『ペイルライダー』 (Togetter「蔵臼金助氏による『ペイルライダー』コラム再録ツイートまとめ」)

 本来なら「レミントン社のリボルバーA」として、『ガンマン無頼/地獄人別帖』と共に解説予定だった、『マカロニ・ウエスタン銃器「熱中」講座』未掲載のコラムを掲載いたします。

『蒼ざめた馬を見よ』

 『真昼の決闘』のフレッド・ジンネマン監督がグレゴリー・ペック主演で映画化したサスペンスに、『日曜日には鼠を殺せ』と言うのがあります。「Behold a Pale Horse」がその映画の原題ですが、“蒼ざめた馬”と言うのは何なのでしょう? 『トゥームストーン』を観た人でしたら、きっとおわかりになる筈です。マイケル・ビーン扮する死に取り憑かれたガンマン、ジョニィ・リンゴーがラテン語でつぶやくヨハネ黙示録・第6章第8節に、それは出てきます。
「蒼ざめた馬を見よ。その馬を駆る者の名は“死”。そして、その後ろに地獄が従う。」
 西部劇ではよく劇中に聖書が引用されますが、特に黙示録との親和性が高く、様々な引用が散見されます。
 例えば、マカロニ・ウエスタンでは「3」と共に、「4」と言う数字が頻繁に使われます。『荒野の三悪党』の原題は「I QUATTRO DELL'AVE MARIA」(アヴェ・マリアの4人)ですし、『荒野の処刑』の原題はそのものずばり、「I QUATTRO DELL'APOCALISSE」(黙示録の4人)となっています。
 「3」はキリスト教における“三位一体”、つまり父と子と精霊がひとつの神で、3は聖なる数字と言った意味があり、『風来坊/花と夕日とライフルと…』の主人公の名前トリニティや、『続 荒野の用心棒』のラストの台詞に引用されています。そして、「4」(quattro)とは、ヨハネ黙示録に登場する四人の騎士のことを指す場合があります。
 キリストが解く七つの封印。その最初の四つの封印が解かれた時に、彼らは現れます。地上の人間を殺す権限を与えられた、それぞれ異なる得物を持つ、四騎士。その四騎士の内、最後に出現する騎士こそが、蒼ざめた馬にまたがり、地獄(ハデス)を引き連れ、疫病や野獣を用いて地上の人間たちを死に至らしめる、もっとも怖ろしい騎手なのです。
 『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』の英原題は「DEATH RIDES A HORSE」(“死”が馬を駆る)。リー・ヴァン・クリーフはドクロのペンダントを首から下げ、モリコーネの主題歌は“HELL IS COMING…”と歌ってましたね。ハリウッド製西部劇のモチーフが混沌から秩序を形成するのを好むのに対し、イタリア製西部劇は、秩序から混沌へ投げ出される主題が多い気がします。カオスへ向かう破滅の歓びとでも申しましょうか。荒野に累々と横たわる死体のイメージがマカロニには常につきまといます。

 映画作家クリント・イーストウッドが創作するウエスタン・ムービーにはさらに虚無的な、死がすぐ側を通り過ぎる様な薄気味の悪さが漂っています。『荒野のストレンジャー』もそうでしたが、まるでゴシックホラーを観ているかの様なぞくっとする気配が、『ペイルライダー』にはあるのです。
 カリフォルニアの鉱山町に出現した主人公、“プリーチャー”が最後の決闘の時に用いる拳銃は、カートリッジ・コンバージョンのレミントン・ニューモデル・アーミー。地上の人間たちに死をもたらすため、第四の騎士が使う疫病に相当する武器を、彼は独特のゆったりとした動作で取り扱います。弾丸が尽きると慌てずに予備のシリンダーを取り出し、慎重に交換して撃ち続ける描写が、ちりんちりんと鳴る拍車の音と共に不気味な雰囲気を醸し出していました。そして、悪党にとどめを刺す専用のレミントンを、彼はベルトにさしています。死にかけている敵に対し、.31口径のレミントン1858ポケットを静かに抜き、至近距離から額を撃ち抜くのです。冷酷非情な敵とは言え、今までの西部劇には観ることのなかった容赦のない描写です。
 悪党が雇った殺し屋保安官たちを皆殺しにした後、彼に恋する少女の呼びかけに応えることもなく、“プリーチャー”は町を去って行きました。この、あまりカタルシスを感じることの出来ない、冷ややかなウエスタンが公開された7年後に、イーストウッドは最後の傑作西部劇『許されざる者』を完成させ、現在に至るまで、スクリーンで19世紀のリボルバーは握らなくなってしまいました。イーストウッドが好きだった西部劇ファン、ガンマニアにとっては、もう20年近くもの間、スクリーンに地獄が広がってしまったようなものです。


(蔵臼金助)

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