど、でも彼女の姿が分割されずにあたしの視界に現れる。
「ねえ、ほら、いそいでよ」
「え?」
 ホースの水は出しっぱなしで、葉っぱに跳ね返ってあたしの顔にも飛んでくる。
「わかるでしょう、ばか」
 彼女は少し身を乗り出してくる。
 ばかなあたしは、なにも考えられず、ただ吸い寄せられるように強く強く目をつぶって、向日葵の影を被る彼女に、向日葵の陰で、キスをした。
 次の瞬間に自分がなにをしたのか知って身体中から血の気が引いたけれど、再び見た彼女の顔は、満足げに笑っていた。
 彼女を呼ぶお母さんの声。返事をして踵を返す彼女。一気に自転車のペダルを踏むあたし。
 心臓が鳴りすぎて止まりそうで、でもあたしは、明日もこの道を通る。


〈了〉


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