「ねー先生、はっきり言ってよ」
 高崎奈菜《たかさきなな》が、だらしなく床に寝転がって唇を尖らせている。明るく染めた髪、派手にデコレーションされた爪、短いスカート。分かりやすい素行不良生徒だ。
 最近はこうして、教師である巴《ともえ》の部屋に強引に上がりこんでくることが度々ある。自分の教え子を無下に追い返すこともできず、巴はいつも彼女を部屋へ上げてしまう。
 いや、今のご時世、下手に教師宅に生徒を招き入れるほうが問題だろう。それが解っていて彼女を部屋にあげていることを、巴は密かに自覚していた。
「だから、何度も言っています。高崎さんは大切な生徒です」
 巴は硬い声で言いながら、短いスカートから生えている奈菜の白い脚を見ないようにする。
「うそつき」
 奈菜が両手を床について、勢いよく起き上がった。ねじれた腰。
「うそつき、先生のうそつき。生徒としてのアタシのことは、迷惑がってるくせに」
「……そんなことは、ありません」
 にじり寄ってくる奈菜から、巴は顔を背けた。マスカラでたっぷりした睫毛の下から向けられる視線に、肌がちりちりする。
「だから、そーいう建前いいって! アタシ成績最悪だし、校則守んないし、ウザいっしょ。そう言いなよ」
 奈菜の顔が近くにあることが感覚でわかる。この生徒に、巴はいつも心を掻き乱される。それは酷い苛立ちである。
 その苛立ちは単純な嫌悪でもあるし、それとは違うものでもあった。そのどちらもが巴が教師として忌避するものだ。けれどそれらを抑え込むことは、奈菜が踏み込んでくる度に限界に近づいてゆく。
 溢れる。
 息を吸う。
「では、言います」
「どーぞ」
「……嫌い、嫌いです、貴女のことは、下らない反抗ばかりしていて、規則を破ることと大人に逆らうことが格好が良いと思い込んでいるような子は昔から嫌いだった学生時代から嫌いだった、教師になった今はもっと嫌いです、嫌い、腹が立つ、大嫌い!」
 言葉を吐き出すうちに巴の感情は酷く昂って、止まらなくなった言葉は教師として許されない吐き捨てになる。
 すぐに後悔が巴を襲い、奈菜のほうを見るのが怖かった。膝の上で強く握った拳から視線が外せない。
 だが、巴の視界には奈菜の顔が映った。奈菜が両手を巴の顔に添え、無理矢理自分のほうへ向けさせたからだ。
「言えるじゃん、先生」
 グロスを塗った奈菜の唇が、横に広がり薄くなる。とても意地が悪く、そして愛らしい笑み。
「で、アタシのことは?」
「え?」
 巴が何かを考える前に、奈菜の言葉が被さる。
「生徒としてじゃなくて、"アタシ"のことは?」
 少し開いた奈菜の唇が近づく。巴の唇に。
「た、高崎、さん……」
「まぁ、聞かなくても知ってるんだけどね」
 柔らかな口付け。これが"奪われる"ものではないことを巴は知っている。奈菜が何を"知って"いるかを、巴もまた解っている。
「でも聞きたいから言わせるよ、アタシ」
 受け入れる、望む、求める。
 殻は、剥がれる。


〈了〉


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