〈89年12月同日 W-14ストリート〉

 住居としての玄関である裏口へ向かうために、二人は事務所横の路地に入った。道幅はあまり広くないため、自然と前後に並ぶ形になる。ヴァレアが道を譲ったので、先を行くのはビレンだ。
「ねぇ、でもね」
 気恥ずかしいのか公園からここまでずっと黙っていたヴァレアが、唐突にそう切り出してきた。
「うん?」
 足こそ止めなかったが、壁に手を添えながらビレンは軽く振り向く。ヴァレアと目が合うと彼女は恥ずかしそうに頬を染めて視線を下方へそらした。こういったときの、このヴァレアの特別シャイな部分は、いつまでも変わらないのだろうかとビレンは思った。
「その、私ってやっぱり、ビレンから見たら子供だと思うの」
 ヴァレアの言葉に、ビレンは困ったように眉間に皺を寄せる。
「それは痛いところだ」
 顔の向きを戻し、ビレンは少し苦く答えた。出会った当初こそヴァレアはひとより幼いところもあったが、WBI事務所の一員として育ってきた現在では、むしろ一般的な同年代よりも大人びているだろう。それでも彼女はまだ十六歳で、ビレンは三十を過ぎていた。一個の人間としては対等であるという認識に切り替えたものの、女性として見た場合にやはり未成熟な感があるのは確かだし、彼の倫理がいささか苛まれることも事実だった(子供時代を見てきているのだからなおさらだ)。ヴァレアも、ビレンにそれらを抱かせる自分の立場に負い目を感じているのだろう。
 路地を抜けてから、ビレンは一度ヴァレアのほうへ向き直った。
「だが、いまさら仕方のないことだ。私自身はもう君を子供として見ていないし、そう見ないようにもする。対外的には……まぁ、なんとかなる範囲だろう」
 ビレンが苦笑交じりに答えると、ヴァレアは少しの間不安げな眼差しをしていたが、じきにはにかむように微かに笑み、顎を引いて小さく頷いた。


〈89年12月同日 W-14ストリート・WBI事務所〉

 建物の中に入り、暖房の暖かい空気にヴァレアがほっと息を吐く。
「それじゃあ、私も荷物を置いて着替えてからオフィスに行くわ」
「ああ」
 ビレンは頷き、そしてヴァレアの肩を抱き寄せてキスをした。まったく自然な恋人同士の行為として。
 ヴァレアはまだ照れを残していたが、それでもそれを受け入れる。キスそのものはわずかな時間で、しかし身を寄せているのはそれよりも少し長い。だから彼らが親密な距離から抜け出す前に、オフィスからビリーが顔を出したことも、それほど奇異なタイミングではなかった。
「おかえり」
 ビリーは一瞬眉を寄せたが、それ以外は別段表情も変えず、口元で煙草を揺らしながら言った。ビレンは顔をしかめ、ヴァレアは慌ててビレンから離れる。
「た、ただいま」
「試験どうだったんだ?」
「え? あ、ご、合格したわ」
 ヴァレアはバックパックを抱き上げ、顔を赤くして上下に首を振る。
「じ、実技のときは、ビリーの車貸してね」
「あぁ?」
「それじゃあ後で!」
 ビリーの不服そうな反応にも答えず、二人にそう残してヴァレアは階段を駆け上って行った。
 あとには、ビレンとビリーが残る。ビリーはそのままオフィスから廊下に出てきて、長く細く煙草の煙を吐き出した。
「……なんだ」
 その意図的な沈黙に、ビレンが不機嫌そうな、同時にいくらか決まりが悪そうな様子で言った。
「めんどくせぇことになりやがってと思ってるだけだ。家も職場も同じ奴とどうこうなるのは勝手だが、こじれて空気悪くされんのはごめんだぜ。こっちが迷惑する」
「うるさい、わかっている」
 ポーカーフェイスのビリーに対し、図星を突かれたビレンはあからさまに不愉快げだ。乱暴にコートを脱ぎながら、ビリーのほうへ(正確にはオフィスのほうへ)歩く。
「セックスも俺がいないときにしてくれ」
 ビリーの露骨な冗談に、ビレンはすぐ隣で足を止めて彼を睨む。
「お前がいようがいまいがここではしない! 私がその程度の分別も付かない人間だと思っているのか?」
「ジョークだ、ジョークだろ。お前、相変わらずこの手の冗談通じねぇな」
 怒気の含まれる声に対してビリーはいつものシニカルな笑みを浮かべ、手の甲で二度ビレンの肩を叩いた。ビレンは大きく溜息を吐きながら片手で顔を覆う。
「安いホテル紹介してやろうか」
「いらん。お前と鉢合わせる可能性がある場所なんぞお断りだ」
「それもそうだな。俺も嫌だ」
 ビリーは煙草のフィルターを噛み、笑いで肩を揺らす。ビレンはそんなビリーの身体を拳で押して、しかめ面のままオフィスに入った。

 変わらぬ友人があり、友人から変わった恋人がある。
 繋がりが存在するというのは幸福なことだ。

〈6〉89年12月――同志、友人、恋人。(了)

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