【Chapter 9】
男女二人連れのならず者が、こころもち足音を忍ばせるような足取りで宿の廊下を進む。どちらも右手にコルトのリボルバー。夜の景色を映す突き当りの窓の前、廊下最奥の部屋の前で、二人は扉の両脇につく。二呼吸置いて目配せを交わし、鷲鼻で栗毛の女が伸ばした片手で扉を開ける。男が先に、女が続いて部屋に乗り込む。
扉の正面、椅子の向こうにひとつの後ろ姿。リボンの巻かれた黒い帽子、黒いボブヘア、黒い上着。ならず者たちはそれぞれ銃を構え、その人影向けて発砲する。何発も撃ち込まれる銃弾と硝煙で薄白く濁る空間。的の人型から帽子が飛ばされ顕わになるのは、その下で煽られて揺れる、トルソーの首に引っ掛かるだけのウィッグ。
驚きで動きを固める二人の視界に、本物のシスレはクローゼットの陰から現れる。銀のデリンジャーから銃声が二発。男のほうが銃を弾き飛ばして胸を押さえ、ぐるりと身体を反転させて床に倒れる。
鷲鼻の女は銃口を下に向けながら強張った顔で相棒を見下ろし、それから紫のベスト姿のシスレを見て首を大きく左右に振る。
「ま、待ってくれ、俺たちゃ頼まれただけなんだ」
シスレは黙って微笑み、首を少し斜めに傾げる。鷲鼻の女は引き攣った笑いを浮かべ、半歩後ろへ後退し、逃げるような素振りを見せ――再び銃を構えた。しかしそれを見越していたような早さでシスレのデリンジャーは二発の弾を相手に贈る。女は派手な動きで壁に背中をぶち当てて、そのままずるりと床に沈んだ。
静かになった部屋の中、シスレは二つの死体を一瞥し、デリンジャーをベストのポケットに押し込みながら身代わりの案山子のもとへ歩く。
「やあ、いつも災難だねぇ」
開いたままの扉を背にしたシスレは、届く声にもはや表情も変えず、トルソーから自分の上着を剥ぎ取った。袖を通す動きのついでといったような様子で、半ばだけ振り向く。扉口にいるのはマーロウだ。
「またお前のしわざだな」
うなじから胸元まで襟に沿わせて指を通して上着を整え、軽くすらある平坦な口調でシスレが言った。マーロウは片口角を頬に食い込ませ、広げた両手を肩まで上げる。
「安眠できるようになるよ。アタシと組むとね」
シスレは片目を細め片眉を上げて、婉曲な返答を寄越すマーロウに視線を流す。マーロウは少し顎を引き、その視線を受け止めながらきちんと唇の両端で笑う。
朝靄の中、まだ人の気配もまばらな大通りに、ずっしりとした革鞄を提げたマーロウが立つ。彼女が出てきた建物の窓からは、カタカタと鳴る電信機を打つ老人の姿が見える。マーロウは一旦鞄を足元に置き、シャツの胸ポケットから嗅ぎ煙草のケースを取り出し、親指に擦りつけた粉末を鼻で吸い込んだ。何度か鼻を鳴らすと口元だけで笑みを作り、ケースを戻し鞄を持ち直して町の外へ向かって歩く。
町のゲートをくぐった先には、一台の馬車と、その幌を点検するように傍に立つシスレ。
「遅かったな」
マーロウに気付いたシスレが、幌馬車の後ろを閉めながら振り向いた。
「念入りに隠してたからね。出してくるのも時間が掛かるさ」
にやりと笑って鞄を掲げてみせるマーロウ。シスレは瞼を薄く閉じて曖昧に頷き、顎で御者台を指し示す。マーロウは示されたほうを見、馬車のすぐ隣を歩いて移動して、革鞄を御者台に載せる。
「開けて見せろ」
「番号を教えるのは後だよ」
馬車を挟んで向かいに立ったシスレが、整えるように手袋を引っ張りながら言う。マーロウも釘を刺しながらも素直に鞄を開ける。中には裸の金貨や丸められたドル紙幣が詰まっている。
「こいつは正真正銘マダムのカネだ、いただくのはちょっと気が咎めるが」
シスレが中身に頷くのを待ってから鞄を閉め、そこにもたれかかってマーロウはおどける。
「金庫の中身なら気にならないのか?」
シスレも反対側から御者台に腕を乗せ、皮肉るように唇を薄くする。
「あれはマダムが余所から騙し取った代物だ。なら騙し取られるのも運命ってやつ」マーロウは鞄の留め具を指で弾いてにやつく。「それに、そんなこと気にかけてられる? ちょっとやそっとの額じゃないんだよ、わかってるだろ」
つま先立ちになるほど身を乗り出して、マーロウがシスレに顔を近づける。シスレは無言でその視線を受け止め、一瞬だけ目をそらし、そして双眸を細める。
「じきに鉄道が通る土地の権利書だ。たかが鞄ひとつ分のカネの比じゃない」
笑って続けながらマーロウは腕の下の鞄を示すように掴み、伸ばした片手の甲でシスレの頬を軽く二度叩く。
「その場で分けられるもんでもないし、二人で牧場でもやるかい? あんたとなら賭博場かな?」
マーロウの軽口に、シスレは断りの苦みを乗せた笑みをわざとらしく浮かべ、彼女の手を払って御者台にのぼる。
「行くぞ」
腰を下ろし手綱を取りながらシスレが素っ気なく言う。肩をすくめたマーロウは鞄を御者台の中央まで押してから、自分も勢いをつけて上がり、鞄を挟んでシスレの隣に座る。シスレは横目でちらりと鞄を見下ろし、低い掛け声とともに馬車の手綱を振るった。
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