【Chapter 8】

 賑やかな町のゲートをくぐった先、奥へ進んでひとつの雑貨屋。わりに広い店の中、シスレはそこにいる。
 カウンターで受け取った極細の白いリボンを目の高さでぴんと伸ばして確かめたあと、ベストから紙幣を一枚を取り出して雑貨屋主人の老婆に支払う。紙幣をレジに入れ、怯えるような硬い笑みを浮かべて手を組み合わせる老主人の前で、シスレは帽子をカウンターに置き、買ったリボンを巻いた。二本だったものが三本に戻る。
 蝶結びにしたリボンの結び目を整えるシスレの背後。なんの前触れもなく、ガラスが叩き割られるけたたましい音が弾けた。老主人は反射的にカウンターの中にしゃがみ込み、振り向きかけたシスレは、しかし襲う気配に身を屈めることを優先する。シスレの頭上を雑貨屋外のデッキに置かれていたロッキングチェアが飛んでゆく。椅子はカウンター向こうの棚にぶち当たり、様々な物を巻き添えにする耳障りな破壊音を立てて落ちる。姿を隠したままの老主人の悲鳴とも唸り声ともつかない絶叫が迸る。
 シスレはカウンターに手を掛け、まだ身体を半ば屈めたまま今度こそ振り返る。木の枠ごと破れた大きな窓ガラスの向こうには、右手に包帯を巻き、血走った目でシスレを凝視するダイアンが立っていた。
 ダイアンは壁に立て掛け置いていたウィンチェスター・ライフルを掴み取り、派手な動きでドアを蹴り開ける。破られるドアの音と同期してライフルのレバー音。すぐさま銃声。シスレはとっさに横に転がって避け、弾丸による穴はカウンターにあく。ダイアンは赤毛を踊らせながらライフルを連射し、シスレはその都度横にかわす。カウンターの端まで行くと、店の隅に並ぶドレスを着たマネキンの間に逃げ込む。ダイアンのライフルは二発分ほどマネキンを穿ったが、そこで弾切れを起こした。
 苛立ちの声を喉から漏らすダイアンに、シスレがスカートの陰から腕を伸ばして四連デリンジャーの引き金を引く。一瞬早くそれに気付いたダイアンは、壁際の食器棚を掴んで倒して盾にし、その酷い騒音の中で空のライフルをシスレに向かって投げつける。とっさに腕で自分をかばい、衝撃でデリンジャーも取り落としたシスレの上に、巻き込まれたマネキンが数体倒れる。
 ダイアンは食器棚を飛び越え、シスレの元へ走る。マネキンの明るいドレスの下に覗く紫のネクタイを掴み、黒衣の女を引きずり出して、その顔が現れたところで拳を頬に叩き込む。シスレは短くうめくが、すぐに片手でダイアンの上着を掴み返す。体重を掛けられたダイアンは前にのめり、何着ものたっぷりとしたドレス生地の中に二人まとめて縺れるように突っ込んだ。ダイアンが先んじて上体を起こし、シスレに襲いかかる。シスレもそれに抗って、両者は自然と四ツに組み合う。
「あの淫売はどこだ」
 下を向いた顔から落ちそうなほど大きな三白眼のダイアンは、怒りにひび割れる声で迫った。二人の腕はこもった力で小刻みに震えている。
「さぁ、あのあとすぐ別れたもので」
 シスレは真上にある、逆光と垂れる髪の影で暗く映る面を見上げて、少しぎこちなく笑って答える。ダイアンの指が手袋をしたシスレの手に一層深く食い込む。押し潰さんとさらに力をかけてくる腕を負けじと押し上げ、シスレが徐々に競り勝ってくる。そしてその途中で不意に両腕の力を抜く。ダイアンはがくりと体勢を崩し、その隙にシスレは組み合う手を解いて拳を作り目の前の顔を思い切り殴りつけた。ダイアンの下から抜け出したシスレと、シスレの上からよろめいて退いたダイアンは、同時に同じ場所を振り返る。床に落ちた銀の四連デリンジャー。乱れに乱れたドレスのマネキンの山から二人が飛び出す。しかし腕を伸ばすシスレよりも、全身で飛び掛るダイアンのほうが早かった。拾ったデリンジャーを抱え込んで床を転がり、素早く立ち上がって振り向き立つ。シスレは低い体勢のまま動きを止める。
 デリンジャーを構えた殺し屋の女が、唇の端を引き攣らせ勝ち誇ったように笑いながら、身体の向きは変えずにカウンターの方へ移動する。シスレは険しい眼差しだけでそれを追う。
「楽に死にたきゃ居場所を吐きな」
 シスレの視線は隙を窺うようにさまようが、唇は結ばれている。ダイアンの片眉が上がり、引き金に掛かった指がぴくりと動く。シスレの眉間の皺が深くなる。次の瞬間には銃声が響き、その身体は大きく痙攣して揺らぐ――シスレではなくダイアンの身体が。
 ダイアンは胸を押さえてカウンターに背中をぶつけ、見開いた三白眼で銃声の出所を睨んだ。開いたままの店の入り口に立つのは、硝煙の上るS.A.A.を構えたマーロウだった。
 頬を小刻みに震わせ、ダイアンはデリンジャーを向けようとしたが、マーロウは容赦のない数発を続けて撃ち込む。ダイアンは衝撃のたびに背を弓なりに反らしたあと、縺れる足で身体を反転させ、カウンターに倒れこんで、動かなくなった。
 シスレはゆっくりと視線をダイアンの死体からマーロウに移す。マーロウはそれ以上店に踏み込んでくることもせず、唇の片端を大きく上げるあの笑みを返しながら、銃をホルスターに戻した。少し冷ややかな表情で立ち上がったシスレは、ダイアンの手から飛んで落ちていたデリンジャーを拾う。もう一度マーロウを軽く窺って、彼女が肩をすくめるのを見てから、その銃をベストのポケットに戻した。
 雑貨屋主人の老婆がようやくカウンターの下から顔を出す。そして目の前に垂れるダイアンの頭を見て声にならない悲鳴を上げる。慌てて死体から離れて立ち上がると、胸の前で細かく指を蠢かし無惨な有様の店内を見回して、憤りと怯えの色を浮かべた。
 シスレはカウンターの上に無事な姿で鎮座する己の帽子を取り、それを被りながら老婆に倣って周囲を見る。それから眉を上げカウンターに手をついて、隣にある女の死体を見下ろす。上がった眉もすぐに下げる。
「あー。請求はオークスタウンのマダム・パクストンに」
 少し言いよどんでから、おどけるような苦い愛想笑いをし、まだどこかしら呆然としている老主人に会釈を残してその場を離れる。
 店の外では、場所を譲るように脇に退いたマーロウがにやついた顔つきで待ち構えていた。
「助かった?」
 立ち止まりもせずデッキを降りるシスレの後を追い、マーロウは茶化し口調で言った。無言で瞼を半ばまで閉じて彼女に視線を流すシスレ。
「これでマダムの追手が一人消えたわけだよ。一番厄介な奴がさ」
 道へ出るシスレに並び、マーロウは笑って食い下がる。
「お前がそうなんじゃないのか?」
 シスレはにやりと小さく笑み、足を止めず皮肉を返す。苦笑したマーロウが右手で左の頬を掻く。
「だから言ったじゃないか、あんたと山分けしたほうが儲かる。マダムから報酬を貰うより」
 それでもまともな答えは口にしないシスレの前に回り込み、後ろ歩きをしながら手振りを交える。
「マダムが気づかないうちにさ、とっとと事を片付けちまわないかい? あんただって鞄がなきゃ困るんだろ?」
「まあね」
「ならなんで手を組まない? 鞄に番号のメモが入ってたのは、あの彼女だって知らないはずだよ」
 そこでようやく足を止め、目を合わせるシスレに、マーロウは破顔する。
「言っとくがアタシはあんたが頷くまで絶対に吐かない。金庫の番号はね」片手をシスレのネクタイに伸ばし、結び目を整えるように指先を絡ませる。「あんたを満足させられるのはアタシだけってことさ」
 その言葉にシスレは軽く顔を伏せ、喉の奥で短く笑った。それからマーロウの手を手袋に包まれた手ですげなく払う。マーロウはうんざりしたように顔をしかめる。
「なにが不満だってんだい?」
「お前が信用できない」
 シスレは再び歩き出しながら言った。何歩か離れて、今度はすぐに追う様子を見せないマーロウを肩越しに振り返り、流し目を送ってしたたかに微笑む。
「だからまだ様子見さ。悪いが馬車を見に行くんでね。またいずれ」
 そう挨拶を手向けてから遠ざかるシスレに、マーロウが声を張り上げる。
「アタシはしつこいんだ、諦めないからね!」
 シスレは背を向けたまま、肩まで上げた右手を振ってみせた。



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シスレとのゲーム...賭け金は棺桶に
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