【Chapter 2】

 小柄な女が、酒場の二階から階段を下りてくる。ブーツの硬質な足音と、踵の拍車の金属音は、夕刻の喧騒でほとんど掻き消される。
 とはいえその酒場もそれほど繁盛しているわけではなく、十人にも満たない客と、酷く狭いステージでカンカンを踊る赤いドレスの踊り子が一人いるだけだ。
 まだ若く背の低いその女は砂色の長いダスターコートを着て、庇のカールしていないカウボーイハットを被り、首にはスカーフを細く、ジーンズを穿いた腰にはガンベルトを太く巻き付けている。
 彼女は、帽子の下に覗くアッシュブロンドの巻き毛から『エンジェル・ヘア』、もしくはその猫のような印象の、そして時折金色にも見えるヘーゼルの瞳から『ゴールド・キャット』と呼ばれていた。
 エンジェル、あるいはキャットは、階段の途中で一度足を止めて特に何事もない酒場を見渡し、それから改めて一階へと下りた。カウンターに向かい、その上に肘をつくと、そこの主人が小さなグラスをキャットの前に置いて、ウイスキーを注いだ。キャットはこの酒場に雇われた用心棒で、酒の一杯か二杯なら、タダで頂戴できる身分だった。
 キャットがウイスキーをあおるとちょうど、酒場のスイングドアがバタンバタンと誰かを通した音を立てる。酒をあおりきった体勢のままキャットはそちらへ視線を流し、そして入ってきた老婆と目が合った。背中の少し曲がった、小柄なキャットよりも更に小さい老婆だ。足首まであるくすんだ緑のスカートに、妙に鮮やかな紫のベストを着ている。
 老婆はキャットの姿を認めるとにたりと破顔して、小股の早足で傍に寄ってくる。
「エンジェル」
「なんだい」
 キャットは空になったグラスをカウンターに置きながら素っ気なく答える。老婆の声はしわがれているが甲高い。
 老婆は呼びかけただけで、些か不気味な愛想笑いをしながら、キャットの顔と、カウンターの中の酒棚を交互に見る。
 主人は知らんぷりをしている。この貧乏で呑んだくれの老婆に慈悲の一杯などくれていてはきりがないことを知っているからだ。
 キャットがポケットから硬貨を一枚取り出しカウンターに置くことで、主人は黙ってカウンターにもうひとつグラスを置き、ウイスキーを注いだ。
 老婆は両手を打ち合わせて笑みを深くし、その皺だらけの骨のような――そして若干震える――手でグラスを取った。
「よそ者が来たよ」
 ウイスキーを大事そうにちびちびと何口かすすり、老婆が囁く。
「あたしもよそ者だけどね」
「そうだ。そうだよ。でもあんたはもう三ヶ月はいるだろ、エンジェル」
 老婆はウイスキーの残りを一気に飲んで、大きなげっぷをしてから言った。
「違うよ、今さっき来たのを見たんだよ。なんだかよさそうな黒い馬に乗ったのが町に入ってきた」
「金持ちか?」
「わからん! だけど持ってないってことはないだろ、そんな雰囲気だよ。只者じゃない……」
 老婆の早口と大仰な物言いにキャットは肩をすくめ、身体の向きを変えてカウンターに背中を預ける。
 コートのポケットから葉巻一本とマッチを取り出し、葉巻の端を噛みちぎってから、身体を少し屈めて片足を後ろに上げ、ブーツでマッチを擦って点火する。
 低い格好のままそのマッチを咥えた葉巻に近づけたところで、再び酒場の扉が誰かを通した。ゆっくりと押し開けられる軋み音と共にだ。
 キャットの下がった視線はまず来訪者の足元を捉える。黒いズボンの上に穿いた黒いブーツ。ホルスターが身体の横ではなく前にきているガンベルト。マントの隙間から覗く黒のベストと白のシャツ。キャットが低くしていた姿勢を戻す頃には、眼帯のせいで鋭さの強調された暗いブラウンの左目と、猫のヘーゼルの両目がぶつかり合っていた。
 レダーナは感情の見えない眼差しをキャットからカウンターへ移し、彼女の手を離れた扉が、今度は勢いよくバタン、と閉まって、しばらく前後に小さく揺れる。
 手を振ってマッチの火を消したキャットの前に、酒場の主人は実にタイミングよく灰皿を置く。キャットに寄り添う老婆が、『あれだ、あれだ』とキャットの陰で唇だけを動かす。キャットは、言われなくてもわかるとばかりにマッチの燃えカスを灰皿に投げる。
「酒《ウイスキー》だ」
 カウンターの前に立ったレダーナが、硬貨を置きざまに短く注文を告げる。主人はキャットや老婆のものと同じグラスを、小気味よい音を伴ってレダーナの前に出した。琥珀色の酒が注がれる。
 その間に、レダーナは懐から巻紙を取り出した。ゲール・ブレナンの手配書だ。
「この女は、この町にいるか?」
 カウンターの上に手配書を広げ、レダーナが主人に尋ねる。酒場の主人はそれを視線だけで見下ろすと、勘弁してくれとばかりに上体を後ろに反らした。
 キャットは横目でその手配書を見て、唇を歪めながら煙を吐く。
 そんなキャット越しに身を乗り出して覗き込んでいた老婆だけが、大きな口を開け、ちょこちょことした早足でレダーナの隣に回りこんだ。
「あんた、あんた、随分大物狙いだね」
 その甲高い早口に、レダーナが老婆を見下ろす。先を促すような圧力が、帽子の下からの眼差しの中にある。
「ところで、このグラスはどう見えるね? さっきまでいっぱいだったはずなんだよ」
 老婆が空のグラスを掲げる。レダーナはゆっくりとした動きでもう一枚硬貨を取り出すと、それを置きながら酒場の主人に対し顎を動かす。指図された通り、主人が老婆のグラスにもう一杯のウイスキーを注いだ。
 老婆は二本ほど欠けた歯を見せて笑い、そのグラスを両手で握って額に当てた後、唇をすぼめて一口すすった。レダーナはカウンターに片肘をつき、険しく老婆を睨んでいる。老婆はそんなレダーナを上目遣いに見て、慌ててグラスを一度カウンターに置いた。
「いや、まあ、あんまり大きな声じゃまずいんだよ」
 そうしなければ声も小さくならないと言わんばかりに、肩を縮めながら老婆はひそひそと言った。
「だってあんた、こんな大きくもない町で、たとえばシェリフに楯突けると思うかい?」
「奴はまだシェリフなのか」
 レダーナの低い声が、老婆の高音に被さる。
「いや、いや、シェリフは別にいる……たとえだ、あの女は違うよ。昔そうだったって噂だけど」
 老婆はアルコールに震える手で再びグラスを取り、それから気づいたようにレダーナを見上げ直す。
「あんたあの女を知ってるのかい」
「名前も顔も賞金額も知ってるさ」
 広げていた手配書を丸めながら、レダーナはごく薄く口元だけで微笑んだ。
 老婆は左右に首を振り、残りのウイスキーをあおる。
「とにかく、あの女はやめときな。エンジェルだって敵うかどうかわからないんだからね」
 強い音を立てて空のグラスをカウンターに戻した老婆が、口元を拭いながらキャットを指差して言った。
 葉巻を吹かしていたキャットは、名前を出されて横目で二人のほうを見る。レダーナは、示された方向に緩慢に振り向き、そしてキャットを見下ろした。
「若いからってバカにしちゃいけないよ、用心棒、情無用のエンジェル・ヘア、早撃ちのゴールド・キャット様だ」
 まるでレダーナにおぶさるような格好で身を乗り出しながら、手で銃の形を作り、老婆が見世物の口上のような大袈裟な抑揚でまくしたてる。
 キャットは眉を寄せ呆れたような、しかし否定も肯定もしない笑いで煙混じりの呼気を吐く。
 レダーナはただじっと、表情もなく、また言葉もなく、キャットを見据えている。
「……なんだよ」
 キャットは葉巻を左手に持ちながら、カウンターにもたれさせていた身体を起こす。二人の間の空気が、剣呑な色を含んで張り詰める。
 なおもレダーナはキャットの全身を一度眺め、たっぷり二呼吸分は無言を返した後、おもむろに口を開いた。
「チビにロングコートは似合わんぞ」
 その瞬間、キャットの右の拳がレダーナの頬に叩き込まれる。レダーナは後ろによろけ、派手な音を立ててカウンターにしがみつく。レダーナの後ろにいた老婆は、危うく巻き込まれそうになりながらとっさに横にすり抜けた。酒場の喧騒がいっぺんに消える。
「もういっぺん言ってみろ!」「ちょっとエンジェル! あたしまで一緒に吹っ飛ばす気かい!」
 キャットが怒りに上気させた顔で、レダーナに向かって怒鳴った。
「いいか、もういっぺん言ってみろ。ただじゃ済まさない」「年寄りが尻餅でもついてみなよ! 下手すりゃそのままお陀仏なんだからね!」
 レダーナは頬を押さえながら体勢を戻し、やはりなにも答えず、その隻眼を細めてキャットを見ただけだった。
 老婆がずっと甲高くわめき散らしているが、キャットもレダーナも相手にしない。
「空いている部屋はあるか」
 頬を手の甲でさすってから、レダーナは酒場の主人のほうへ向き直って言った。
「腰抜けめ」
 キャットは威嚇する猫のように眉間から鼻筋に皺を寄せて吐き捨てる。
「あ、ありますよ、ご用意できます」
 そのキャットの様子を気にしながら、主人がようやく声を出す。カウンターの下から宿帳を取り出し、レダーナの前に広げる。
「そんな度胸で一万ドルの賞金首狙いかよ」
 キャットがなじり続けるが、レダーナは平然とペンを取り、宿帳に名を記している。
「銃は気取って前に下げてんのか、おい、だいたいそんな片目で弾なんて当てられんのか?」
 レダーナは少しの間動きを止めた。左目がゆっくりと、どこを見るでもない上方を向く。しかし結局は記帳を終え、ペンを置いた。主人がそそくさと宿帳をしまう。
「突き当たりのお部屋です、どうぞ」
 主人から鍵を受け取り、レダーナは手付かずだった自分のウイスキーを一口で飲み干す。そして素知らぬ顔で、キャットの横を通り過ぎ店の奥へ向かって歩いてゆく。途中、緊張した顔でステージに棒立ちになっている踊り子に目を止め、思いついたように酒場の主人を振り返る。
「女は用意できるのか?」
「で、できます。少しお時間を頂ければ……なにかお好みは」
「ブロンドでなければなんでもいい」
 主人は小刻みに頷いて、レダーナはそれを見てから二階へ続く階段を上り始める。
 キャットはその後姿を苦々しい表情で睨んだ後、不機嫌さの滲む足取りで酒場の扉へ向かう。
「小娘」
 だが、レダーナの低い掠れ声がそれを止めた。
 剣呑な眼差しのまま、キャットが扉の前でゆっくりと身体ごと振り向く。
 そして完全に身体の向きを変えた瞬間、階段の途中で振り返ったレダーナの放つ弾丸が、銃声と共にキャットの帽子を撃ち飛ばした。
 弾かれた帽子は、スイングドアの上部から外へ落ちる。散ってゆく煙、漂う火薬の臭い。
「片目でも慣れる」
 レダーナは唇の片端を上げて薄い笑みを浮かべ、パープルシルバーの銃を静かにホルスターに戻した。
 巻き毛を押さえながら、キャットは憤怒に揺れる、しかし呆然とした眼差しで前上方を見据え、隻眼の女は階段の先へと姿を消す。



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夕陽の決斗/黄金ガンマン
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