【Chapter 10】

 シスレとマーロウを乗せた馬車が進む荒野は、白にも近い一面の灰色。隆起する小山に囲まれた広い道で、幌馬車は揺れる。
「隠し場所の廃坑ってのは、そろそろだろうかね」
 手綱を握るシスレの横で、前方を眺めて悠々座っていたマーロウが呟くように言う。シスレはちらりと視線をやっただけで、明確には答えないが否定もしない。マーロウも薄くにやりと笑いかけるだけで、それ以上は言い募らない。両手を頭の後ろで組み、そのまま伸びをする。
「ちょっと止まって」
 そして力を抜くのにあわせ、解いた片手を不意に上げる。シスレは片眉を弓形にし、しかし言われた通りに手綱を引いて馬車を止めた。
「なんだ」
「用足し」
 マーロウはふざけた口調でそう言って、鞄の取っ手を握って御者台から飛び降りた。まず自分が地面に足をつけてから鞄を引きずり下ろそうとするのを、シスレが片手で押さえる。
「こいつは置いていけ」
「置いてったら、アタシだけ置き去りにされるかも。逃げはしないよ」
 顰め面のシスレに、笑顔のマーロウ。シスレは少しだけ眉間の皺を深めたが、結局鞄からは手を離す。マーロウは愛想よくウインクをし、重い鞄を提げて離れた。馬車の後方、道の外れの岩陰へ向かって歩く。その後ろ姿を、シスレは御者台の上から見ている。
 屈んだ人間なら数人充分隠れる大きさの岩の隣、マーロウは立ち止まる。馬車に背を向けたまま、号令を掛ける軍人さながらに自由な片手を上げる。
 なにかに気づくように目を見開くシスレ。同時に岩陰から顔を出す三人のならず者。二挺のウィンチェスターと一挺のコルトが一斉に火を噴き、馬車を襲う。外れた弾の飛び散らせる木っ端や巻き上がる砂煙を、シスレが顔にかざした腕で防ぐ間に、隣の岩からも同じく銃器を構えた数人の男女が立ち上がる。その中には亜麻色の髪のマダム・パクストンもいる。
「テリーは後回しよ、その女だけでも殺しなさい!」
 自身もライフルを持ち、四白の目を怒りに剥いてパクストンが叫ぶ。それを合図に、道の反対側にある岩の向こうにも荒くれ者の顔が並ぶ。十数の銃口からの十数の銃声。へたり込んだ馬の上を銃弾が飛び交い、シスレは幌の中へ文字通り転がり込む。ライフルのレバー音やリボルバーのハンマー音が絶え間なく混じり合い、攻撃は弱まらず、姿の隠れたシスレを滅法に狙う。集中砲火によって馬車の幌は次第に骨組みを崩し、低く潰れてゆく。屈んだマーロウは岩の端からその様子を表情なく睨んでいる。
 砂塵のためか硝煙のためか、視界を奪われるほど馬車の周囲は白く煙り、幌は荷台に沈むただの襤褸に変わる。そうなってようやく、誰の合図によってでもなく、自然と銃声は減ってゆく。音が完全に止む頃には、辺りを覆う白も散って沈む。
 マダム・パクストンは無残な幌馬車をしばらく睨み、岩陰を出た。マーロウは未だ岩の向こうでじっと様子を窺っている。象牙色のロングコートの裾を翻し、砂利を踏み締める音を立てながら馬車のほうへ歩く。だがさして距離を縮めないうちに、パクストンの足は警戒で止まる。
 潰れた幌がのそりと動いた。それはゆっくりと、徐々に、高く、盛り上がる。立ち上がる。穴だらけの幌はシーツのように静かに剥ぎ取られ、荷台にばさりと落ちる。姿を見せる、無傷で黒衣のギャンブラー。銀に輝くウィンチェスターM92を携えた長身の女。
 パクストンの両目は丸く開かれ、片方だけ覗くマーロウの目は険しく細まる。帽子に巻かれた白い極細リボンを幾筋もなびかせ、堂々と馬車の上に立つシスレは、口も開かず不敵に微笑んだ。素早く腰だめに構えられるライフルと、押し下げられるレバー、引かれるトリガー。今度の銃声の初手はシスレ。響いたその一発に、パクストンが弾けるように仰け反り、彼女のライフルも放り投げられるように手を離れ、上質な衣服に包まれた身体は砂埃の舞う地面に倒れ伏す。
 シスレはそれを見届けもせずに、すぐさまウィンチェスターの連射に移る。薄汚れた手袋が鮮やかにレバーを操作し、並ぶならず者たちを手当たり次第に狙う。呆然としていたパクストン一団もようやく我に返り応戦を始めるが、誰の弾もシスレに当たらず、シスレの弾は一人また一人と崩してゆく。立つ位置はそのままに身体の向きをくるりと百八十度変え、背後の連中にもライフルを見舞う。
 そしてシスレは、不意に殊更にやりと笑った。
「上等な馬車なんだ、見ていってくれ!」
 銃声に抗うだけの声を張り上げると、右膝を後ろへ曲げて、強く鋭く足元を一度踏み鳴らす。荷台側面の板が片方、支えの外れた庇のように開いて落ちる。そこに並ぶのはいくつもの小さな黒い穴。同じ動きで場所だけずらして、再び靴を鳴らす。硬い靴底が木を打つ派手な音が響き終わらぬうちに、横並び一列の穴から閃光と轟音が迸る。馬車に仕込まれた自動火器の、機関銃の一斉連射がシスレの前方にいるならず者たちを襲った。次々とというよりも、皆ほとんど同時に倒れてゆく。ある者は地面に大の字に、ある者は岩に俯せに。
 今シスレの後方にいる者たちは、また呆気にとられて動きを止めていたが、身を低くしたままのマーロウが注意を促すように派手に腕を振ったことで、慌てて武器を構え直す。しかしシスレは笑みを湛えたまま肩越しに少し振り返り、三度靴底を足元に打ち付ける。反対の荷台側面も開き、並ぶ銃口が顕わになる。すべてを支配する四度目の靴音。皆殺しのための音と光と煙。
 轟く音の中で岩に背を預けて沈むマーロウは、隣で隙を窺いながら狙撃を繰り返す女の腰に差されたダイナマイトを抜き取る。それからその足元に屈んでコルトに弾を込め直す別の女が咥えている葉巻を取って、火を導火線に押しつける。その間にダイナマイトの持ち主だった女は倒れ、立ち上がってコルトを構えた女も倒れた。マーロウは目と眉を寄せてじりじりと音を立てる手元を睨み、着火を確認すると高く勢いよく後ろへ放り投げる。ダイナマイトは馬車に向かって放物線を描く。
 前方の敵をすべて片付けたシスレは片足を軸に元の方向へ向き直り、腰だめのライフルを初めて肩の高さに構えてダイナマイトを狙い撃った。ダイナマイトは薄青い空を背景に、空中高くでなにも巻き込まず爆発する。その頃には弾切れを起こしたのか、馬車も沈黙した。
 ぱらぱらと爆発名残の破片が降る間、しばしの静寂も落ちた。辺りには累々と死体が転がり、もはや人の気配はほとんどなくなっている。
 シスレはゆっくりとライフルを腰まで下ろし、レバーをしっかり押して戻して、前方の岩を見据えた。その向こうにいるはずの、その場で生きている唯一の敵であるはずの、マーロウという獲物が姿を現すのを待つように。
 岩の右から小さな石がかつりと鋭く飛び出す。シスレは一瞬意識を奪われたが、すぐに見る先を岩の左へ移す。案の定、コルトを構えたマーロウはそちら側に立ち上がる。ほとんど反射のように両者は引き金を引いて、銃声が交差し、倒れたのはマーロウだった。マーロウは岩にしがみついてずるりと身体を崩し、砂利の上に荷袋を落とすような音を立てて仰向けに倒れた。
 シスレはマーロウに視線を注ぎ続けながらもう一度ライフルのレバーを下げ、しかし弾切れを示す音と手応えに片眉を上げて、構えを解いた。ライフルは左手に持ち、馬車を降りる。靴の下で小石が擦れ合う音とともに、一歩一歩マーロウに近づく。立ち止まるのはマーロウの頭のすぐ傍へ、つま先が辿り着いてから。目を閉じた女の顔を見下ろし、軽く身を屈めて、マーロウが握ったままの銃に手を伸ばす――そしてその手をすり抜けるように構え直されたコルトの銃口が、シスレの目の前に突きつけられる。
 シスレは両目を険しく細め動きを止める。視線を銃口の向こうへ這わせる。その先には上半身を半ば起こし、頬に食い込むほど唇の片端を上げるあの笑み浮かべたマーロウの顔があった。
「当たらなかったのはお互い様だね」
 シスレのライフルをもぎ取り投げ捨て、銃を向けたまま立ち上がるマーロウ。シスレも合わせて曲げていた腰を伸ばす。マーロウは笑顔でシスレに一歩近寄り、ベストのポケットからデリンジャーを探り出してそれも捨てる。
「さあ、金庫まで案内してもらおうか。独りじゃ虱潰しは骨が折れるんでね」
 足元に置かれていた革鞄を持ち、マーロウが銃身を少し揺らす。シスレは溜息一つ分の長さだけ目を伏せ、向けられ続ける銃口に促されるように歩き出す。



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シスレとのゲーム...賭け金は棺桶に
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