モーゼルに関するミニコラム (Togetter「蔵臼金助氏によるモーゼル関連コラム再録ツイートまとめ」)

 以前つぶやいた、モーゼルに関するコラムを再掲します。ある雑誌のために書いたものですが、モーゼルに関する短い文を10回に渡って連載する予定でしたが、あいにくその雑誌が廃刊となり、陽の目を見る機会は得られませんでした。その10回の中のひとつは、後に『月刊Gun』誌にて掲載して頂く事になりました。他の文も映画や雑学など、全てがモーゼルにまつわる話ですが、全て未発表のものです。しかし、その当初掲載を予定していた雑誌にしろ、『月間Gun』にしろ、今はもう無く、同じ時期に版下まで作ってあったDVD-Books『島猫物語』も出版社倒産でお蔵入り。こういう時に思い出すのは、『さらば友よ』のフランツ(チャールズ・ブロンソン)の台詞だ。 「俺が関わったいくさは、必ず俺がついた側が負けるのさ」(大塚周夫の声で)

『モーゼルの十回』

 『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』のフィルム修復後に復活したシーンの中で、6人の敵を前にブロンディ(クリント・イーストウッド)は言いました。 
「6はパーフェクトな数字だ。俺の銃は6連発だからな」
 モーゼルC96は弾倉に10発入りますので、C96の装弾数に因んだ10の思い出話をさせて下さい。私の人生には折々にモーゼルが登場しますが、最後は海がふたつに割れます。

【第1回:殺しが静かにやって来る】
 その日は朝からわくわくしていました。後に放映日を調べてみると、1972年4月16日(日)でしたので、当時、私は13歳だったことになります。既に『夕陽のガンマン』『怒りの荒野』などでマカロニ・ウエスタンにはまっていた私は、その日、「日曜洋画劇場」で見たことも聞いたこともないイタリア製西部劇、『殺しが静かにやって来る』が放映されることを朝刊の番組欄で知り、夜になる迄、興奮しっぱなしだったのです。
 冒頭からラージ・リング・ハンマーで殴られた様な衝撃を受けました。西部劇と言えば、砂塵吹きすさぶ荒野が舞台と決まっていましたから、一面の銀世界にウインチェスターをかまえて待ち伏せする賞金稼ぎ達を観た瞬間、「この映画は他の西部劇と違う」と直感したのです。そして、雪原を馬でやって来る黒ずくめの主人公。彼はギャーギャー鳴いていたカラスの声が静まった途端、胸騒ぎを覚えて腰の銃を抜きます。直後、一瞬の内に賞金稼ぎ達は撃ち倒されるのですが、その主人公の手に握られていたのは、自動拳銃モーゼルC96でした。
 西部劇で活躍する銃と言えば、リボルバーが常識です。ウエスタン・ファンからモデルガン・ファンになって行った私も、それ迄集めていた銃は全てリボルバーでした。しかし、主人公の殺し屋サイレンスが愛用するモーゼルを観て以来、私はその美しさに取り憑かれてしまったのです。直線と控えめなアールで構成されたメカニカルなシルエット、リボルバーとは全く異なる構造、初期の自動拳銃に見られるプリミティヴなその存在感…何と不思議な形の、それでいて魅力的な銃なのでしょう。
 映画の内容も衝撃的でした。雪山が舞台、ヒロインが黒人、どんなに映画を見慣れた人でもあっと驚く非情のエンディング…。主人公は賞金稼ぎを専門に狙う殺し屋で(賞金稼ぎに殺された無法者の家族から報酬を受け取り、仇を討つのです)、最後迄一言も台詞を発することがありません。でも、一番印象に残ったのは、ウエスタンでありながら、主人公が自動拳銃を愛用していることでした。
 この日以降、私はマカロニ・ウエスタンにさらにのめり込み、モーゼルに取り憑かれていくことになります。


【第2回:ジャコビニ流星雨の夜】
 「ジャコビニ流星雨を観測しよう」と言って、同級生のK君を誘い、横須賀の鷹取山に登ったのは、『殺しが静かにやって来る』を初めてTVで観た1972年の、10月9日のことでした。天体観測にかこつけていましたが、何のことはない。退屈な中学の学生生活に変化を持たせようと、深夜にモデルガンを持って裏山へ遊びに行ったら楽しいんじゃないかと思いついただけです。鷹取山というのは、ロック・クライミングの練習にも使われる岩山で、なかなかウエスタンな外見をしているものですから、私はよく同級生とモデルガンを使って撃ち合いごっこをしていたのです。
 早速、愛用のMGC製キャバルリーを持って夜になるのを待ち、いそいそと出かけて行きました。山の頂上にたどり着くと、既に何人かの同じ年頃の少年たちが数人陣取っていて、わいわいと騒ぎ、楽しそうでした。私とK君は、彼らから少し離れた所で夜空を見上げていたのですが、残念なことに流星雨はちっとも現れません。空は曇りがちだし、天文学者の予測時間がずれていたみたいなのです。
 そのうち、他のグループも飽きてきたらしくて、中の一人がラジカセを取り出し、音楽を流し始めました。びっくりしましたねえ。深夜の山頂で流れてきたその曲は、『殺しが静かにやって来る』のタイトル曲だったのです。たぶん直接TVから録ったのでしょう。音が割れてノイズだらけの、知らない人が聞いたら現代音楽と勘違いしそうなメロディでした。しかし、それは紛れもない、エンニオ・モリコーネが作曲したサウンド・トラックでした。
 人見知りの強い性格の私でしたが、気がつくとラジカセを持っているその彼に話しかけていました。彼が一つ年上のクラスの先輩だったことが判明し、同じマカロニ・ウエスタンを愛好する者同士として意気投合。その夜はK君も交えて、流星の観測なんてそっちのけ。一晩中、マカロニ談義で盛り上がってしまいます。それから、不良グループに追いかけられて、明け方まで山の中を逃げ回ったり、おかげで一睡も出来ず、翌日の体育の授業をサボったりと色々ありましたが、私はその夜のことを今でも鮮明に覚えています。おそらくその日、私は初めて、同じ趣味を持つ友人を手に入れたのです。
 余弾ですが、K君はその後、日本のパンクバンド「非常階段」のメンバーとなり、東京中低域を経て今はジャズ・ミュージシャンに転身、沖縄でサックスを吹いています。


【第3回:横浜でモーゼルを買う】
 “ジャコビニ流星雨の夜”以降、私は連日、“マカロニ先輩”の家に通い詰めました。彼は私の知らないマカロニ・ウエスタンのサントラをたくさん持っていて、遊びに行く度に聞かせてくれたのです。『荒野の棺桶』の主題曲を初めて聞いたのも、『殺し屋がやって来る』のシングルが発売されているのを知ったのも、その部屋で彼から教わったのです。
 また、彼はモデルガンも何挺か所有し、それで遊ばせてくれました。気がつくと“タルビー師匠”と“スコット・マリー”みたいになっていた私たちは、「一緒に横浜へ行って、モデルガンを買いに行こう!」と約束を交わすことになりました。1972年11月の誕生日を待って、私たちは貯めたお小遣いを持ち、横浜の駅ビルに在ったモデルガン・ショップを訪ねました。気分はもう、戊辰戦争時の河井継之助みたいなものです。彼が1867年にガトリングガンを購入したのは、横浜のファブル・ブラント商會でしたからねえ。
 それまで、ハドソンのデリンジャーとピースメーカー・ジュニアくらいしか持っていなかった私は、ウインドウに並ぶ数々のモデルガンを眺めて、もはや地主の邸宅に押し入った『群盗荒野を裂く』のジャン・マリア・ヴォロンテ状態。犬だったら、だらだらとよだれを垂らしているところです。目的の銃は、当然のことながらモーゼル・ミリタリーです。当時モデルガン化されていたモーゼルの中では、MGCのものが最も良さそうに見えました。規制直後で金色になってはいましたが、手に取るとずっしりと重く、コルト・シングル・アクション・アーミーとは全く異質の文化に触れた気がしました。今迄見たことも無いパーツ、フレームの上に鎮座した“タンジェント・サイト”がすっかり気に入りました。初めてボルトを引く時は、ジブラルタル海峡を通過するUボートの様に緊張しました。
 その後のことはよく覚えていません。興奮して、ずっとモーゼルの魅力について喋りまくっていた気がします。早速、“マカロニ先輩”の家で梱包を解き、カートリッジを詰めて装弾・排莢を繰り返してみました。そのメカニカルな動きにうっとりし、その後、私はしばらくの間、身も心もサイレンスになりきっていたのです。


【第4回:殺しの烙印】
 高校生になると新しい友達が出来ました。Y君はマカロニ・ウエスタンよりはカンフー映画に夢中の、大のブルース・リー・ファンで、同じく横須賀に住み、私とはまったく重ならない、幾つかのモデルガンを所有していました。三浦半島の先端に防衛大学があり、その敷地内の演習場が、私たちの遊び場になっていました。草むらをかき分け、有刺鉄線の隙間をかいくぐってそのフィールドにたどり着くと、一面の草むらの中にコンクリート製のトーチカが見えてきます。それは、旧軍が昭和初期に東京湾防衛用として設置した要塞跡で、少年心を無限大にくすぐる、絶好の遊び場だったのです。
 そこで私たちは二手に分かれて、いつも撃ち合いをやっていました。Y君の自慢はモーゼルのボルト・アクション・ライフルです。彼の脳内では、ドイツ軍の狙撃手である彼が、モーゼルC96を持つパルチザンの私を撃ち倒していることになっていました。でも、私の脳内では、彼はメキシコ政府軍の歩兵で、賞金稼ぎである私は黄金のモーゼルC96を使い、革命軍のために彼を暗殺することになっているのです。
 トーチカで、そんな楽しい撃ち合いごっこを定期的に行っていたのですが、いつも訪れる度に不思議に思っていたことがありました。それは、トーチカの内部が黒こげになっていたことです。本土防衛のために設置はされましたが、決戦の前に戦争は終結し、実戦は行われていない筈。それなのに、何故焼け焦げているのでしょう? 焚き火とか火事とかではなく、その焦げ跡はトーチカ内部全てに広がる大規模なものだったのです。その疑問は、数年後に明らかにされることになります。
 大学に進学した私は映画について学び、毎日映画館に入り浸って、洋画・邦画問わず、古今東西のあらゆる映画を観まくっていました。その中のひとつ、同級生から勧められて観た映画が、鈴木清順監督の『殺しの烙印』です。日活が1967年に制作した荒唐無稽なアクション映画で、マカロニ・ウエスタン好き・モーゼル愛好家の私は、導入から引き込まれてしまいました。この作品の主人公・花田五郎(宍戸錠)は、モーゼル・ミリタリーを愛用しているのです。浮き浮きしながら観ているうちに、思わず映画館で声を出しそうになりました。宍戸錠が殺し屋と対決するシーンの一つが、防衛大学敷地内のトーチカで撮影されていたのです。トーチカの銃眼から銃を撃ちまくる敵に向かって、宍戸錠は火炎瓶を投げつけ、トーチカ内部を火の海にします。炎に包まれて絶命する、敵の刺客。モーゼルM712が主役みたいなギャビン・ライアルの傑作冒険小説『深夜プラス1』に登場した、敵ながらあっぱれの殺し屋、アランの死に様のようです。う〜む。そういうことだったのか〜。焼け焦げ跡の謎が解けました。
 映画は大変面白かったです。この映画のファンは多く、2002年6月には1/6のアクションフィギュアも作られました。その制作に私の元部下が関わっていて、彼の話によると、炊飯器の型代に最も予算が費やされたそうです。


【第5回:軍刀荒野に埋まる】
 母親の故郷は長崎です。母は昔炭坑で栄えた、崎戸島と言う離島で生まれ育ちました。私が社会人になって間もない頃、母から興味深い話を聞きます。実家は、波止場に近い海寄りの家だったのですが、終戦間もなく、裏山に爺さんがお宝を埋めたと言うのです。進駐軍に取られまいと、幾ふりもの軍刀、日本刀、そして、戦前に爺さんが購入したというモーゼルまで…。
 にわかに信じられない話です。まるで、『冒険者たち』みたいな話ではありませんか。でも、防衛大学敷地内のトーチカでも、サビサビになったブローニングの欠片(たぶん、旧軍の将校が持っていた拳銃の残骸でしょう)を見つけたことがあったしなあ。
 軍刀もモーゼルも、たぶんサビサビのボロボロになっている事でしょう。モーゼルって、C96のことなのでしょうか。母にモーゼルの写真を見せましたが、記憶には残っていない様子です。だいたいの場所を聞いて、一度帰省した時に見学に行ってみましたが、けっこうな広さの荒れ果てた空き地で、何処に埋まっているか検討もつきません。潮風に吹かれながら、呆然としてたたずんだことを覚えています。その後崎戸島は再開発、リゾート地となって様相もだいぶ変わったと聞きます。『バトル・ロワイヤルU 〜鎮魂歌〜』のロケ地にも使われたそうです。
 今でも爺さんのモーゼルは土の中で眠ってるのでしょうか。いつか時間ができたら、離島の荒野を掘り返し軍刀とモーゼルを見つけてみたいと夢見てます。


【第6回:サイレンスのライセンス】
 『殺しが静かにやって来る』を初めて観た年から、30年後。賞金稼ぎになるのを夢見ていた少年の私は、給料稼ぎの中年男になっていました。映像関連の会社に入社して10年が経ち、DVDの企画・制作を生業とする様になった私は、いよいよ自分の最も好きな映画をDVD化する時ではないか…そう企んでいたのです。版権の交渉に2年を費やし、徹夜作業を何度も繰り返して、2002年にDVD『殺しが静かにやって来る』が完成しました。この時の喜びを私は一生忘れないでしょう。
 喜びを形にするため、その年のボーナスをつぎ込んで、私は一挺のカスタム・ガンを作りました。業者に依頼、マルシンのM712をベースに、C96に加工して貰ったのです。いつ迄も金色のモーゼルで満足してはいけません。やはり銃は黒色でなくちゃ。グリップも特注し、手先の器用な知人に頼んで木製ホルスターを“『殺しが静かにやって来る』仕様”に作り替えました。主人公サイレンスの使うモーゼルは、バネ仕掛けでホルスター・ストックの蓋が縦に跳ね上り、クイック・ドロウ出来るようカスタムされているのです。今でもこのカスタム・ガンは宝物で、私は『殺しが静かにやって来る』を鑑賞する際、常に傍らに置くようにしています(ちなみに、『ワイルドバンチ』鑑賞の際は、M1911とウインチェスターM97が必携です)。
 そうなのです。私にとってモデルガンとは、握った途端に一瞬のうちに主人公と同化できる魔法のインターフェイス、映画の中に入り込むことが可能な、夢のライセンスなのです。これで私はいつでも、サイレンスに同化出来るライセンスを取得できるようになったのです。


【第7回:モーゼル生誕百年記念祭】
 今はもう亡くなってしまった双子の長寿姉妹、きんさんぎんさんが生まれたのは1892年のことです。そう聞いて、最初に感慨深く思ったのが、「彼女らが生まれた時には、未だモーゼルC96は製品化されていなかったんだ…」という歴史の事実です。色々と考えさせられますよね。そのうち、「昔は、日本の警察官もリボルバーを使っていたんだよ」と言って、驚かれる時代が来るかもしれません。あるいは、「日本の警察官も武装していたんだよ」とか、「以前は消防署員というのは、火を消す職業だったんだよ」とか。
 1996年が来るのを、私は密かに期待していました。モーゼルC96が世に出て百年が経つのです。きっと、何かイベントが開催されるでしょう。決定版のモーゼルC96のモデルガンが発売されるかもしれません。モーゼルが登場した映画がリバイバルされるかもしれません。…しかし、何も起こりませんでした。銃器の専門誌でさえ、特集を組むことはありませんでした。悲しいことです。私は自分の誕生日と一緒に、その年は一人で、設計・開発者のヴィルヘルム&パウル・モーゼル兄弟に祝杯を掲げました。言うまでもありませんが、お酒の銘柄はモーゼル・ワインにしました。酔っぱらった頭であれこれ考えているうちに、素晴らしいアイデアが7.63oボトルネック・カートリッジの初速並みに閃きます。 モーゼル映画がリバイバルされないのなら、自分でリリースすればいいんじゃないか。


【第8回:モーゼル映画DVD化計画】
 …ということで、今まで勤務先にも取引先にも内緒にしていましたが、DVDをプロデュースするようになって私は、ひとつの目標を掲げることにしていたのです。それは、モーゼルが活躍したあらゆる映画をDVDにする事でした。『殺しが静かにやって来る』をきっかけに、C96が出てくる映画を次々にDVD化し続けました。ラージ・リング・ハンマー、フラット・サイド・モデルがクライマックスに登場する『殺しのギャンブル』(73)、20連マガジン装着のモーゼルが大量に使われた『裂けた鉤十字』(73)、タンジェント・サイトを調整、一発で得物を仕留めるシーンが出てくる『別れの朝』(70)、ニッケルメッキを施したC96が出てくる『華麗なる殺人』(65)、同じくマカロニ・ウエスタンで、メキシコ革命にモーゼルが登場する『復讐無頼/狼たちの荒野』(68)…。
 まだまだDVD化されてない、モーゼルが活躍する作品があります。『シェラマドレの決闘』(66)や『ビリー・ホリディ物語/奇妙な果実』(72)の奇才、シドニー・J・フューリーが監督した『裸のランナー』(68)。ヴァンゲリスのテーマ曲が印象的な陸上競技の映画でも、“ブレードランナー”の言葉を生み出したバロウズ原作の映画でもありません(←それは、『炎のランナー』と『裸のランチ』)。この作品でフランク・シナトラ扮する殺し屋サム・レイカーは、ロングバレルのモーゼルを丘の上で組み立て、狙撃に用いるのです。製作したのは、『荒野の七人』でハリー役を演じたブラッド・デクスターですよ。この映画のシナトラ、格好良かったなあ。ボケる前にもう一度観てみたい映画の一つです。
 しかし当面の目標となるのは2本の英国映画。文字通りターゲットとなる版権(ライセンス)はシュネイル・フォイヤーの連射が迫力の『電撃脱走/地獄のターゲット』(72)と、秘密諜報員チャールズ・ヴァインが背中に吊したホルスターからC96を連射する『殺しの免許証<ライセンス>』(65)。私はいつの日か、この2本のモーゼル映画をDVD化して、モーゼルを握りつつ、鑑賞したいと思っているのです。


【第9回:ターゲットとなるライセンス】
 寡作ながら骨のあるアクション映画、奇妙な味わいのミステリー作品を撮り続けてきたダグラス・ヒコックスが1972年に発表した『電撃脱走・地獄のターゲット』。息をもつかせぬアクションとスリリングなストーリー展開、主人公を始めとする登場人物たちの濃いキャラが深く印象に残るイギリス映画の快作でした。服役中、妻(ジル・セント・ジョン)が他に男を作ったと知ったハリー(オリヴァー・リード)は逆上し、相棒のバーディ(イアン・マクシェーン)と共に脱獄を企てます。“シュネル・フォイヤー”を手に入れた彼は、スコープのヘアクロスの中心に妻のシルエットを合わせ、引き金を引こうとしますが…。
 “シュネイル・フォイヤー”とは、マガジンを着脱式にし、フルオート射撃が出来るよう改良された、モーゼルのマシン・ピストルのことを言います。アメリカでの輸入代理店ストーガー社が流通させる際に付けた型番を名乗り、M712とも呼ばれました。監督はきっとM712が大好きなんでしょうね。『ダーティハリー』がS&W M29映画である様に、『未来惑星ザルドス』がウェブリー・フォスベリー映画である様に、『ブラッディ・ガン』がシャープス・ライフル映画である様に、この作品は全篇シュネル・フォイヤー映画になっていまして、特にラストの夕陽をバックに主人公がM712をフルオートで撃ちまくる姿は、この銃の魅力を知り尽くした人でなければ演出出来ないだろうと思わせる名シーンでした。逆光の中、仁王立ちしながらモーゼルを撃つ主人公のシルエット。排莢されたカートリッジがバラバラと落ちて来るのが、今でも深く脳裏に刻まれています。ダグラス・ヒコックスは後に、ジョン・ウェイン扮する刑事がロンドンで大暴れする『ブラニガン』でも、シュネル・フォイヤーを再登場させています。
 同じイギリスのアクション映画でも、『殺しの免許証<ライセンス>』(65)はもっと英国映画らしい、冷ややかなブラックユーモアに満ちた“007”シリーズのパロディ映画になっていて、特に、最後のモーゼルを持った殺し屋との“モーゼル対決”は、改めてじっくりと観直してみたい気がします。物陰に隠れた主人公チャールズ・ヴァイン(トム・アダムス)が、弾の尽きたモーゼルにクリップを差し込み、装填しようとするのですが、すぐ近くに殺し屋が来てしまうのです。カートリッジを押し込むと、音がして殺し屋に気付かれてしまう、その緊張感溢れるシーン。クリップ装填のモーゼルでしか出来ない演出で、たぶんこの監督もモーゼルが好きなんでしょうね。主人公が平気で背中から撃つところがスパイらしいと言うか、それでも無言でいきなり後ろからズドンと撃つ描写は、マカロニ・ウエスタン以上に驚きがありました。
 この2作品、観てみたいと思いませんか? 1本は版権の在処を知っているのですが、なかなか交渉が難しいところでしてねえ。
 FOX CRIMEで放送されたTVシリーズ、『デッドウッド』に、ヒールな準主役でイアン・マクシェーンが出ているのを見た時、何とも懐かしい気持ちになりました。『電撃脱走・地獄のターゲット』の時よりもかなり恰幅が良くなり、小悪党だった彼が町の顔役を演ずるようになっていて、まるで『モナリザ』(86)でマイケル・ケインが町の顔役を演じていた時の様な驚きを感じたものです。


【最終回:続・殺しが静かにやって来る】
 毎年名古屋で、“マカロニ大会”なるマカロニ・ウエスタンのイベントが開催されています。名古屋在住の熱烈なマカロニ・ファン3人が結成した“TRE RAGAZZI D'ORO”の主催によるもので、私も毎年参加させていただいています。そのイベントには世界的なポスターコレクターから、サントラ専門家、定期的にロケ地・アルメリアを訪れてるロケ地研究家、一年がかりでスクラッチビルドのホチキス機関銃を作り上げるマカロニ重機関銃研究家まで、あまり周囲にはいない変わった人達が集い、年に一度の皆殺しパーティを催すのです。
 その“マカロニ大会”に出席する度に、私は遠い昔、マカロニ・ウエスタンのサントラを教えてくれた“マカロニ先輩”のことや、横須賀のトーチカで撃ち合ったY君のことを懐かしく思い出すのです。
 最後は、その“マカロニ大会”のパンフに載せたインタビューの中からひとつ。その質問とは、「新しくマカロニ・ウエスタンを作るとすれば、どんな作品を作りますか?」
 そりゃあ、もちろん『続・殺しが静かにやって来る』ですよ。ポリカット亡き後のスノーヒルを牛耳る、年老いたロコとその娘(ナスターシャ・キンスキー)。彼らを追って、サイレンスの妹、マリー・トランティニャンがユタ州にやって来るのです。兄の形見のモーゼルを奪還しに。湖に落ちた保安官が記憶を無くし、ホームレスになっていたり…。クライマックスで記憶を取り戻し、サイレンスの妹を助けるんですけどね。ロコはすっかり臆病になっていたりして、でも、その娘は父親以上に凶暴な性格なんです。最後は女同士のモーゼル対決。面白そうでしょう? マリー・トランティニャンが死んじゃったのが残念ですが、映画化してみたいと今でも思っているんです。


(蔵臼金助)

Back