【Chapter 12】
崩れた建物はたっぷりと陽の光を取り込み、壁の内側に大木が生えて祭壇に木漏れ日を落とす。ジュディスとノウンはその廃教会の二階相当位置、壁面にある窓状の窪みに身を潜める。
教会の入り口付近に、繋がれた馬といかにも人相の悪い男女が合わせて三人。青いズボンの北軍崩れも交じる。一人が麻袋を持ち、中に紙幣や金貨が入っているのが見えた。
ジュディスたちが機会を窺う視線を向けていると、さらにもう一人馬に乗って姿を現す。猿のような顔の小柄なメキシコ女。
「あれあのお猿ちゃんじゃないの」
ノウンがジュディスに身体を寄せ、ごく小さく耳元で囁く。ジュディスもほとんど呼気に近い声量で肯定を返す。
「モノーだな」
「なんでいるんだろう」
「わからん。フェルネスが私を探させてるんだろうが……」
ライフルを携えるモノーはならず者たちの傍で馬を降りた。頭を振ったり頷いたりとやり取りをしている様子が見える。
「どうする？ お猿ちゃんにゃ賞金は掛かってないと思うけど」同じく両手でライフルを持つジュディスにノウンが首を傾げる。「カネにならない殺しはやらなかったりするかい？」
「そんなルールのほうがそれこそカネにもなんにもならん」ジュディスは陰から覗く片目でモノーたちを冷静に見据えるまま答える。「時と場合による」
それからライフルを胸の高さに持ち上げ、静かに撃鉄を起こし、少しだけノウンに視線を流す。そこにはわずかな揶揄と自嘲の色が含まれる。
「失望したか、英雄に憧れる子供とやらは」
ノウンは顎を引き、上目遣いでおどけた笑みを浮かべる。
「あたしはあんたの腕が見たいだけさ」
言葉ではなにも答えず、ジュディスは瞼を伏せ眉を少し上げた。すぐに目を開けモノーたちを見る、ライフルを構える。ポケットからノウンが懐中時計をそっと取り出そうとしたのを片手で制して、唇の動きで伝える程度の囁き声で言う。
「お前が数えろ」
ノウンは大きな目をくるりと瞬かせて、それから歯を薄く覗かせてにんまりと笑った。緩く握った拳を掲げ、無音のまま数字の発音に口をぱくつかせて、人差し指から順に立ててゆく。
だがその十秒のカウントの丁度半分で、なにを察したのかモノーが鋭い動きで二人の居場所を仰ぎ見た。その場にいる人間すべての目が開く。
なによりも先んじたのはジュディスの銃声だった。カネの入った麻袋を持っていた女が、突き飛ばされたかのように派手に後ろに倒れる。
続くのはモノーのライフル。銃を抜いたノウンの潜む窪みの傍を穿ち、壁の破片が砕け飛び散る。
ジュディスとノウンは咄嗟に陰に身を引いてやり過ごす。その間にならず者の男二人も銃を手にする。ジュディスのレバー操作で薬莢が弾き出される、すぐさま男の一人が身体をほとんど一回転分ひねって地面に沈む。もう一人の男とモノーから数発の銃弾が返り、二人はまた身を隠して、そして同時に引き金を絞る。
物陰に走ろうとしていた男がつまずくに似た様子で倒れ、凹凸の激しい砂利の上を何度か転がってから仰向けで事切れる。
最後に残ったモノーはその時点で踵を返して駆け出した。ノウンは銃を向けるが、ジュディスが首を横に振りながら遮る。実際相手の姿は既に建物の壁の向こうだ。
モノーは小柄さを補う身軽な動きでよじ登るように馬に乗って廃教会から退却する。
ノウンは少し険しい顔で笑ってみせて、今いる場所から飛び降りた。二階分の高さを難なく着地して走る。ジュディスも一瞬同じように下を見下ろしたが、眉を顰めて後退りをし、その窓状のうろ――トリフォリウムの名残から、外に繋がる斜面を滑り降りる。
外に出たノウンは繋がれていたならず者たちの馬を解き、やはり馬跳びの要領で跳び乗る。そして手綱で馬を制御しながら、建物の裏から駆け足で現れたジュディスに片手を伸ばす。
「こっちこっち！」
ジュディスは歪めるように両目を細めるものの、すぐに走り寄ってその手を掴み、勢いよく引き上げられるままノウンの前に跨る。
ノウンが手綱を繰り、ジュディスがライフルを構えて、馬は逃げた獲物を追う。
モノーは首に掛けたメキシカンハットを弾ませ、時折背後を振り返りながらも馬を全力で走らせる。ノウンたちは一定以上距離を縮められず、また、その揺れる視界にジュディスが顔をしかめる。何度かライフルで狙いをつけ、首を振って顔をあげることを繰り返す。
「どうする？ 諦める？」
眉間に皺を刻んで馬を急がせ、しかしふざけるように間延びした口調でノウンが笑う。
ジュディスはまたしばらく銃身の向こうにモノーを睨んでから、結局下ろす。
「いや」
短く答え首を振る。そしてライフルを鞍に差し、腰のホルスターの留め具を外して銃を抜く。ジュディス・ネックの銃。S&Wラッシャン、彫刻《エングレーブ》モデル。ノウンの目が丸く開いて輝く。
ジュディスは揺れる馬上でピストルの撃鉄を起こした。左手でたてがみを掴んで身体を支え、右手を伸ばして真っ直ぐ構える。
刹那ぴくりと眉を動かしたが、しかしもはや集中の時間も求めず、狼に似た琥珀の瞳で逃げるモノーを捉える。
荒く刻まれる蹄の音の中、鋭い銃声が一発きり、高らかに荒野を裂く。
馬だけは遥か先に走り去り、落馬したモノーの身体が地面を転がる。そこへジュディスたちが追いつく。目を大きく見開いたモノーの死体を見下ろして、ジュディスは銃をホルスターに戻した。
ノウンが先に馬を降り、モノーの死体に近づいてしゃがむ。その背後で馬上のジュディスが口を開く。
「もうひとつお伽話を台無しにしておくとな」
途中で一旦言葉を切って、重い動きで馬を降りる。そしてほんの少しばかり軽い声音で続ける。
「逃げる奴は背中を撃つしかない」
立ち上がって振り向いて、ノウンは眉を上げた楽しげな笑顔で浅く何度も頷く。
屋敷の前でフェルネスはなにかを待ち構えるように佇んでいる。凝視する先は町の入り口方向から常歩で近づいてくる一頭の馬。蹄の乾いた音を立て、背中にうつ伏せの小柄なメキシコ人の死体を担いだ、操る者のない青毛の馬。
三白眼をぎょろつかせ結んだ口元を曲げ、フェルネスは目の前までやってきた馬を、載せられたモノーの死体を睨んだ。そして背に止められた紙切れに気づいて乱暴な手つきで毟り取った。そこには炭による太い文字が殴り書かれている。
『From J to F 《ＪからＦへ》
Tomorrow 《明日》』
フェルネスの瞳が虚空を睨めて、大きく震えた手が手紙を握り潰す。
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