〈93年2月同日 W-14ストリート・WBI事務所・オフィス〉

 リサは週にニ、三日しかやって来ない。だからその日オフィスにいるのも三人だけだった。ビレンはパソコンに向かい、ビリーはコーヒーを飲みながら何部めかの新聞に目を通し、そしてヴァレアは読み終えられた新聞からスクラップを作っていた(彼らの仕事は治安絡みが多かったので、犯罪の記事が主だ)。
「お前、そういう作業好きだな」
 新聞を読む合間にビリーが言った。
「え?」
 作業の手を止め、ヴァレアは顔をあげる。
「にやにやしてた」
「うそ!」
「嘘だ」
「もう!」
 隣に来客があるので、拳を握り机を叩くジェスチャーをし、囁くような非難の声を上げる。そのやり取りにパソコンの画面を見つめたままのビレンが笑うのが視界に入って、ヴァレアは恥ずかしさで少し顔を赤くした。ビリーはいたって満足げに"にやにや"してみせる。
「にやついてたのは嘘だが、楽しそうにはしてた」
「そうかしら?」
 ビリーの言葉に、意趣返しとして若干拗ねたように素っ気なくヴァレアは答えた。だがその態度もすぐに改める。
「たぶん、新聞を触るのが好きなのよ。指先がかさかさして痺れちゃうけど、なんだか嫌いじゃないの」
「なつかしの日々の、なつかしき感触ってとこか?」
「そうね」
 ヴァレアは事務所に来てのち、何年か新聞配達のアルバイトをしていた。所員としての仕事を本格的にするようになってからはやめてしまったが、新聞に接することは、ヴァレアにとってある種の原体験なのだ。
 そんな会話が交わされるうちに客人の帰る気配がして、間もなくオフィスにワルターが現れる。
「なにか、新しい仕事ですかね」
 最初に声を掛けたのはビリーだった。新聞を大雑把にたたみ、空いているリサの椅子をワルターのほうへ押しやる。
「ああ」
 ワルターは勧められた椅子に座りながら、言葉少なに書類を差し出す。コーヒーのカップを机に置いたビリーが受け取り、ビレンも眼精疲労対策の眼鏡をはずしてから立ち上がってそれを覗きに行った。
 そして逮捕写真《マグショット》を見た二人の表情が、それぞれ怪訝さ混じりに少し険しく変化する。ビレンのほうが、より不快さを滲ませたものだった。
 スクラップ帳のために両面テープと格闘していたヴァレアが、少し遅れてそこに参加する。ワルターはなにも言わず、なぜかヴァレアに視線を向けている。そのことを少し不思議に思いながら、ヴァレアはビリーの持つ書類を覗き込んだ。
 最初の一瞬は、ただのマグショットだと思った。次に写っているのが女性だと認識し、視線が容貌をなぞる。その頃には、ヴァレアはビリーの手にある写真をひったくっていた。その反応だけで、他の三人は三様に、自分の予想や懸念が当たっていたことを知る。
 ヴァレアの頭の中で、ばちばちと電流が弾けるように視覚から入り込んだ情報が繋がってゆく。まっすぐな髪は黒く、長かったが、髪油を塗ったようにつやつやと光って見える。書かれた身体の数値によるとかなり小柄だ。顔はまったくの無表情のようでもあり、どこか撮影者を――つまりは警察を――挑発するようなしたたかさが窺えるようでもある。その切れ長の眼差しは蠱惑的にすら感じる。そして写真の女はなによりも、いまだにこの辺りではまず見かけない純粋な東洋人だった。
 指先の感覚がなくなってくるように思えるのは、弄っていた新聞のスクラップのせいなどではないとヴァレアにもわかった。胸に明確な痛みを感じ、息苦しさを覚える。何年経とうと、この姿が誰のものかわからないはずがない。
「ホンファ!」
 言いようのない切なさが生む悲鳴じみた声は、ほとんど無意識にヴァレアの喉からほとばしっていた。


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