『さすらいのカウボーイ』 (Togetter「蔵臼金助氏による『さすらいのカウボーイ』コラム再録ツイートまとめ」)

 昨日に引き続き、グリンゴMADEの西部劇を1作。同じく『マカロニ・ウエスタン銃器「熱中」講座』から、「ブラス! 真鍮フレームのコルトにまつわる6つのエピソード」より再掲です。

『父と子とコルトの間に…』

 もう一作、真鍮製グリップ・フレームを持つコルトが登場したアメリカ製西部劇を紹介しましょう。帰郷したカウボーイの日々の生活を美しい映像で淡々と捉えた、ニューシネマ西部劇です。静かな描写の中に詩情と19世紀当時のリアリズムが描きこまれ、かと言ってアクションに手抜きはありません。至近距離で撃ち合ってもなかなか当たらない、一度も観たことが無い描写の銃撃戦は必見です。
 独立プロ制作のために専門の銃器レンタル業者を雇えなかったのでしょう。その結果、珍しい銃器が続々登場します。ウォーレン・オーツの使うM1851ネービーのコピー、グリスウォルド&ガンニソン、悪役がベルトにさしたブルーム・ハンドルの大口径リボルバー、“モンテネグリン・ガッサー”、ペッパーボックスの発砲シーン等に注目です。そして、主人公ハリー(ピーター・フォンダ)が使う銃は、5.5in.銃身、真鍮製グリップ・フレーム付きのイミテーション・コルトです。
 「『イージーライダー』のおかげで父から離れられた」ピーターは、「巨大な影から独立」し、「バイクのイメージを消す」ため、初監督作に西部劇を選びました。後に、『ブレード・ランナー』でアカデミー賞を受賞する美術のローレンス・G・ポール、これが劇映画初撮影とはとても思えないヴィルモス・ジグモンドのカメラ、静謐で、まるでアンドリュー・ワイエスの絵画を見てるかの様な画面を引き立てる、ブルース・ラングホーンの音楽等々……優秀なスタッフと素晴らしい演技力のキャストに恵まれて、ピーター・フォンダの初監督作品『さすらいのカウボーイ』は、後々まで語り継がれる「神話的な物語」に仕上がりました。
 DVDには力の入ったインタビュー特典が付いていて、ピーター始め、関係者の話す証言が実に興味深いです。特に、日本版インタビューの最後の部分。それまで和やかに談笑してきたピーターは、カメラに向かって姿勢を正し、正面を見つめて静かに語りかけます。
「父は素晴らしい西部劇をたくさん作ったことで有名だ」「この作品を父に観てほしかった」
 彼は続けてこうも言います。
「父は一度もこの映画を観てくれなかった…」
 『イージーライダー』の製作・主演で、“ハリウッドの反逆児”として一躍名を知られたピーター・フォンダは、“ハリウッドの良心”である父、ヘンリー・フォンダに反抗して、この反体制的な「バイク映画」を作ったものだと思っていました。(ピーターの母親は、夫ヘンリー・フォンダの浮気を苦にして、ピーターが10歳の時に自殺してます)が、必ずしもそうではなかったみたいなのです。
 その時に連想したのは、正統派西部劇とイタリア製西部劇の関係です。元々はハリウッド製西部劇に憧れ、その想いを、自分なりにマカロニ・ウエスタンに投影していったイタリアの作家たち…。最初に欧州で西部劇を作り始めた頃は、アメリカの映画作家たちに対する、リスペクトも憧憬の念もあった筈。しかしながら、衰退していったハリウッド製西部劇とは裏腹に、世界的な流行となったイタリア製西部劇へのやっかみもあったに違いありませんが、イタリア製西部劇の出発点は、映画作家や評論家、ウエスタン・ファンから、“まがいもの”“似ても似つかぬもの”と揶揄され、様々な酷評に晒されました。レオーネもコルブッチもソリーマも、イタリア製西部劇の作家たちは、アメリカの西部劇が大好きだったのです。しかし彼らは、ピーター・フォンダが言う「米国人の希望と夢の神話」、“正統派”西部劇を汚した者として、バッシングされました。
 そうなると、イタリア人作家の中には反抗期に突入する者も現れます。だったら、イタリア人独自のウエスタンを構築しようじゃないか。コルブッチは奇妙な西部劇を立て続けに製作、彼の心は次第にアメリカからメキシコへと移って行きます。レオーネは逆に、徹底的にアメリカ史を調べ尽くし、大作『ウエスタン』を完成させました。今では殆ど知られることの無い、マカロニ・ウエスタンの監督たちは、次から次へと、架空のアメリカ西部を舞台に、荒唐無稽なアクション映画を量産し始めました。
 ハリウッド製西部劇も次第に変質。ニューシネマの影響で人物の性格描写を掘り下げたり、リアリズムを突き詰めたり、マカロニに近付いたり。70年代に入るとマカロニも量産が祟ってコピー作、駄作が相次ぎ、もはや映画とは呼べない様な代物まで登場しました。結果、ハリウッド製“正統派”西部劇も、イタリア製“まがい物”西部劇も凋落の一途をたどり、今では“西部劇”のジャンルそのものが絶滅してしまいました。不良息子を抱えた家族の、典型的な家庭崩壊の経緯を見る様ではありませんか。
 そんな中で『さすらいのカウボーイ』は、従来のハリウッド製西部劇とは異なり、また、マカロニ・ウエスタンとも違う、孤高の存在感を見せつけています。その『さすらいのカウボーイ』で、何故、主人公に真鍮製グリップ・フレームのコルトを持たせたのか? それは、主人公の反逆の象徴として、ハリウッドに対抗し、イタリア製西部劇に使われた複製コルトを持たせたのだ。…と思いたいところですが、それは深読みし過ぎですね。きっと予算の制約に悩み、純正コルトではなくて、ほぼ半額で済む複製コルトを使わざるを得なかったのだと思います。
 参考までに、米国で発行された1975年版「Gun Digest」によると、コルト社S.A.A. 7.5in.のブルー&ケース・ハードゥン・モデルは、当時217ドル。複製コルトの場合、アルド・ウベルティ社製ブルー&ケース・ハードゥン仕上げ、真鍮製バック・ストラップ&トリガー・ガードの付いたモデルは、銃身長に関わらず当時99ドル75セントとなってます。
 ピーターが言っています。「映画で使った武器は僕が選んだ」「ありきたりの西部劇ではなく、違ったものをやりたかった」「リアルなものをね」彼は彼なりに、従来と異なったスタイルではあるものの、リアルな西部劇を演出したかったのでしょう。彼は西部劇を「米国人の希望と夢の神話だ」と言いつつ、「また、成功と失敗の神話でもある」と言います。後者は、ジョン・ウェインが決して描かなかったテーマでもありました。しかし、この『さすらいのカウボーイ』には、紛れもないフロンティア・スピリット、それは働くことの意義でもあり、生きて行く、生活していくことの本来の意味でもあると思うのですが、それが丁寧に描かれているのを感じるのです。それはハリウッドを離れて、『ウエスタン』でマカロニ史上稀代の悪役を演じた父・ヘンリー・フォンダともまた違う、ピーターの芯の強さ、信念の深さの顕れのような気もします。その時に思い出すのです。ピーター・フォンダの奥さんがデイビー・クロケットの直系の子孫であることを。『イージー・ライダー』で、ピーターが演じた主役の役名が、“ワイアット”であることを。

(蔵臼金助)

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