【Chapter 13】

 明るいはずの空は薄鈍色の雲に埋まり、響くのは風の音だけで、町はしんと息を潜める。風によって巻き起こされる膜のような砂塵が黄土色の大通りを流れて横切る。
 その道を、砂を重く鳴らすブーツの靴底と澄んだ音を立てる踵の拍車が踏み刻む。揺れる上着の裾から腰のS&Wを覗かせ、肩には鞍袋を掛けた中年の女が進む。眼差しは真っ直ぐ前を、歩みは広い道の真ん中を。ジュディス・ネックの名とともに、女はひとり進む。
 道に面した保安官事務所のデッキで、ロッキングチェアに座るノウンが微笑みながらそれを見ている。
 ノウンの前を通り過ぎ、ジュディスは大通りつきあたりの屋敷の前に立った。屋敷の全景を一度見上げ、そして扉に向かって呼び叫ぶ。
「フェルネス!」髪を煽る風に抗うように声を張り上げる。「フェルネス・アトキンズ!」
 町の沈黙の核であった屋敷の扉がゆっくりと軋んで開く。黒髪の奥に大きな三白眼を、首元に赤い宝石を輝かせるフェルネス・アトキンズが、暗く影に沈む怒りの気配を伴って姿を現す。
 フェルネスはジュディスを正面から睨みつけるまま、道へ下り相対する場所に立った。ジュディスはそれを待って、肩の鞍袋を白い右手で掴み大きく放り投げる。中身の詰まった革の袋がどさりとフェルネスの足元へ落ちる。
「この五年でお前から受け取ったカネだ。どう数えたって足りるだけ入ってる」
 フェルネスの視線は自らの足元へ、次にジュディスの何不自由なく動く右手へ、最後にその顔へと移る。震える唇が開かれる。
「五年……五年僕を欺いてたのか。なんのためだJ、僕を嘲笑ってたのか、それとも寝首をかく隙でも狙ってたのか」
「違う」ジュディスは相手へ届かせる程度に張った、しかしそれでも静かな声で返した。「お前が怖かったからだ」
 フェルネスの言葉と動きと表情のなにもかもが一度凍って虚ろに消える。「怖かった?」肩が揺れる。「はは」引き攣った唇から音が漏れる。「ははは」
 笑いの音だけを模していた声が徐々に高らかな哄笑に変わってゆく。こぼれんばかりに見開かれた血走る目がジュディスを凝視し、肩もしばらく弾み続け、そしてその笑い声は絶叫となる。
「お前は!」歪めた人差し指を突きつける。「ジュディス・ネックは臆病風に吹かれただけで捨てたのか! 五年も! 誇りもなにもかも! 全部!」
 ジュディスは眉ひとつ動かさず、視線も逸らさず、ただ短く答える。
「そうだ」
「僕が怖くて嘘を吐いて僕の足元に這いつくばった?」
「そうだ」
 事実だけを告げるようなジュディスの乾いた声に、フェルネスは目を伏せ空を仰いで、再び音の形だけで笑った。「ははは」両手で顔を覆い、背中を丸めるほどに俯く。手を滑らせ髪を掻きあげる。掠れて絡む声を喉から漏らす。「殺しておけばよかった」
 次の瞬間には黒髪を大きく振り乱し、腕で宙を裂いて、あらん限りの憤怒を込めた叫びをジュディスに叩きつける。
「殺しておけばよかった、殺しておけばよかったぞ、五年前に、もっと前に! お前がジュディス・ネックであったうちにだ!」
 しかしジュディスはやはりひとつの揺らぎも見せずに、フェルネスの瞳を真正面から見返し続けながら、左手で金の懐中時計を取り出した。蓋の閉じたそれを差し出すように掲げる。
「こいつはお前への詫びだ」上着の右側の裾をベルトに押し込む。あらわになるホルスターの、つまりはそこに収まるS&Wの横に右手を垂らす。「私は十秒後に銃を抜く。お前は好きにしろ」
 フェルネスの眉が小さく跳ねる。片目が歪んでジュディスの手元を見る。再び顔。危うく光る三白眼と狼色の鋭い双眸が交わる。
 唇を引き結び、フェルネスも上着の裾を捲って背中側に押し込んだ。コルト・キャバルリーの収まるホルスターの横に利き手を垂らす。
 少し離れた場所ではロッキングチェアを揺らすノウンが唇をむずつかせるような笑みでそれを見物している。
 ぱきんと澄んだ音を立て、ジュディスの指が懐中時計の蓋を開いた。ジュディスもフェルネスも文字盤は見ていない、声に出して数を数えることもしない、秒針だけが時間を刻む。
 互いに一度の瞬きもなく、きっかり十秒。
 かつての早撃ち賞金稼ぎ二人の右手は、ほとんど同時に銃を抜く。
 ひとつに聞こえるほどに重なる銃声。
 弾かれたように銃を落とし、ジュディスは右肩を押さえた。苦痛に眉を寄せ膝を地につく。
 フェルネスはどこか空虚な顔つきでゆっくりと銃を握った右手を下げる。視線も下がる。わずかに震える左手が、幅広のネックレスに影を落とす。白い首を飾る黄金の輝きと宝石の赤、その赤の下から新たな赤が現れる。一筋、そして二筋、鮮血がゆっくりとフェルネスの首から胸元へと伝い落ちる。
 コルトが地面に落ちると同時に、フェルネスは口を押さえて身体を折った。口元を覆う手の隙間から真っ赤な血が溢れる。頭を揺らし、ぐらりと身を反転させて、目を大きく見開いたまま仰向けに倒れ、絶命する。
「フェルネス!」
 そうなってすぐ、屋敷の扉からリン・バガアスが悲痛な叫び声を上げて飛び出して来る。
「フェルネス……!」
 リン・バガアスはフェルネスの死体に駆け寄り、その身体を揺する。血に濡れる首を両手で包み胸に縋る。大きな挙動で顔を上げ、目を剥いて膝立ちのジュディスを睨む。
 憎悪に歯を食いしばるリン・バガアスが自分の銃を抜いた。武器を失っているジュディスは右肩を押さえたまま険しい顔で目を瞑る。
 一発の銃声が響き、リン・バガアスの身体が横に崩れた。倒れてなおも銃を持ち上げようともがくが、結局手と頭を地に落として事切れる。
 目を開けたジュディスが振り返ると、微かに硝煙燻る51ネービーを軽やかに回してホルスターに戻すノウンが近づいて来ていた。
 ノウンはジュディスの隣に膝をついて目線を合わせる。ジュディスは押さえた右の肩から腕を一瞥し、痛みに掠れる声とともに首を振る。
「今度こそ動かなくなった」
「いやぁ」ノウンはその顔に、やはり愛嬌をたっぷり載せた笑みを浮かべる。「それじゃ、あのジュディス・ネックの決闘を観たのはあたしが最初で最後ってことか。得したよ」
 ジュディスが片眉を上げる。そして初めて、少しだけ頬を緩める。一度顔を伏せる。再びノウンを見る。唇の片端を、頬に大きく食い込ませて笑う。
 ノウンもまた白い歯を覗かせる悪戯めかした楽しげな笑顔を返し、二人は立ち上がった。
 ノウンは思いついたようにジュディスの腰に両手を伸ばし、ガンベルトを掴んで、ホルスターを左側に回す。怪訝そうに眉を弓型にするジュディスの左腕を軽く叩く。
「弟子に教えるだけなら片腕でもいけるでしょ」
「どういうことだ」
「まぁちょっと見て」
 屋敷の屋根にある風見鶏を指差し、銃を抜いたノウンは腕を高くに伸ばして狙いをつける。撃鉄を起こす音と銃声が一定の間隔で五発分、辺りに木霊する。しかし風見鶏は風にわずかに揺れるだけで、ひとつの傷も負わなかった。
「なんともさ」寄せた眉の下で目を丸くするジュディスに、ノウンは自分が作った死体を一瞥してからおどけた苦笑いで肩をすくめてみせる。「まぐれ当たりってすごいよね」
 ジュディスは言葉を失った様子で呆然と薄く口を開き、無傷の風見鶏を見つめたまま緩やかにかぶりを振る。ノウンが悪びれずに続ける。
「でもあんたが教えてくれりゃ、あたしはきっと腕っ利きでひとに知られた存在になるよ」
 呆れ笑って息を吐いてジュディスは独り言ちる。
「なんてやつだ」
 数歩歩き、落とした自分のS&Wを拾う。位置の変えられたホルスターに合わせて銃を持ち変えながら、ジュディスはフェルネスの屍を瞬きひとつ分だけ見つめた。あとは手元を見て銃を収め、屋敷と死体に背を向ける。その隣にノウンも並ぶ。
「まずはあんたに良い眼鏡を作らなきゃ」
 ノウンが明るい声で言う。
「眼鏡は好かん、まだ見える」
 ジュディスが不機嫌な声で抗う。
「だから痩せ我慢はよくないって」
 曇り空の下、風だけが吹くベアツリーの大通り。ゆっくりと遠ざかる、ただ二つきりの影。



〈FINE〉



星空のガンマン
Una Pistola per Judith

――Un film di Alessia Vecchio


cast
ノウン
      …リビー・オドネル
ジュディス・ネック(ジョディ/J)
      …グロリア・レンナー
フェルネス・アトキンズ
      …ジータ・バッソ
ローラ
      …ベッタ・トッティ
リン・バガアス
      …ウェンディ・ダッドリー
モノー
      …トマサ・ビジャレホ


すべての人物は架空の存在です。


あとがき



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