雪こそ降ってはいなかったが、お江戸の町は冬の寒さでヒリヒリしていた。
引き戸のがたつくボロの長屋で、結い髪も大雑把な冴えない女のマサは、目つきだけが鋭い浮世絵師のマサは、咥えた筆をゆらゆら揺らす。足先はけちな置炬燵の中、背には二枚のどてらを被って、埋もれるように寝転がる。目の前に広げる紙はどれもまだ真っ白だ。なんせその両の手も、すっぽり深く炬燵の布団だ。
「マサさん。マサさん。凍えて死んじゃあ、おりませんか」
ツギの貼られた障子戸が、声と同時にがたんと開く。マサを案ずる挨拶で、だのに調子はずいぶん明るい。
「寒いよ、おチヅ。早く閉めとくれ」
入ってきた島田の娘に、マサはため息くれて目を伏せて、筆を動かしせっついた。若く品よい姿のおチヅは、気を悪くする様もなく、寒い寒いと言いながらサッと戸を閉め上がり込む。
「相変わらず土産の一つも持たねぇでサ……エエ、オメェのせいで炬燵が冷えっちまった」
しとやかに、しかし無遠慮に横向いから布団を捲って足を入れるおチヅにぼやく。ひんやり冷えた足袋の先がマサのくるぶしに触れる。
「手土産なんて持ってきたら、マサさん、機嫌を斜めにするじゃあありません」
「たりめぇだ、お武家様からのお施しなんざ、お気分が悪ぃや」
「へそ曲がり」
おチヅは鈴を転がす声で笑う。身体を折って膝に被る布団に頬をつける。
マサはおチヅを振り返りもせず、両手をようやく引き出して、口から取った筆を墨につける。
マサの前に、描き散らした絵がどんどんと増えてゆく。どれもこれもワ印(春画)だ。マサも大抵の絵師と同じく、実入りの良い枕絵をよく描く。育ちの良い武家娘のおチヅは、この下賎な女絵師の元へ忍んで来ては、薄ら笑いを浮かべて、筆から生まれる紙の上のまぐわいを眺めて帰るのだ。
「……おチヅよゥ、オメェ……嫁入りはいつだったかな」
「今度の春のはずですよ、マサさん」
「顔も知らねぇ相手と夫婦《めおと》ンなってガキィこしらえて、大変だねェお武家様ってやつはサ」
「うふふ。仕方がないよ、お武家様はネ、紙屑絵師なんかとは違うんだもの」
「オメェも随分、クチが悪くなりゃあがったなァ。……」
「マサさんのせいだからね。……」
マサは返事代わりに鼻を鳴らし、筆をぽいと投げ捨てて、もそもそ動くと仰向けに寝転び直した。
「相手が醜男だったらヨ、オレがそいつに被す色男の面《めん》でも描いてやろうか」
「それはいい案じゃありませんか。マサさんの似顔でもヒトツ、描いてちょうだいな」
そう言っておチヅはまた笑い、マサは安かねぇヨとうそぶいて、また鼻を鳴らす。
炬燵の中ではいつの間にか足袋を脱いでいたおチヅの、まだ芯の冷たい素足が、マサの指の股をそっと擽っていた。
マサの描く枕絵は男にも女にもアノ部分にも色気が足りぬが、されど細やかに絡み合う足先だけは、名だたる大家に負けぬ艷っぽさだと、大袈裟に褒める者もいくらかあったのだった。
〈了〉
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