【Chapter 1】

 荒野の外れに小さな牧場があった。三つ編みのブロンド娘が空の飼葉桶を抱え、家畜を囲う柵から出てくる。少し少年的な中性さを持つ愛らしい顔立ちに意志の強そうな眉が印象的な娘だ。ジーンズに包まれた脚はいささか華奢だがしっかりと地面を踏みしめて歩いている。
 家畜小屋へ向かおうとした娘は遠くへ視線を止めて立ち止まった。飼葉桶を一旦足元に置き、駆け足に牧場の外へ出る。帰宅する者を迎える笑顔で。
 鹿毛の馬に跨って戻ってきたのも、ひとりの女だった。走り寄る娘に合わせ、微笑みながら馬を降りる。カウボーイスタイルのその女はかなり背が高く、すらりとバランスの良い体躯をし、栗色の髪は耳に掛かる程度の短さで、緑の瞳は宝石のように鮮やかであった。
 抱きつく娘を受け止めて挨拶を終えてから、女はシャツの胸ポケットを探る。掴み出したものを娘へ差し出す。女の掌にあるのは黄金色に輝く太陽のような意匠のペンダントだ。娘は驚きに口を大きく開けて女を見上げ、すぐに自分のジーンズのポケットを弄り、子供がばれてしまった悪戯の成果を改めて見せるときと同じ少しばつの悪そうな笑顔で細い鎖を引っ張り出した。その先にぶら下がっているペンダントトップは、女のものと同じ黄金色の太陽だった。娘は遠慮がちにそのペンダントを女に差し出し、女は面食らったふうに何度か瞬きをし、そして二人は同時に身体を折って噴き出すように笑った。女は娘の顔を両手で挟んで、二人は楽しげに額を擦り合わせる。それから二人は互いに選んだ同じペンダントを、互いの首に掛け合う。抱きしめ合い、キスを交わし、幸福に微笑み合った。

 栗毛の女はその日も外出から戻って馬を降り、妙な静けさの漂う自分の牧場を見渡した。怪訝な表情で馬をひとまず外に繋ぎ、大股で牧場の中へ入る。
「マリー!」
 女はあのブロンドの娘の名を呼ぶが、姿は見えず返事もない。
「マリー!」
 さらに声を張り上げながら大股で住居である小屋へ向かう。がたつく扉を開けた先に広がるのは荒れた室内だった。女は顔を強張らせ恋人を繰り返し呼ぶ。二階につながる粗末な階段を駆け上がる。二階の寝室もやはり荒れ放題に荒れていた。荒らされていた。女の視線は物の散乱する床を足元から這い、ベッドへと辿り着く。乱れて垂れ下がるシーツの上、赤いスカートと豊かなブロンドをベッドに広げ、マリーは仰向けに倒れていた。
 女は鮮やかな緑の両目を見張り、一際悲痛に名前を叫んで駆け寄る。マリーの身体を抱き起こすが、彼女は目を開けたまま確かに事切れていた。白いシャツにはスカートと同じような赤い染みが広がっていた。その首には、なにも掛かっていなかった。
 女はマリーの物言わぬ唇を震える指先でなぞってから自分のペンダントを胸元で強く握って、首を覚束ない様子で左右に振ると、あとは恋人の冷たい身体を強くかき抱いた。



 黒い馬に跨った女が町名の書かれた町のゲートをくぐる。目深に被るカウボーイハットのすぐ下から垂れるポニーテールは肩にかかる栗毛だ。帽子の庇の影の向こうには宝石のごとく鮮やかだが深く暗い緑の瞳が浮かぶ。なめした革のジャケットを着、黒のスカーフを細く首に結び、腰のホルスターに使い込んだ風合いの真鍮色フレームが光るコルト・アーティラリーを収めている。
 あまり人通りの多くない町の通りを女の馬は進む。住人と思しき通行人は怪しむような不躾な視線を向けるが、女は意に介さない。小さな酒場の前で馬を降り、繋いだ馬から鞍袋を下ろして肩に掛けると、スイングドアを片手で押し開けた。一瞬しんと静まった酒場の中には、荒くれふうの男女あわせて六、七人の客と、店主らしいバーテンが一人、やる気のなさそうな踊り子が一人いて、そのすべての視線が排他の鋭さを持って栗毛の女を刺した。女は鋭い眼差しを一巡りさせ、動じる様子もなくカウンターに歩いた。
「ウイスキー」
 短く告げる女を、グラスを磨く店主が一瞥する。そして手を止めずに答える。
「切らしてるよ」
「ならビールだ」
「ないね。ワインもテキーラも品切れですよ」
 酒瓶の並ぶ棚の前でわざとらしいほど目線を手元に固定して、店主は女を露骨にあしらう。女の両目が険しさで細り、それと同時に背後から野次が飛ぶ。
「よそ者にゃ馬の小便くらいしか出ねぇよ!」
 とたん、酒場中が嘲りの笑い声で満ちる。栗毛の女はカウンターに片手を置いたまま身体ごと半ば振り返る。哄笑のなか、野次の出どころらしい鷲鼻の女が咥え煙草で立ち上がって近づいてくる。
「何モンだい、あんた」鷲鼻の女は“よそ者”の隣に立ち、カウンターにもたれた。「お尋ね者か、賞金稼ぎか」女の視線は“よそ者”の腰のホルスターにちらりと落ちる。「ただの根無し草ってことはねえな」
 栗毛の女はほとんど姿勢も変えず、無言で鷲鼻の女を見下ろしている。鷲鼻の女は口元を引き攣らせて笑う。
「まぁいい、一杯くらい奢ってやるさ」
 そう言うと店主の手からグラスを奪い、音を立てて手元に置く。傍のビール樽の影に置かれていた酒瓶を取るとグラスに琥珀色の酒を注ぎ、女は女の顔を睨みながらボトルを一際乱暴にカウンターに戻す。
 栗毛の女の視線も、酒の入ったグラスに落ちる。おもむろに伸ばした手がグラスを掴み、しかし持ち上げる直前に、鷲鼻の女が咥えていた煙草をその中に突っ込んだ。
 再び背後で笑い声が起こる。鷲鼻の女もそのギャラリーのほうを向いて肩を揺らす。この場で唯一のよそ者である栗毛の女は瞬きひとつ分そのままグラスを見つめ、次の瞬間には吸い殻入りの酒を目の前の顔に引っ掛けていた。笑い声が失せ、鷲鼻の女は閉じた目蓋に伝う酒を手で拭う。そしてぎらつく目で振り向いたその頬に、栗毛の女が右拳を叩きこむ。踏ん張って堪えた鷲鼻もすぐさま大振りに殴り返し、酒場は暴力に包まれる。同じく踏み留まって崩れなかった栗毛の女が左拳でもう一発お見舞いする頃には、テーブルの荒くれ者たちも皆立ち上がり、相手は一人ではなくなっている。
 横から襲いかかってきた一人のパンチを栗毛の女は屈んでかわし、カウンター上のボトルを掴んで相手の頭で叩き割る。倒れたそれと入れ替わりに突進してきた別の一人の体当たりで栗毛の女は床に突き飛ばされ、待ち構えていたように頭上に振り下ろされた椅子を横に一回転がって避ける。
 体勢を立て直した鷲鼻の女が堪りかねた様子で銃に手をかけるが、栗毛の女も続けてもう一回転がりきったときには腰の銃を抜いていた。仰向けの栗毛の女はコルトの引き金を引き、その弾は正確に鷲鼻の女を狙い撃つ。鷲鼻の女は抜いたばかりの銃を落として大きく後ろに倒れる。踊り子の悲鳴が上がる。上体をわずかに浮かせただけの姿勢からファニングによって二発目三発目が繰り出され、荒くれ者があと二人倒れる。栗毛の女はもう一度転がり、その勢いを利用して素早く飛び起きる。そこまでだった。
 酒場のスイングドアが硬質な音をともなって荒々しく開けられ、栗毛の女を含めて全員の動きが止まる。
「どいつも動くな」
 戸口を遮るほどの影が発する、低い声が響く。声の主は右腕に――それでもってドアを押し開け今も押さえている――ウインチェスターライフルを抱えて構え、左手にウイスキーのボトルを握り持ち、豊かな胸に掛かる黒いベストに銀の五芒の保安官バッジを光らせる、ひどく大柄な女だった。保安官はライフルをドアから外し、ことさら重い靴音を響かせ、銃口を向けながら栗毛の女に近づいた。栗毛の女もそれに合わせ、少し低くしていた姿勢を戻して真っ直ぐに立ち、銃を握ったまま両手を肩の高さに上げる。百八十センチ以上はある栗毛の女よりも保安官の女はさらに背が高く、服の上からでもその肢体を見せかけでない筋肉が支えているのがわかる。色素の薄い金髪を肩まで垂らし、肌の色と同化する眉の下、落ち窪んだ両眼の奥には、氷のような青い目が宿っていた。
「ルーシー・ウィルモットだ」酒瓶を握る手の親指で、保安官バッジを見せつけるようにベストを引っ張って名乗る。「アタシの町で騒ぎは困るね」
 ベストから手を離し、ついでのように酒瓶を煽る。二飲み分動く喉を栗毛の女は見つめ、瓶から口を離したウィルモットはライフルの銃口で女の腹を小突いた。
「ついでに、酒場への銃の持ち込みは禁止だぜ」
 そう告げられた栗毛の女は視線だけで周囲の荒くれ者が手にする、あるいはホルスターに収める銃を順に眺め、保安官のライフルを睨み、自分の銃を横目に見た。ウィルモットは裂けるような歪んだ笑みを唇に浮かべ、大きく一度肩を揺らす。酒瓶を傍のテーブルに置き、空いた左手で栗毛の女のコルト・アーティラリーをもぎ取る。
「“よそ者”はな。そういう決まりだ」
 嘲るように言ってからウィルモットは笑みを消し、酒場を見回す。
「三人殺したか。一人でも殺しゃ縛り首だ。充分すぎるな」
「殺してない」
 保安官の言葉に栗毛の女は抑揚なく、しかしはっきりと抗う。ウィルモットはおどけたように薄い眉を上げ、改めて視線を回してみせる。倒れている影は三つだ。確かにそのどれも、弱々しいながら苦痛に身動ぎをしている。
 ウィルモットは栗毛の女から奪った銃を顔の高さに掲げ、ためつすがめつすると、おもむろに撃鉄を起こす。その背後で鷲鼻の女が腹部を押さえて起き上がろうとしている。ウィルモットは腰をねじって上体だけで振り向き、ためらいも表情もなくその身体に弾丸を二発撃ち込んだ。鷲鼻の女は雷に打たれたような痙攣と硬直のあと、音を立てて首を床に落とし、目を見開いたまま事切れた。
「この銃は誰の銃だ?」
 ウィルモットは栗毛の女のコルトを頭上に掲げて見上げ、ゆっくりながらも声高に問う。
「そのよそ者の女の銃だ!」
 荒くれ者が一人、顔に汗を張り付け叫ぶ。
「哀れなヘレナを殺したのはどの銃だ?」
 指の代わりにライフルで死んだ女を指し示し、保安官は更に問う。
「そ、そのよそ者の女の銃だ」
 別の一人が、喉を鳴らし言葉を少し詰まらせながらも答える。
 ウィルモットは満足気に低い笑い声をあげて、栗毛の女を見下ろす。栗毛の女は射るだけに足らず抉り貫くような目で、上目遣いに保安官を睨む。荒くれ者の一人が栗毛の女のガンベルトを外し、ウィルモットに手渡す。
「よそ者、この町の法律の名前を知ってるか?」ウィルモット保安官は動じる様子もなく、口元を大きく歪ませる笑みを向けながら女の銃を収めたガンベルトを肩に掛ける。「ルーシー・ウィルモットだ。さあ来い」
 無傷の人間が二人、栗毛の女の両腕を後ろから掴み、外へ追い立てる。ウィルモットはテーブルから酒瓶を取り、再びラッパ飲みをしながら、ライフルを抱え構えて続く。



  NEXT→

裏切りの用心棒
novel
top