【Chapter 2】

 栗毛の女は保安官事務所に連れられて来る。扉のところでウィルモットが追い越して先に奥へ入ってゆく。中は広くも狭くもないが内装は豪華に見え、保安官の机後ろの壁には押収品と思しき物品が大量に掛かっている。荒くれ者たちに歩かされながら周囲を観察しているだけといった様子だった栗毛の女の緑の両目が、不意に大きく開く。品の大半はガンベルトの類で、それらの金具がちらつき光るなかに、一際鮮やかな輝きがあった。黄金色の太陽。それを模したペンダント。栗毛の女は反射的に荒くれ者たちを振りほどこうと暴れかけるが、そうすることが叶う前に、ウィルモットによって鍵の開けられた留置場に押し込まれる。突き飛ばされ傾いた体勢をすぐに立て直して鉄格子にしがみ付く栗毛の女に対し、ウィルモットはにやついた笑みを向け、音を立てて鍵を閉めた。
「いつ吊るすのかは、まぁそのうち決めてやる」酒瓶の口に歯を立てて保安官は酒を煽る。「大人しく仲良くやってろ」
 ウイスキーで濡れる唇を手で拭いながらそう言って留置場の奥を視線で示す。栗毛の女が噛み付くように睨んでも、馬鹿にするように鼻を鳴らすだけだ。ウィルモットがその場を離れ、女は鉄格子に額を押し付けて保安官机の後ろを覗こうとしたが、その位置からでは椅子に座ったウィルモットが机に載せる足先しか見えなかった。
「隙間から出ようっての?」
 栗毛の女の背後、留置場の奥から揶揄の声がする。栗毛の女は目を伏せ服の胸元を握り、気を静めるようにゆっくりと深く鼻から息を吐いてようやく振り向いた。壁際の粗末な寝台に女がひとり腰掛けていた。立てた片膝に肘を乗せ、白い歯を覗かせてにんまりと笑っている。褐色の肌と葡萄の房のような黒い巻き毛と、黒曜石にも近い黒目がちな双眸の、メキシコ人の女。服の色は彩度の低い紺、裾の広がるタイトなズボンに、丈の短いスペイン風の上着だ。中のシャツは襟や袖口にフリルのついた薄汚れた白、腰にはいかにもメキシコ式のカラフルな編み紐のベルトを巻く。首の後ろに掛かるのは黒のソンブレロ、耳には大きな銀の輪飾り。
 栗毛の女は片手で鉄格子を掴んだまましばらくじっとメキシコ人を見据えてから、寝台横向いの長椅子に離れて座った。だがメキシコ女は立ち上がり、栗毛の女の隣に移動する。
「俺はソラナ。あんた何やったの? 吊るされるんだって?」
 ソラナと名乗る女はやはり立てた片膝に肘をかけて、声はひそめながらも馴れ馴れしい様子で尋ねる。
「喧嘩で殺しだ」栗毛の女は溜息を吐いて、諦めたように答えた。「殺してないが」
 その答えにソラナは眉を上げるが、すぐに察したとばかり、唇を突き出して笑った。
「この町は駄目よ。よそ者は息をしただけで罰金」ソラナは身を低くし、視線で鉄格子の外を示す。「俺も町に入っただけでとっ捕まったようなもん」
 栗毛の女も頷くように目を伏せる。
「そんな場所みたいだな」
「絡んでくる奴なんか殺せばよかったのに。どうせ一緒なんだ、生かし損よ」
 ソラナが無邪気に言いながら栗毛の女の肩に腕を回す。
「次からそうする」
 栗毛の女はソラナの腕を掴んで肩から剥がす。「はは、吊るされるのに!」と笑うソラナに顎で退くよう促して帽子を脱ぎ、低めのポニーテールを手で掴んでなるべく前に引っ張りながら、長椅子に仰向けに寝転がる。ソラナは床に胡座をかき、会話を拒むように顔に帽子を載せる栗毛の女のすぐそばに鼻先を寄せる。そしてことさら小声で囁く。
「ねえ、よそ者のよしみで助けてあげようか」
 一呼吸分の間を置いて、栗毛の女は帽子を浮かせる。緑の瞳が横に動いてソラナを見る。
「俺はね、ツレが保釈金出してくれることになってんのよ。明日にでも」
 栗毛の女は無言のままゆっくり身体を起こし、ソラナはまた歯を見せて笑う。
「俺たちこの町で一仕事する気なの。手伝ってくれるなら助けてあげる」
「仕事って」
 女は足を再び床に下ろし――踵の拍車がかすかにかちゃりと鳴る――帽子を被り直して、背中を少し丸める。ソラナも女の両膝に手を置いて脚の間ににじり寄り、内緒話の距離に顔を近づける。
「この町の連中はゲス揃いさ。よそ者は除け者に、でもよそ者の物は懐に」ソラナは片手で自分の脇腹の辺りを素早く数度叩いてみせる。「俺も稼ぎを横取りされたの。取り戻しに来て、なにも出来ないうちにこのザマ」
「それを手伝えってことか」栗毛の女は視線を落とし、両手を組んで親指の付け根を擦りながら思案の沈黙を置き、小さく頷く。「構わない」
 ソラナは笑みを派手に明るくするが、女が「ただし」と付け加えるとぴたりと笑うのをやめて、眉を片方上げる。女は俯き加減のまま瞳だけでソラナを見、なにかを押し殺す声音で言う。
「私も確かめなくちゃならないことがある。場合によるとそれを優先するかもな」
 ソラナの眉は両方上がり、瞼も瞬き、しかしすぐに口角が大きく横へ広がった。女の顔を両手で掴んで、頬を擦り合わせるような親愛のキスを左右に一度ずつ。栗毛の女は鮮やかな瞳をわずかばかり揺らしただけでソラナの挨拶を押し退け、なにかを堪えるように目を閉じる。

 翌日、ソラナのいなくなった留置場、ひとり座っていた栗毛の女は、闇は浅いが日は沈み、ランプの覚束ない灯りが周囲に影を作る中で、おもむろに立ち上がって檻の向こうを窺い見た。保安官事務所にもいるのはひとり、ただしウィルモット保安官ではなく見張りを任されたふうである小柄な男だ。酒場で栗毛の女を取り囲んだ連中のひとりで、酒瓶を抱え椅子にだらしなく座っていびきをかいている。女は息を殺し、しばらく鋭い眼差しで眠りの深さを確認するように睨み、それから留置場の窓に近づく。顔は事務所の方に向けたまま、窓にはまった鉄格子の間から、その向こう側にこっそりと置かれていた金属のヤスリを掴んだ。手首を返し角度を変えヤスリを取り込み、鉄格子の根元に当てる。一引き二引きして手を止め再び意識を保安官事務所へ。男が起きる気配はない。またヤスリを動かす。

 留置場の窓から抜け出した栗毛の女は、保安官事務所の入り口へ回り込む。壁に張り付き慎重に中を覗く。人影がやはり見張りの男ひとりであることを確かめると、静かに扉を開けて事務所へ入る。後ろ手に扉を閉め、足音を忍ばせ、男を視界の端に捉え続けながら保安官のデスクへ歩く。足を広げ真っ直ぐ立って、壁に掛かった大量の押収品を睨む。そこにはしかし、輝いていたはずの太陽のペンダントは見当たらない。栗毛の女は帽子の庇の下で眉を歪め、手を伸ばしていくつものホルスターをかき分けるが、結果は同じだった。歯を食いしばり、拳でホルスターの山を叩く。
 その鈍い物音で、男が両足を跳ねさせ目を覚ます。
「あ、あんた」
 酒瓶を腹の辺りに抱えたまま、男は驚きで震える両目を見張って立ち上がる。
 女は素早く振り向き、次の瞬間視線は押収品であるナイフの一本へ、すぐさま鞘から抜いて、強い動きで投擲する。
 ナイフは悲鳴を上げる暇すらなかった男の胸に突き立ち、男は胸を押さえながらさらに目を剥いて、その身体はまるで再び腰掛けでもするように尻から椅子に落ちた。
 栗毛の女は少しの間、弛緩した男の死体を見つめてから、押収品に向き直る。端から眺めるために首をゆっくり回し、その動きを途中で止める。女の持ち物だったガンベルトとコルト・アーティラリーがある。女は無表情でそれを取り、上着の裾を捲って腰に巻く。服の引き攣れを整え、拍車の金属音を伴う重い足音を立てて保安官事務所を出る。

 人通りのない暗い町中、栗毛の女は身を低くしながら物陰から物陰へ走り抜ける。抜けた先、辿り着くのは割合大きな屋敷の裏手だ。二階の窓からは明かりが漏れ、その下の暗がりに人影が二つうずくまっている。
「やあ、無事出られたのね」
 影のひとつであるソラナが近寄る栗毛の女に笑いかけた。コルトの収まったガンベルトの他に、金色の弾薬で彩られたベルトを斜め十字に肩にかけ、両手で一挺のウインチェスターライフルを抱えている。その隣、並んでしゃがむ小太りの女。
「顔は昼間見たでしょ、パウラよ。俺のツレ」
 片膝をついて屈む栗毛の女に、ソラナが短髪で小太りの女を紹介する。パウラはソラナと同じようにベルトを斜めに掛け、片手にはコルトを握っていて、その表情はいかにも不機嫌そうだった。
 銃のグリップでがりがりと頭を掻き、パウラが苦る。
「役に立つのかい、その女は」
 ソラナは女とパウラを順に見て、軽い調子で肩をすくめる。
「さあ、でもそこそこ腕はあるでしょ」
 栗毛の女はほんのかすか鼻で笑うような気配だけを見せて、重暗いながらも空惚けるような口調でかわす。
「どうだろうな」それから地面につく膝を入れ替え、尋ねる。「それより、取り返すブツはなんだ」
 その問いにソラナは視線を後ろ上方に向け屋敷の窓を指差す。
「砂金でね。一袋だけど、貧しいモンにゃ充分すぎるでしょ」
「どうやって探す?」
 栗毛の女は暗い窓の向こうを怪訝に覗く。
「ここのメイドから聞き出してある。この部屋、戸棚の中」
「鍵は」
「掛かってないって」ソラナは答え、腑に落ちないといった栗毛の女の様子に気づいて続ける。「あの保安官《シェリフ》の懐を探る奴なんていないんでしょ」
「ここは奴の家なのか」
 暗闇の中でエメラルドの瞳を爛とさせ女が食らいつく。ソラナは目を丸くして小さく数度首を縦に振る。
 女は思案の視線を斜め下に向けながら口元に左掌を当て、渋い顔をして拭うように擦ってから、自分の中になにかを落とし込むふうに一度頷いた。あとは話の切り替えに「それにしても」とソラナに向ける。「私の協力が必要か? 簡単そうな仕事だ」
「そりゃ、いなけりゃいないでなんとかなるけどね」
 ソラナは歯を覗かせるにやついた笑みを浮かべて、横目でパウラと視線を交わす。
「こっち二人別口に専念できて助かるよ。俺たち銀行をやるの」
 女は渋く目を細めるが、結局もう一度浅く頷いただけで、踵の拍車を片方ずつ外し、中腰になって窓に手を掛けた。
「じゃああとで」
 それを見たソラナたちも一笑いのあと立ち上がり、短い挨拶を残して頭を低くしたまま走り去る。



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裏切りの用心棒
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