〈85年6月同日 W-14ストリート〉

 車のハンドルを握ったまま信号が変わるのを待っていたビレンは、不意に横から被さった影に外を見た。こちらを覗き込むひとりの警官の姿がサイドガラスの向こうにある。見覚えのある顔だった。彼が窓をノックしたところで信号が変わったので、ビレンは一旦車を少し動かし、路肩に寄せてから窓を開ける。
「ちょうどよかった、ミスター・ガートラン。さっき無線で連絡をもらったところだったんです。あたしのことは覚えておいでですか」
 まだ若い、少し肥満の気がある赤毛の男が、がらがらとした声で言った。ビレンは開けた窓からその姿を見上げ、頷く。仕事で関わったこともあるし、数年前に射撃のインストラクターとして接したこともあった。
「覚えている。ベンソンだ。連絡というのは?」
 ビレンは窓をさらに開けながら尋ねた。ベンソンという名の警官は、引き金通りの方向を示してみせる。
「今日、引き金通りで死んだ男のことですよ」
「発見者というのは君か」
「そうです。もうひとり、相棒も一緒でしたがね。今はお急ぎですか、ミスター・ガートラン?」
「ああ、少し……」
 ヴァレアのことを口にしかけて、ビレンは言葉を切った。警察が動くことで、ヴァレアとともにいるであろうホンファの側も、なんらかの行動を起こす可能性があるからだ。そう思うからこそ、誰も警察に協力を得ての捜索を言い出さなかったのだ。ビレンはハンドルを数度指で叩いてから首を振り、自分の言葉を打ち消した。
「いや、いいんだ、話は聞かせてくれ。状況を少し詳しく、だができれば手短に」
「と言っても、たいしたことは……いつものことですからね」
 警官はポケットから手帳を取り出し、少しもったいぶった仕草でそれをめくった。しかし、そこに特別必要な情報が書かれているようにもビレンには思えなかった。
「正面から撃たれているのに、抵抗の様子もなかったそうだが?」
「ええ、そうです。実際、寝こけているところをやられたんじゃないですかね。こう、ゴミの山のところにごろんとね」
 手帳を片手に持ったまま、ベンソンが上体をだらしなく後ろに傾ける仕草をしてみせた。
「ただ、やっこさんの身体が少し引きずられたようになってましてね」
「どういうことだ」
「つまりゴミの山から、誰かが引っ張り出そうとしたような、そんな状態ですよ。自然にずり落ちた感じではなかったな。死体をどうにかしようとしたんでしょうかね。金目の物でも探そうとしたのかも」
「君たちは銃声がしてすぐに駆けつけたんだろう?」
「そうですとも。だから下手人は死体漁りも中断して逃げたんでしょうよ」
「誰の姿も見なかったんだな?」
「ええ。我々は誰も。少なくともあたしは誓って言えます」
 相棒の分までは誓わないベンソンのしたたかさを内心で"称賛"しながら、ビレンは少し思考の間を置いた。
「殺された男《ジョン・ドゥ》の話だが、奴は酔っていた?」
「だろうと思いますよ。ゴミの臭いと硝煙の臭いが混じってなんともたまりませんでしたが、酒の臭いも確かにしましたね。あれはアル中の類いですよ、ミスター。ただ、死体を片している最中にやっこさんの顔見知りだったらしい爺さんに会いましてね、聞いた話なんですが」
「聞かせてくれ」
「やっこさん、基本的には機嫌の良い奴だったらしいんですがね。最近は荒れてたらしいですよ。しかもちょっとばかりイカレかけてた」
 ベンソンがこめかみを指で叩く。ビレンはそれに眉を寄せた。あの日会った男は確かに酔っ払いだったが、まだそれ以上のものではなかったように思えたからだ。
「筋金入りの"酒好き"が、なにを思ったか酒にまわす分のカネをドラッグにもつぎ込み始めてたんじゃないでしょうかね。カネがない、女も酒ももうお終いだ、とわめき散らしてたって話で。だとすると、売人とのトラブルの可能性もあるかも知れませんな」


 ビレンは警官と別れ、引き金通りに向かって車を走らせていた。あの日、あの少女娼婦がなにを持っていたとヴァレアは言っていたか。酒の臭いのする小瓶だ。そんな少量の酒では幾らのカネにもならない。だが、その酒にドラッグが混ざっているのなら?
 ビレンは一度ハンドルに拳を叩きつけた。売春とドラッグは相性が良い。欲望を操って常習化させ、常連を作りやすい。酒の体裁で取引をするほうが、ドラッグそのものとしてやり取りするよりも目立たない。ホンファが小瓶を持ち出したのは、はなからそれを警察に取り上げられる前に逃げ出すつもりだったからだろう。まったくしたたかどころの話ではない。
 ホンファという少女は、やはり明らかに犯罪者集団の中にいる。少なくともカーク一家のような、同情すべき善良な移住者ではない。
 あの男を殺したのも、彼らの可能性が高いとビレンは思った。あの男が客であると我々に割れていることを、彼らは知っているだろうから。当然死体も始末しようとしたところを、"不幸にも"警察に駆けつけられて断念したのだろう。
 子供に売春をさせ、ドラッグを売り、殺しもする。彼らは生きるためにやむを得ずそれらに手を染めているのではなく、あくまで意思をもってそれらを行なっているのだと、ビレンの勘は告げていた。そんな連中のひとりである少女と、ヴァレアはともにいる。
「なんてことだ」
 神に祈ることも、神を恨むこともできない無神論者の自分を、ビレンは少し呪った。


 ←BACK  NEXT→

TRIGGER Road
novel
top