【Chapter 11】

 ランプを掲げ持つ丸腰のシスレと、その背にコルトを突きつけるマーロウは、廃坑道の中を進んでいる。マーロウの帽子の色が同化するような暗い茶色の壁を暖色の火がちらちらと照らす。途中の分かれ道を右に曲がり、さらに進む。進んだ行き止まりに、それはある。蹲った犬ほどの大きさの金庫が。
 マーロウは背中に銃口を押し当てた状態で隣に並び、にやりと笑いかけてから、シスレを押し退け金庫へ近付く。無表情のシスレは押されついでの態で壁際に立ち、ランプを壁に掛けた。鞄は金庫の前に重い音を立てて置かれ、膝をついたマーロウのはやるような手がそれを開ける。詰まった金貨や紙幣をかき分け、鞄内側を弄り、裏地の切れ目を探し当てる。そこに指を突っ込んで、取り出すのは一枚の紙切れだ。
「葉巻を吸っても?」
 そのマーロウの後ろ姿に向かって、上着のポケットに右手を入れながらシスレが尋ねた。マーロウは作業を中断して肩越しに振り返る。牽制の銃口と威圧の眼差しが同時に向けられる。シスレもポケットに手が隠れた状態で動きを止め、少しおどけるように眉を上げる。交わる警戒と緊張の間があって、シスレは最大限なんでもないというふうに軽く素早く手を抜いた。白手袋が掲げる、シルバーの分厚いシガーケース。マーロウが未だ睨む中、シスレはケースを開き、一列に並んだ細い葉巻を一本取り出す。咥えて、壁に埋まる柱に擦ったマッチで火をつける。
 シスレが煙を一度吐いてようやく、マーロウは視線を手元へ戻した。紙片には達筆な筆跡で『581』と見える数字が書かれている。唇を斜めにして笑ってから銃をホルスターに戻し、金庫のダイヤルを回し始める。5回、8回、1回。微かな音が響くのを、シスレは無関心に近い顔で眺めて葉巻を燻らせる。組んだ腕の右手は、開きっぱなしのシガーケースを弄んでいる。
 かちりと一段大きな音が解錠を知らせる。笑みを深め、力を込めて金庫のハンドルを捻り引いたマーロウの表情は、しかしすぐに消えた。
 薄暗い坑道内でもわかる、空っぽの金庫。手を入れて奥まで探っても、やはり何かに触る様子はなかった。
「空だったか?」マーロウが振り向くよりも先にシスレが声をかけた。「空かもしれないと思ってた」
 マーロウは金庫の扉を掴んだまま、眉を険しく歪めてシスレを見る。
「知ってたのかい」
「さぁ? 伏せられたカードと同じさ、見えない中身なんてわからない。それを知ってるだけだ」顔にかかる帽子の影が灯りで揺れ、煙は一段と細く高く吹き出される。「お互い残念だったな」
 涼しい顔でとぼけるシスレに、苦い顔で立ち上がったマーロウは金庫をブーツの先で蹴り閉める。
「じゃあなんで鞄にこだわってた」
「もちろん、カネが詰まってるからさ。そっちはこの目で見てたんでね」
 シスレの視線がマーロウの足元の鞄に向けられ、マーロウの目線もまたそこへ落ちる。沈黙、再び交わる両者の目。
 シスレは指先に挟んでいた葉巻をゆっくりと唇に咥え直す。マーロウが頬を痙攣させるように小さく笑う。
 迷いなく銃を抜こうとするマーロウと、それよりも先にシガーケースを閉じるシスレ。坑道内に銃声が反響し、コルトが収まったままのマーロウのホルスターが地面に落ちる。硝煙はシスレが握る分厚い銀のシガーケース、その側面にあく銃口から立ちのぼっていた。
 マーロウは銃を掴み損ねた手の形をそのままに、ベルトから撃ち落とされたホルスターを見、次にシスレを見た。シガーケース銃を依然向けているシスレは、にやりとシニカルに笑う。
「さあ、失せろ」
 仕込み銃を持つ手をわずかに坑道出口の方角へ向けて振る。マーロウは感情を抑えるような震えを伴って目を伏せ、深い呼吸を一度しながら帽子を掴み、そしてもはや悔しさを隠さぬ様子でその帽子を地面に叩きつけた。ちらりと上目に見遣るように一瞬シスレを睨むと、丸腰手ぶらの大股でその場を立ち去る。
 乱暴な足音が離れてゆき、言葉を成していない悪態の声が遠くから届き、じきにマーロウの気配は坑道から完全に消えた。
 シスレはシガーケースを上着のポケットに戻し、マーロウの銃をホルスターごとカネの詰まった革鞄にねじ込む。その鞄を左手に提げ、捨て置かれた暗証番号のメモを摘まみ上げ、右手には再びランプを取って、道を戻る。分かれ道まで来ると、出口には向かわず、もうひとつの道へ入った。いくつかの角を曲がり別の行き止まりに辿り着く。そこにもまた、金庫がある。蹲った犬ほどの大きさの、まったく同じ金庫。
 同じように壁にランプを掛け、シスレは『581』と書かれた紙片を見下ろした。
「こんな素直なメモがあるわけない」
 皮肉な笑いで独りごち、その紙を裏返す。裏返して灯りに透かす。そこに記された番号は『182』に見える。
 シスレはメモを早々に捨て、金庫の前に片膝をついて右手でダイヤルを回す。1回、8回、2回。開けた金庫の中には、数枚の書類が確かに重なっていた。その書類――高騰する土地の権利書を掴み出し、一通り確認して薄く笑う。今度はランプも持たず鞄だけを手に立ち上がりながら、権利書をベストの内側に押し込んで、シスレは踵を返す。途中で分かれ道の向こう、自分の用意した空の金庫があったほうを一度眺めてから、廃坑道を出る。

 馬車へ戻ったシスレは、革鞄と回収した自分のライフルを御者台に置いた。盛り上がった幌の残骸を載せる荷台の側板をはめ直し、大人しく待っていた馬をそれぞれ一撫でして、自分も御者台に上る。
 掴んだ手綱を振るおうと上げた腕は、しかし下ろす前に止まった。シスレの視線が横に動く。ショートブーツの右足が、顔の横に突き出している。足首に黒のダブル・デリンジャーを固定した細い女の足だ。
 次の瞬間には白い左脚がシスレの腰に絡み、その身体は後ろへ引き倒される。
「鞄が見つかったみたいだから会いに来たわ、ハニー?」
 両手をついて身体を支えるシスレに顔を寄せ、とびきりコケティッシュに微笑む、緑の目の歌姫。
 シスレの眉が少し寄る。テリーは構わず肩から下ろした右足のデリンジャーを毟り取り、シスレの耳の辺りに突きつけながら、左手を紫のベストの中に滑り込ませる。弄るように権利書を取り出し、シスレの身体と、自分が被っていた幌の下から完全に抜け出す。権利書を丸めて自分の胸の谷間にねじ込んだあと、鞄とライフルを荷台のほうへ引きずり下ろす。そして素早く、その上に座ってしまう。
「近くの町でいいわ、シスレ。馬車代に金貨の三枚くらいはあげるわよ」
 スカートをぱんぱんと叩いて整え、したたかさに愛嬌をたっぷり乗せた声でテリーが言った。弧形の唇と、閉じた片目と、傾げた小首と。向けられたままのデリンジャーと。
 シスレはなにも答えず、帽子を深くずらして目元を完全に隠し、諦めのような溜息を吐いて、またきちんと被り直す。それでもまだどこか渋い表情と鈍い動きで、御者台に戻って座る。
 薄汚れた白の手袋が、握った手綱を今度こそ振るった。馬車の揺れでテリーの縦巻きのブロンドが弾む。
 億万長者の歌姫を乗せ、ギャンブラーの馬車は遠ざかる。荒野の向こうへ。



〈FINE〉



シスレとのゲーム...賭け金は棺桶に
Poker con Sisley...la scommessa e nella bara

――Un film di Margherita Francardi

cast
シスレ
 …マヌエラ・ルセロ・デリベス
ダイアン
 …ジータ・バッソ
マーロウ
 …グロリア・レンナー
テリー
 …エレーヌ・ラリュー
マダム・パクストン
 …メリンダ・ヘイズ


すべての人物は架空の存在です。




あとがき

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