【Chapter 2】

 おさげ髪の若い女はその町に栗毛の馬に跨ってやって来た。くぐるゲートには『ベアツリー』と町名が記されている。
 にこやかな物見顔で賑やかな通りを進み、サルーンの前でコートを翻し馬を降りる。スイングドアを両手で派手に押し開けて、女はサルーンの中へ入る。まだ太陽も空の真上にあるような時間だが、中は昼間から酒やギャンブルに興じるならず者でそれなりの賑わいを見せていた。新たな客に意識を向ける者も幾人かはあったが、ほとんどは自分の手札や踊り子の尻にしか興味のない者ばかりで、軽い足取りの女はなんの邪魔もなくまっすぐカウンターに向かう。
「いらっしゃい」
 サルーンの主人はきちんとベストを着てタイを締めた鷲鼻の女で、品定めをするような目をしながらも来客を姿勢よく迎えた。
 おさげ髪の女は目元の笑わない笑顔でカウンターに両肘を載せる。
「ミルクある?」
 女の問いに、値踏み顔で寄って来ていた踊り子があからさまに鼻で笑ってその場を離れ、主人も馬鹿にしたようにかすかに口元を歪める。それでも女はにこにこしている。
 主人も注文の拒否まではせず、ガラス製のビアマグに瓶からミルクを注いで女の前に出す。女は硬貨を置くのと引き換えにマグを掴み、一口ぶん大きく喉を鳴らして飲む。
「ねえあのさあ」女は口を閉じて抑えたげっぷをひとつ挟み、サルーンの主人に尋ねた。転がるような口調。「このへんにさあ、腕の立つのがいるでしょ」
「乳搾りの名人探しなら牧場をまわってくださいよ」
 グラスを磨く主人が溜息混じりに答え、傍で飲んでいたならず者ふうの男たちがどっと笑い声をあげる。
 おさげ髪の女は主人のほうを向いたままマグを口に運び、極めて速く鋭く軽快に、腰から51ネービーを抜く。銃口は隣のならず者の鼻先に押し付けられる。周囲の笑いも動きも一瞬で失せ止まる。
 女だけが道化の笑顔で、唇のミルクを猫のように舐め拭う。
 それから首を隣の男へ向け、鼻を押す銃口を外した。構えたネービーを軽く振り、肩をすくめる。
「腕って言ったらさぁ、こっちじゃないのぉ」
 女はとりわけ間延びさせた口調でおどけて、小首を傾げて見せながら銃をホルスターに戻す。
 サルーンの主人は渋い顔で両手を組み合わせ、神経質そうに親指で指の股を擦りながら、揉め事が広がるのを防ぐように大きめの声をその場に被せる。
「この辺りに、腕試しのできるような奴はいませんよ」
 おさげ髪の女はミルクをもう一口飲んでからマグを置き、腕を組んで無言で身を乗り出す。
「その、みんな命は惜しい」無言で先を促され、主人は手を開いて視線を泳がせる。「あのひとよりも早く抜ける人間はこの町どころか西部にもいやしませんし、それにあのひとは……決闘なんて真似はしないんです」
 鷲鼻の主人が語る言葉に、おさげ髪の女の笑みも深まってゆく。
「挑戦に行ったって追い返されるだけです……それだっていいほうで、ちょっとでも機嫌を損ねたら、蹴り出されて逃げ帰る背中を撃たれておしまいですよ」しかし話がそう続くに従って、女の眉は怪訝に上がる。「逆らわないほうがいいですよ、フェルネスさんには」
「フェルネス?」
 女はついに顔をしかめて、食いつくように聞いた名前を繰り返した。主人は少し驚いた様子で顎を引いて、浅く何度も頷く。
「フェルネス……いやそうじゃなくってさ、もっと別のさ、別の名前のさ。J、Jだ、Jで始まる……ほらぁ、いるでしょ?」
 女の問いに主人は思案顔で首を傾げ、そして緩く左右にかぶりを振る。そこへおさげ髪の斜め後ろから顔を出した踊り子の女が口を挟む。
「もしかしてジョディじゃないの」
 先ほど女を値踏みして離れていった踊り子だ。赤毛を大きく波打たせ、胸の開いた真紅のドレスを着ている。
 踊り子の出した名前に、話を聞いていた客たちの空気が嘲りめいた含み笑いで揺れた。
 おさげ髪の女はぱちぱちと瞬きをして辺りを、それから女主人を見、踊り子を見る。
「ジョディって?」
「尋ねごとをするんならね、ちょっとは景気よくいきなさいよ」
 踊り子は豊かな胸を揺らしながらカウンターの隅からウイスキーのボトルを取り、不機嫌な手つきで栓を開け、ミルクの入ったビアマグに注ぎ込む。マグの半分まで減っていたミルクが、溢れんばかりの量に戻る。踊り子はボトルを置き、おさげ髪の女を睨んで見上げる。女は視線だけを上下左右に一度ずつ動かし、姿勢を正すように肩を揺すってカウンターの上のマグと向き合った。ポケットから出した追加の硬貨を惜しげに置いて、人差し指をマグに突っ込み、ミルクとウイスキーを混ぜ合わせる。白く濡れた指を音を立てて吸い拭い、仰々しい動きでマグの取っ手を掴む。
「ジョディってのは町外れに住んでる……まあ老いぼれよ、あんなの」
 女がマグに口をつけるのにあわせて、踊り子が語り出す。女は横目でちらりと踊り子を見下ろしてからミルクのカクテルを飲み干し始める。
「ローラぁ、振られたからって手厳しいんじゃねぇかぁ!」
「馬鹿言わないで! だいたい振ったのはこっちよ!」
 テーブル席の別の客が大声で茶々を入れ、踊り子ローラは話を中断させて怒鳴り返す。おさげ髪の女はといえば大きな目を真ん中に寄せ、マグの中身を煽っている。
 溜息を吐き、ローラが続ける。
「陰気でつまんない女よ、ジョディってのは。ろくに働きも出来ない役立たずでさ」
 途中、おさげ髪は一度大きくむせかけ身体を折るが、なんとか吐き出すのは堪え、口元を拭ってにやりと笑う。反射的に少し後退ったローラは、そのまま機嫌の悪い顔で腕を組み、腰を振りながらおさげ髪に背を向けて歩く。
「どうやって暮らしてるんだと思う? あの役立たずはね、フェルネスさんに面倒をみてもらってるのよ。カネを恵んでもらってるの。老いぼれ乞食ってわけ。フェルネスさんもなんでいつまでもそんな真似してるんだか」
「そのフェルネスってのが、弱みを握られてんじゃないの」
 肩を跳ねさせしゃっくりをして、おさげ髪の女が問う。ローラは髪が広がるほど大きな動きで振り返る。
「まさか! とにかくジョディはそういう奴よ、あんたにはちょうどいいんじゃない?」
 おさげ髪の女は口角で両の頬を押し上げて笑顔を作り、ビアマグを持ったまま覚束ない足取りでローラに近寄る。そして彼女の頭に、いつの間にか空にしていたそのマグを置いた。
 なにが起こったかわからないという様子の瞬きでちらついたローラの瞳が次の瞬間には怒りで剥き出しにされるが、しかしおさげ髪の女は両掌を彼女に向けて動きを制した。牽制のジェスチャーをしながら、中腰で後退してゆく。マグを頭に載せたローラも再び呆気にとられた顔をして動かずにいる。
 女はそのままサルーンの入り口までさがる。左手を後ろにやってスイングドアに掛け、ようやく背筋を伸ばし、しゃっくりをひとつ。
 素早く腰の辺りで動く右手、銃声を響かせる抜かれた51ネービー。
 ローラの頭にあるガラスのビアマグがばしゃんと派手に砕け散る。
 おさげ髪の女は目を細め、少しゆっくりとした動きで大きくネービーを一回転させ、ホルスターに戻す。
「町外れってどっちの方角?」
 軽く頭を揺らしながら、呆然とした面々に軽快に問いかける。
「西」
 きらきらと光を反射する分厚いガラスの欠片を髪にまとわりつかせたまま、拳を作ってドレスのスカートを握るローラが低く短く答える。
 両の眉を弓型に上げて、女は機嫌よく頷いた。
「そのフェルネスとかなんとかいうのよりは可能性ありそう、ありがと」
 おさげ髪の女は挨拶に両手を広げ、アルコールが生むしゃっくりをまたひとつ残して、よろける身体でドアを押し開けサルーンを出る。



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星空のガンマン
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