【Chapter 5】

「お姉さん」
 酒場を出、ウッドデッキ下りるレダーナに声が掛かる。幼い声だ。レダーナが振り向くと、浅黒い肌の少年が、レダーナの馬を引いて近づいて来ていた。
「馬に水をやっておいたよ。あとブラシも。乗って行くの?」
 レダーナは少年の隣まで下りきってから、まだ扉のところにいるキャットを仰ぎ見て、無言で問う。
「すぐそこだよ」
 キャットがそう言って呆れたように鼻から息を吐いたので、レダーナはポケットから取り出した五十セント硬貨を少年に与えた。
「繋いでおいてくれ」
 少年は硬貨を握って嬉しそうに破顔し頷く。彼が馬を方向転換させる間に、キャットもデッキを下りて、馬の尻を撫でた。つやつやとした毛並みの、額に白の星がある黒馬だ。
「いい馬だ。それにいい鞍だ。金持ちだな」
 嫌味の含まれた物言いにもレダーナは返事をしなかった。その左目は通りを見渡している。人通りはあるが、どこか活力に欠けるその風景を。
 少年が立ち止まって馬の向こうから身を乗り出し、キャットは引き留める意図はないと馬を掌で軽く叩いて離れた。
「どうしたらカネなんて貯まる?」
 キャットは肩をすくめ、皮肉っぽく言葉を重ねる。レダーナは依然周囲を眺めるままに答える。
「頭を使うこと」
 そして、ようやく視線だけをキャットに向ける。
「それから人を殺すことだ」
 その口元だけの薄い笑みと平坦な口調に、キャットは眉を寄せた。
「用心棒じゃ儲からないって言ってんのかい」
「お前が今カネを充分持っていないならそうなんだろう。店はどこだ」
 キャットは地面を蹴り砂を舞わせると、大股で歩き始める。レダーナは一度酒場を振り返ってから、ゆったりとした足取りでその後を追う。


 小さな銃器店のデッキを、キャットとレダーナが上る。『OPEN』の札を指で弾いて、キャットは扉を開け中へ入った。レダーナは店の外観を一瞥してから続く。店の窓は埃で曇っている。
「ドナ」
 奥のカウンターへ向かって進みながら、キャットが呼びかけた。カウンターの向こうには、一人の女が座っているように見える。わりあい美しい女だ。
「いらっしゃい。あら、エンジェル・ヘアね」
 ブルネットを結い上げたその女、ドナは、キャットに気怠げな微笑で答え、そしてその後ろのレダーナを見て、笑みを深めた。キャットが怪訝そうに振り向くと、レダーナも――かろうじて驚きが読み取れる程度に――左の眉を上げている。
「なんだ?」
「昨日買って貰ったのよ」
 キャットがドナに尋ねると、彼女はほつれ毛を耳にかけながら答えた。
「銃をか?」
「私をよ」
 それを聞き、あぁ、とキャットは納得したような相槌を打った。ドナは銃器店の店主でもあり、娼婦でもあった。
「昨晩はありがとう」
 キャットの隣に立ったレダーナに向けて、ドナが微笑む。レダーナは軽く帽子を浮かせて挨拶をした。
「じゃあこいつはドナのことを知ってるのか」
 キャットはカウンターに両肘を置いてもたれかかる。
「もちろんよ。文句も言われなかったし、なにも聞かれなかったわ」
 ドナの答えにキャットは芝居がかった様子で何度か頷きながら、レダーナをちらりと見上げた。レダーナも横目にキャットを見下ろす。
「それで、今日はなにがご入用?」
「銃をいくつか見せてくれ」
 ドナが両手を打ち合わせたので、二人は視線を外す。それからレダーナが、ドナの脇にある拳銃のショーケースを指差した。
「いいわ、好きに見て」
 カウンターの下から鍵を取り出し、ドナは壁に取り付けられたケースの前に移動した。椅子に座ったような彼女の高さは変わらず、漕ぐように腕が動く。ドナの両脚は腿の付け根から完全になく、車椅子に乗っているのだ。
「上等なものを使っている」
 ケースを開けるドナの後ろに回りながら、レダーナが車椅子に目線を落として言う。
「あるといいものよ。小回りはきかないけど。店の中でいちいち」ドナは一旦ケースの扉から手を離し、車椅子の横に下げている木製の二つの補助具を持ち上げてみせた。「両手が塞がってると不便で仕方ないもの」
 レダーナは微かに頷いた。彼女はドナが取手型の補助具を掴んだ両手で器用に歩き、酒場二階の部屋に訪ねてきたのを知っているからだ。
「どうぞ」
 開いたショーケースの前から退き、ドナが言った。レダーナは彼女と入れ替わって立ち、そこに掛けられた銃を眺める。深紅の布張りの棚に飾られる、何挺もの木と鉄。
 コルトのS.A.A.は銃身7.5が二挺、5.5が三挺、4.75が一挺、S&Wのモデル3はスコーフィールドにラッシャン、そしてレミントンのM1875が各一挺ずつ。パーカッション式(雷管式)のものはなかったが、コルトM1849ポケットだけがショーケースの左下隅に飾ってあった。
 レダーナはしばしそれを見つめ、しかし手には取らないまま視線をドナに流した。ドナは唇に美しい三日月を描いて微笑んだ。
「私が小娘の時分に使ってたのよ」
「戦争でだろ?」
 キャットがカウンターにもたれたまま合いの手を入れた。「ええ」とドナは答える。
「早いうちに大砲でふっ飛ばされて、たいして活躍できなかったけど」
 レダーナは会話を交わす二人からショーケースに視線を戻し、S.A.A.の4.75インチモデルを手に取る。二、三回銃そのものを回転させてから、親指でシリンダーを空回しする。そして銃身を握ると、グリップをキャットのほうへ差し出した。
「……なんのつもりだよ」
 キャットは丸めていた背筋を伸ばし、口元を下に歪めて言った。
「お前用だ」
「なんだって!」
 はやばやと手渡すのをやめたレダーナは、その銃をカウンターに置きながら答えた。キャットが噛み付く。
「お前あたしの銃を見なかったのか? え? 腰のこいつが今も見えないのか? その左目も役立たずなのか?」
「早撃ちが自慢なんだろう。短いほうが早い。照星も削ってやってくれ」
 掴みかからんばかりのキャットを意にも介さず、レダーナはドナに言う。ドナは少し呆れたように眉を上げて笑うと、置かれた銃を取った。
「ふざけるのも大概にしろよ、なんであたしがお前に面倒見られなきゃならない?」
 キャットは依然怒りのため顔を朱に染めて、レダーナに詰め寄る。レダーナはまったく取り合わない。昨日と同じだった。
「それから弾を一箱」
 レダーナはホルスターの銃を半分まで抜いて見せ、自分のためのものだと暗に示しながら、ドナに告げる。ドナがカウンターの下から弾薬の入った紙箱を取り出して置く。
 キャットは歯を食いしばり、隙間から荒い呼吸を繰り返す。しかし制御しきれなくなった怒りが溢れ出てしまう前に、開いた店のドアにキャットの目と意識は移った。
 ドアを開けたのは茶色いズボンをサスペンダーで吊って、サンバイザーを被り、丸眼鏡を掛けた女だ。肩で息をしている。
「キャットさん」
 女が一度唾液を飲み込むように喉を鳴らし、キャットを見つけて頷いた。
「ちょっと来て下さい。ご相談が」
 キャットは少し眉を歪めてから、ドナとレダーナを順に見遣るが、女に「わかった」と答えて入り口へ向かう。
「エンジェル」
 キャットが扉の向こうに消える直前に、ドナが呼び止める。キャットは少しのためらいの後に立ち止まり、ドナを振り返った。
「一応、仕立てておくから。いると思ったら取りに来てね」
 屈辱の銃を手で掲げて見せるドナの言葉に、キャットは苦い顔で帽子の位置を直し、結局否とも応とも答えずに店を後にした。キャットを呼びに来た女も、会釈をしてから早足で立ち去る。
「銀行のひとよ」
 扉が閉まってから、弾薬の箱を開けるレダーナにドナが言う。
「銀行はどこにある」
「この店を出て右」
 レダーナは頷き、マントを大きく捲って肩に掛け、取り出した弾薬をひとつずつ腰のガンベルトに差してゆく。黒いベルトに鈍い金の彩り。ベルトの空きをすべて埋めると静かにマントを戻し、軽く襟元を整える。ドナはただじっとその動作と姿を見つめていた。
「全部でいくらだ」
「四十ドルね」
 ドナが指を四本立てて、レダーナはベストの内側から、たたまれ皺のよった紙幣を取り出す。数えて四枚、四本指の下に差し出す。ドナは手首を返してそれを受け取る。
「もしエンジェルが取りに来たとして。彼女も払うと言ったらどうするの?」
 受け取った手をそのままレジスターに伸ばし、ドナは紙幣を引き出しに入れる。
「そのときは受け取ればいい。私からの支払いはあなたへのチップだ」
 ドナはそれを聞いて、顎を引いて首をわずかに傾け、艶っぽく微笑む。
「この町にはまだしばらくいるの?」
「なんとも言えない」
「よかったら、女が欲しいときはまた呼んでちょうだい」
 カウンターに手を置いてレダーナが答え、そこに自分の手を重ねながらドナが囁いた。レダーナは目を細めて彼女を見、唇の片端で笑い、重ねられた手から人差し指を抜いて、彼女の指を数度絡めるように撫でた。それ以上はなにも答えなかった。
 カウンターから手を下ろし、挨拶がわりに少し顔を伏せてから、レダーナも扉へ向かう。板張りの床を踏む重いブーツの音、踵で鳴る拍車の音、開いて閉まる扉の音、扉越しで濁ったデッキを下りる音。すべての音が遠のいたあと、ドナは頬杖をつき、売ったばかりの銃を手にとって、微笑みながらそれを眺めていた。



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夕陽の決斗/黄金ガンマン
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