〈85年5月同日 W-14ストリート・WBI事務所・ヴァレア=カークの私室〉

 引き金通りに出掛けられるだけの身支度を整えたビレンが、ヴァレアの部屋の扉をノックした。
「ヴァレア、私だ」
 呼びかけに対して中から少女の声が返り、ぱたぱたとした少し慌しい足音が近づいて、扉が開く。
「ビレン! どうしたの?」
 ドアから覗いたヴァレアのビレンを見上げる顔は嬉しげで、それでいてどこかはにかむような落ち着きのなさも含む。
 近頃見せるその独特の表情と瞳の色は、ビレン以外には向けられないものだ。そこに含まれる感情を考えて、ビレンはいつも少し複雑な思いに駆られる。
 ヴァレアが胸のうちに持つ感情がなんであるか、ビレンにも容易に想像はつく。
 プレティーンからティーンエイジャーの少女が(ヴァレアはあとひと月もすれば、ちょうどプレティーン最後の一年を迎える)、身近な年上の異性に憧れを抱くのはありすぎるほどあることだ。
 ビレンははじめ、その対象がなぜ自分なのかと思い、そして、おそらく自分が一番ヴァレアと"距離がある"からだろうという結論を出していた。
 ワルターは幼いヴァレアに忠誠を植え付けるだけの恩人であるし、またいくらなんでも年齢が離れすぎている。ビリーとの間には、ふざけあう兄妹や友人のような親しさができあがっている。ゆえに自分だけが、異性として意識しうる関係の存在だったのだろうと。
 彼女の抱くものは一種通過儀礼のような感情に過ぎず、じきに等身大の相手に巡り合えば、それは自然と消えてゆくはずだ。この段階でわざわざ破れる哀しみを味わわせる必要すらない。
 そう考えていたから、ヴァレアのふわふわと浮つくような微かな恥らいの表情を、ビレンはいつも見ないようにした。
「今、少し出てこられるかい」
「今? うん、大丈夫よ。なぁに、お買い物?」
 首を傾げるヴァレアに、ビレンは行き先を告げることをほんの少しだけ躊躇した。そのぶんだけ、ビレンはヴァレアに対して友好的になっているということだ。彼女がこの事務所へやってきた最初の一、二ヶ月の間であったら、そんな躊躇は生まれもしなかったはずなのだから。
「……いいや。引き金通りだ」
 それでもビレンは目的地を口にし、ヴァレアの顔は案の定強張った。
「……お、おと、お父さんと、お母さんのこと……?」
 ヴァレアはドアの端を強く握りながら、声を震わせる。
「違う」
 ビレンは無意味な希望を抱かせることを避けるために、即座に否定した。
「ある意味ではまったく無関係ではないけれども、君が望むようななにかではないだろう。無駄足かもしれないが、君が協力してくれることで、得られるものがあるかも知れない。そういう仕事だ」
「そう……」
 ヴァレアは俯き、失望と、そしてある種の安堵を含んだ声で呟く。
「わかった。誰が行くの?」
 しかし少女はすぐに顔をあげ、しっかりとした様子で言った。
「私とビリーだ」
「車で行くのよね? ガレージに行けばいい? すぐに仕度して行くわ」
「ああ。……すまないね」
 ビレンはつま先を階段へ向けながらも、ヴァレアのほうを見て口にする。表情は変えないが、謝罪は言葉だけのものでもなかった。
 それはヴァレアにも感じられたのか、彼女の表情が少し和らぐ。
「いいの、ごめんね、大丈夫。役に立てるといいな。ありがとう、ビレン」
 ヴァレアは微笑み、そして静かに扉を閉めた。
 ビレンはその扉をほんの数秒見つめたあと、大股に廊下を戻り、階段を下りて行った。


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