私は狂人です。私は狂人です。私は狂人です。
  そう繰り返していれば本当の狂人になれるのではないかと思って、私はこの言葉を口にします、文字にします。
  一人部屋で幾度も呟き、ノートの隅に何度も書き殴り、パソコンのテキストファイルに打ち込んで、携帯電話のボタンは数え切れないほど押しました。
  けれど私は狂人にはなれない。なれない。
  私が狂人に憧れるのは、狂気の世界そのものに憧れるからではないのです。
  私はただ芸術を生み出したいのです。常人では生み出せぬ芸術を生み出したいのです。
  私は狂人です、と呟きながら絵を描きました。
  出来上がったそれはめちゃくちゃに色の塗りたくられた、狂人を気取った凡人の鼻持ちならないらくがきでした。
  私は狂人です、と呟きながら詩を書きました。
  出来上がったそれは意味のわからぬ言葉が一見でたらめに、それでいて凡人の殻を破りきれない規則性を持って並んでいました。
  私は狂人です、と呟きながら小説を書きました。
  見られたものではありませんでした。
  絶望すれば狂人になれるでしょうか。
  私は狂人です。


 少女は小さなノートにそこまで書くと、溜息を吐いてシャープペンシルを置いた。たった今自分が書いたものを読み返してみる。
 それはやはり、狂気に憧れる若者が書いた見るに耐えない凡庸な文面であった。
 少女が時計を見上げると、約束の時間が迫っていた。友人達と遊びに出かける約束があるのだ。少女は椅子から立ち上がり、着てゆく服を見繕うためにクローゼットに向かった。
 思い切り奇抜な格好をし、思い切り奇抜な化粧をすれば、狂人に見えるかもしれない、などと考えるのだが、見えるだけでは駄目なのだ、本質的に狂人にならなければ意味がないのだと、安易に走らぬよう自分を戒める。
 本当は周りから奇異の目で見られる勇気などないだけであるし、少女も心の奥底ではそれに気付いていて、いっそう自分の矮小さを恥じるのである。
 少女は結局無難な服を着、無難な化粧をした。せめてニーソックスは履いたがそれだけであった。
 鏡の中の自分はまるで輝きもなく、素晴らしい芸術など到底生み出し得ない小娘だった。
 少女は先ほどのノートを鞄に入れた。いつかこういった文字の数々が友人達に知られ、汚物を見るような目で見られる日が来るのではないかと怯えながら、心のどこかではこんな自分は非凡であると思ってその友人達を見下していた。
 彼女はぐらぐらと不安定なプライドとコンプレックスをアンビヴァレントに抱える、とても平凡な思春期の少女であった。
「私は狂人です」
 小さな小さな声で呟きながら、少女は家を出た。
 その日は綺麗な月夜で、少女のブーツは緑色だった。




筋肉少女帯『世界の果て〜江戸川乱歩に〜』より
オチを歌詞とモロにリンクさせているので参考までに。

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