『群盗荒野を裂く』 (Togetter「蔵臼金助氏による『群盗荒野を裂く』コラム再録ツイートまとめ」)


『狙撃者の目の色は…』

 アンブローズ・ビアスの短編「アウル・クリーク鉄橋の出来事」に、南北戦争時の狙撃兵が登場します。絞首刑執行寸前に危機を脱出、河に飛び込んだ南軍ゲリラの主人公は、ライフルをかまえた北軍の狙撃兵と目が合って呟きました。
「狙撃兵の目の色はみな、灰色だ。」
 生理学的根拠は無いとの事ですが、当時は狙撃兵の採用基準として、目が灰色であることが条件付けられていました。ブルーや褐色の瞳より遠視が利くと信じられていたのです。『群盗荒野を裂く』の薄いブルーの瞳を持った青年は、ライフルの照準を通して何を見つめていたのでしょうか。

 19世紀後半の西部開拓時代半ばから、銃器の歴史は大きく変貌し始めます。金属式薬莢の発明、無煙火薬の導入、自動式装填拳銃の台頭…。そして、20世紀初頭に入ると武器は用途に応じてそれぞれの機能を発達させ、固有の進化を遂げ始めました。ライフルはより強力な弾丸を撃ち出せる様になり、さらにはフルオートで広範囲に弾丸をばらまく新型兵器が出現します。“ボルト・アクション・ライフル”と“マシンガン”の登場です。
 童顔のアメリカ人青年が、壁に飾られたカスタム・ライフルを手に取ろうとしてますよ。演じるルー・カステルは小柄なので、両手で掴もうとするのが背伸びをしてる様に見えてよけいに幼さを感じさせます。しかし、見かけの描写にだまされてはいけません。監督のダミアーノ・ダミアーニは醒めた視点で、足下をすくうような演出をするのです。地主を「殺す」「殺さない」で揉めた後、殺害する描写はせず鈴なりになった自動車のシーンで笑わせ、その晩、浮かれ騒ぐ野党たちを映してから、ひっそりとカメラがパンすると地主の死体がさりげなく転がっていて…こういったCUTは、優れた演出家と脚本家がコンビを組まないと撮れません。「女に興味が無く」「酒も煙草もやらない」この青年は、ライフルのボルトを抜き取って薬室を覗き込んだ後、手慣れた感じでトリッガーの引き具合をチェックし、静かに微笑みます。いつもクールな彼が、表情らしい表情を見せたのはこの時が初めて。後に目的を果たし大金を手に入れた時でさえも、この時の様なうれしそうな表情はしていませんでした。彼は、本当は何を欲していたのでしょう。

 そして、この直後に劇的なシーンが展開するのですが、ここでは彼が手に取ったライフルに着目したいと思います。青年が手に取った“PRECISION ONE”とは、モーゼルのボルト・アクション・ライフル M1893の特注品です。白磨きされたターンボルトが付き、銃身はフロント・サイト・ガードの所でCUTされて、木製ストックが先端まであるマンリッヘル・ライフルの様なシルエットを持っています。7o×57のボトルネック・カートリッジがボックス弾倉に5発入ります。ベースになったM1893は発表と同時にスペイン軍が正式採用、通称“スパニッシュ・モーゼル”と呼ばれるようになりました。村民に射撃を教える中盤のシーンではそのオリジナル・モデルが多数登場、操作方法がユーモラスに描写されています。
 西部劇に出てくるライフルと言うと、レバー・アクションのウインチェスターがすぐに思い浮かびますでしょう。“ボルト・アクション”とは、1871年に登場した、円筒形レシーバーに入ったボルトを操作する事によって、装填、閉鎖、発射、排莢のサイクルを繰り返す、堅牢で確実なライフルの連射機構の事を言います。『殺しが静かにやって来る』に登場した自動拳銃C96と同じ設計者であるドイツ人ピーター・パウル・モーゼルが開発、その優れた操作性と弾道の低進性が評価されて、基本メカニズムは第一次、第二次世界大戦時の各国の主力小銃に採用されました。今でも軍用・警察用の狙撃銃、狩猟用ライフル等に、“ボルト・アクション”は用いられています。

 野盗のリーダー、チュンチョ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)が「マシンガン、マシンガン…」と探し回った末、見つけ出した銃がホチキス Mle 1900です。保弾板に25〜30発の8o弾をパチパチはめ込み、レシーバーに差し込んで引き金を引くと、横に張り出した保弾板がスライドしながら弾丸をばらまきます。メカニズムが文房具と同じですね。オフィスや家庭に一挺在ると、何かと便利かも。本作では射撃前、セッティングした保弾板へオイルを流し入れる描写まで見せていました。この保弾板受け口とグリップ・フレームが真鍮製である事から、映画の中では“金色のマシンガン”と呼ばれます。金だけが目的のストイックなアメリカ人青年と、一見野卑に見えがちですが、しっかりと周囲を観察している陽気なメキシコ人盗賊。そのキャラクターの対比も面白く感じますが、遠距離の得物を一発で仕留めるボルト・アクション・ライフル銃と、大勢の敵をなぎ倒すには最適の“エリア・ウェポン”であるマシンガン…彼らがそれぞれに求める武器が各々の性格を反映して、二人のコミュニケーションの取り方に似ているのが面白いです。

 もし青年の瞳が灰色だったなら、迷うことなく遠方の標的を見定めて、目的を完遂した後に故国へ戻れたかもしれません。彼が初めて自分以外の他人に気を許した時、計算が狂いました。粗野でお人好し、それでも自分の目で物事を見据えていたメキシコ人盗賊が自分の価値観の間違いに気付いた時、悲劇が起こります。この作品は楽天的な革命万歳物でも、娯楽一辺倒のマカロニ・ウエスタンでもありません。鬼才ダミアーノ・ダミアーニが神経を隅々に行き届かせて構築し、イタリアの名優二人の個性がぶつかり合った、優れた人間ドラマです。革命側でもなく政府側でもない、その冷ややかな視点が見つめた“ネオレアリスモ”版メキシコ革命劇の名場面の数々を堪能して下さい。


(蔵臼金助)

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