マカロニウエスタンより面白いものを私は知らない (Togetter「蔵臼金助氏によるマカロニウエスタン・コラム再録ツイートまとめ」)


 2002年にリリースしたマカロニウエスタンDVDが好調で、翌年2003年に“マカロニウエスタン/REBORN&FOREVER”をSPOから出しました。
 その時、SPOのプロデューサーから「何かキャッチーな、核となるポイントを考えて欲しい」と言われ、「“マカロニウエスタン40周年”と言うのはどうか?」と返答、パンフレットに原稿も書いてくれと言われたので書きました。その時のコラムを再掲いたします。

マカロニウエスタンより面白いものを私は知らない

 私はよく覚えている。1969年の光り輝く夏の日々のことを。
 世間はアポロ11号の月着陸や、グリンゴが開催した大規模ロック・コンサートで騒然としていた。だが、当時10歳の私の最大の関心事は、隣家から聞こえてくる哀愁を帯びたメロディ。口笛をフィーチャーしたその曲に惹き付けられた私は、旋律が流れてくる度に窓際にはりつき、家族から不審の目で見られていた。理由を説明し、母から曲名を教えて貰って人生は回り始める。
 その年の誕生日に一枚のレコードをねだり、初めて手にしたサントラEP『夕陽のガンマン』。それがマカロニウエスタンとの最初の出会いだったのだ。
 しばらくして近くの名画座で『夕陽のガンマン』がかかる事を知った私は、フリスビーを追いかける犬の如く劇場へとすっ飛んで行く。当時は情報誌もインターネットも何も無く、予備知識ゼロという幸福な状態で、聞き慣れたメロディと共に映画はスタートした。そこには、求めていたものが全て在った。寡黙でハードボイルドなガンマンたち。友情と裏切り、迫力あるガンファイトに彼らの操る美しい銃器。そして、胸を打つテーマ曲と感動的なクライマックス…。それから、憑かれたように映画を貪る日々が始まった。
「動く者は女子供でも撃った」と独白したのは『許されざる者』のウィリアム・マニーだが、私の場合、動く映像だったら女子供の観る様なものでも観まくったのだ(自分自身が子供だったが)。難解な映画も観た。中味が何も無い映画も観た。おそらくその頃の映画ファンは、日本全国のあちこちで、皆似た様な青春時代を過ごしていたのではないだろうか。
 だが、イタリア製西部劇はファンにとって、いつだって特別な存在だった。あの頃の日本には、マカロニウエスタンがコーラの自販機並みに溢れかえっていたのだよ、アミーゴ。TVでは毎日の様にネロが復讐を誓い、ジェンマが曲撃ちを披露していた。ラジオのリクエスト曲は半分がマカロニの主題歌だった。国民の半数はカウボーイ・ハットをかぶり、警察官は皆、シングルアクション・アーミーで武装していたのだ(うそ)。
 30年以上の月日が流れ、時は21世紀。あれだけ流行ったマカロニウエスタンは影も形もない。レオーネもコルブッチも亡くなり、サントラは次々に廃盤となっていった。新作は公開されず、モデルガンも早撃ちガンマン愛用のコルトから、樹脂製フレームを装着した自動拳銃へと主役が交代する。2001年に国内でDVD化されていたイタリア製西部劇は僅か3タイトル。マカロニウエスタンは、絶滅してしまったのである。
 だが、去年の2月。SPO+IMAGICAが解き放った32匹の獣たちが、時代の流れを変えた。棺の中で眠り続けていた伝説のガンマンたちが、DVDという新たなロングコートを身にまとい、蘇ったのだ。それから一年も経たぬうち、世界中でリリースされたマカロニDVDの半数近くが日本製となった。全てのジャンルにおいて、日本が率先し、世界に先駆けてDVDをリリースし続けているのは、マカロニウエスタンだけだ。
 そして今年2003年は、ライト兄弟がキティホークの丘で人類初の動力飛行に成功、その百周年を迎える年として記憶される…だけではない。マカロニファンにとって、今年は別の意味を持つ。リチャード・ハリソンが出演した日本上陸第一号のイタリア製西部劇、『赤い砂の決闘』が制作されて、ちょうど40年目にあたる年なのだ、コンパネロス。“マカロニウエスタン生誕40周年”を記念し、SPO+IMAGICAはまた新たな用心棒、ガンマンたちをさすらいの旅に出す。彼ら21匹の強力な助っ人が加われば、ワイルドバンチの数は総勢53匹。じゅうぶん立派な“ガンマン大連合”である。スティングレイ社始め、他社の作品を合わせれば、おそらく一年後に日本におけるマカロニDVDの数は80タイトルを超える筈だ。“マカロニDVD大国”日本に住める幸せを共に喜ぼう。

最後に今一度言いたい。あらゆる映画を観まくったが、マカロニウエスタンより面白いものを私は知らない。

(蔵臼金助)

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