『マカロニ・ウエスタン名言集』 (Togetter「蔵臼金助氏による『マカロニ・ウエスタン名言集』再録ツイートまとめ」)

【哀しいお知らせ】
 i tune storeで販売中だった「マカロニ名言集」アプリですが、諸般の事情で先月末(2012年3月)をもちまして販売を中止することになりました(あまり売れなかったからです)。一生懸命書いたのに一年もUPされなかったので、これから少しずつ中味を紹介していきますね。買ってくださった人たちのために、写真は添付しないのだ。マカロニ・ウエスタンに出てきた名台詞(必ずしも名台詞とは言えないものもありますが)をひとつ採りあげ、作品でその言葉が使われた背景を解説してます。作品観賞のガイドにもなりますので、参考になさって下さい。


001 「今は、法と秩序がある」
作品:『赤い砂の決闘』(1963) DUELLO NEL TEXAS
解説:
「自分のことは自分で解決してきたじゃないの?」と言う義妹に対し、主人公のリチャードが語るセリフ。主人公は孤児で、メキシコ人一家に育てられた。だから、本名はリチャードでも、メキシコ人家族の間では“リカルド”と呼ばれ、通称は“グリンゴ”(メキシコ人がアメリカ人に対する蔑称的な言い方。アメリカ野郎)である。およそ、マカロニ・ウエスタンの主人公らしからぬセリフであるが、この後、「家族への侮辱は俺への侮辱だ」と続き、結局、法も秩序も役に立たない国境近くの無法の町で、拳銃を使った解決へとエンディングが導かれる。
 本作は、記念すべきマカロニ・ウエスタン第一作。まだイタリア製西部劇のスタイルも雰囲気も確立していない、黎明期の欧州製西部劇。銃声は誇張されたマカロニ特有の派手なものでなく、パンパンと乾いたものだったり、主人公もきちんと髭を剃ったハリウッド製西部劇から抜け出たようなガンマンだが、それでも音楽はエンニオ・モリコーネ。メキシコ人に育てられた孤児がアイデンティティの狭間で悪役保安官を倒すあたりは、既にハリウッドとは異なる西部劇のムードを感じさせている。

002 「ふっ(笑) 憎いぜ」
作品:『黄金無頼』(1967) PROFESSIONISTI PER UN MASSACRO
解説:
ダイナマイト使いのティム、馬泥棒のフィデル、拳銃の名手ジムの主人公たち3人が登場するタイトル・バック。北軍のシャープ・シューターが狙撃しようとするところを足払いをかけてティムを救い、続けて、鮮やかな拳銃さばきで狙撃手を返り討ちにするジムに、ティムがかけた言葉がこれ。言語では「Good Job!」と言っているだけだが、TV放映された際はこの素晴らしい意訳となって、放映翌日以降、全国の中学生、高校生の男子間でこの言い方が流行った(例:「お前の代返、俺がしといたぜ」「ふっ 憎いぜ」)。
 マカロニ・ウエスタンというと、孤独な一匹狼が主人公で、陰鬱なストーリー、復讐がテーマの暗いイメージがつきまとうが、中にはこの作品のように凄腕のプロフェッショナル同士がそれぞれの腕を競い、チームワークを駆使してお宝を強奪するという痛快娯楽作も多数存在する。南北戦争の混乱に紛れて軍資金を強奪しようと企む、ならず者三人組。彼らの仲間同士の友情、腕を競い合うゲーム感覚の殺し合いが御機嫌な、マカロニの佳作。

003 「金は盗むより、使う方が難しい」
作品:『夕陽のガンマン』(1965) PER QUALCHE DOLLARO IN PIU
解説:
映画の中の名セリフを集めた和田誠の名著、「お楽しみはこれからだ」でも採り上げられた、『夕陽のガンマン』に登場する山賊の言葉。凶悪なインディオ一味は、エルパソ銀行から首尾良く金庫ごと金を強奪することに成功。盗んだ金庫がこじ開けられ、ぎっしり詰まった金に手を伸ばそうとする部下を制して、首領のインディオがつぶやく。その後、金は袋に詰め替えられて隠され、その行方を凄腕のバウンティ・ハンター二人組、名無しと、モーティマー大佐が追う。
 若き日のクリント・イーストウッド演じるクールな賞金稼ぎと、妹をインディオに殺され、復讐に燃える射撃の名人の二人の駆け引き。裏切りと不信感が友情に変わり、クライマックスの決闘に突入する迄のドラマが素晴らしい、マカロニ・ウエスタンの名作である。悪役の描き方も個性的で、マリファナに溺れ、トラウマを背負うメキシコ人山賊役を、イタリアの名優ジャン・マリア・ヴォロンテが好演した。

004 「他人に頭を下げるな」
作品:『怒りの荒野』(1967) I GIORNI DELL'IRA
解説:
町中の人々から蔑まれ、いじめを受ける私生児スコット(ジュリアーノ・ジェンマ)。鬱屈した日々を送る彼の唯一の夢は、ガンマンとなって町の人たちを見返すことだ。ある日彼は、凄腕の拳銃使いタルビーと出会う。周囲に悪の匂いを感じさせ、ただならぬ存在感を見せつけるタルビー。常に沈着冷静、トラブルにも動じず、早撃ちの腕は抜群な彼に惚れ込んだスコットは、何とか弟子にしてくれと必死に頼み込む。そんな彼を一瞥し、“ガンマンの心得・第一条”として放った言葉が、「ガンマンは人に頭を下げてはいけない」。TV放送時は、「ガンマンは人に物を頼むな」とも訳された。すげなく弟子入りを断られたスコットは、しつこく彼につきまとい、タルビーは「有り金を寄越せ。第二条を教えてやる」と彼に言う。素直に所持金全てを差し出した直後、スコットはタルビーに殴り倒され、“第二条”を教えられる。「第二条:ガンマンは決して他人を信用してはならない」。
 マカロニ・ウエスタン全盛時、トップ・アイドルだったのが、“イタリア製西部劇の貴公子(プリンス)”と異名を取るジュリアーノ・ジェンマである。彼が男性ファンに人気の高い『夕陽のガンマン』のリー・ヴァン・クリーフと共演したのが、名作『怒りの荒野』。“いじめ”に対して、男はどう戦っていくか? 現代でも通じるテーマを抱えた本作は、その答え:“力で報復することの虚しさ”も描いていて、実に深い。

005 「傷つけた相手にはとどめを刺せ」
作品:『怒りの荒野』(1967) I GIORNI DELL'IRA
解説:
同じく、『怒りの荒野』から。師匠から“ガンマンの心得”を次々に教えられたスコットは、次第に拳銃使いとしての天性の才能を発揮していく。しかし、銃の腕は良くても実戦経験は無く、人を殺めたことも無い。ある日、因縁の相手を倒したタルビーが、傷ついた相手にとどめを刺そうとした時、スコットは彼をかばい、せめて命だけは助けるよう、タルビーに頼み込む。その説得を無視して、タルビーは宿敵にとどめを刺す。宿敵は隠し持った銃で、ひそかに返り討ちにしようとしていた。タルビーはスコットに“ガンマンの心得・第五条”を教える。
「傷ついた相手にはとどめを刺せ。さもないと、いずれ相手がお前を殺しに来る」

006 「殺しは一度覚えたら止められない」
作品:『怒りの荒野』(1967) I GIORNI DELL'IRA
解説:
「銃と標的の間に立つな」「危険な時ほどよく狙え」「挑戦には応じなければならない時がある」 …師匠から“ガンマンの心得”を習得したスコットは、拳銃使いとして成長。実戦経験も積み、いつの日か、銃の腕前は師匠をも超えるようになっていった。ガンマンとして衰えを感じるタルビーは、スコットを右腕とし、町を暴力で支配するようになっていく。心の中の反撥が澱のように積み重なったある日、スコットは育ての親をタルビーに撃たれ、師匠と決闘する羽目に追い込まれる。師匠と向かい合い、育ての親から形見として渡された“ドク・ホリデイの拳銃”を使って決闘に臨むスコット。彼に向かって、師匠は“ガンマンの心得・最期の教え”を伝える。師匠から教わったガンマンの心得を口ずさみながら、タルビーの部下を倒していったスコット。得意になっていた彼は、拳銃使いの世界の情無用の掟を知り、決闘の直前に一瞬、怯む。
「殺しは一度覚えたら止められない」…最後の最後に師匠から放たれた、銃弾のような言葉。TV放映時には、「皆殺しにするまで止めるな」とも訳された。

007 「俺たちは違う道を来た。これからもそうだ」
作品:『拳銃のバラード』(1967) BALLATA PER UN PISTOLERO
解説:
凶悪な山賊ベドージャ一味を追う二人のガンマン。一人はクールな態度を装ってはいるが、血気盛んで、世間知らずの若い賞金稼ぎニグロス。もう一人は、初老の拳銃使いクッド。ニグロスはクッドについていけば金になると思い、彼の後を追う。傍若無人、人の情けもまだ理解出来ない若者に向かって、人生の酸いも甘いもかみ分けたクッドが放ったのがこのセリフ。二人が互いに協力し合い、目的を一緒にして、山賊一味を追いつめるクライマックス。クッドは、再びニグロスに向かって言う。「お前は金、俺はベドージャ。追いかけるぞ、これからは一緒にな」。
 賞金稼ぎのライバル同士、初めて心がひとつになったかに見えたが、早撃ち自慢の二人は山賊を一網打尽にした後、互いのプライドを賭けて、拳銃で勝負をつけようとする。

008 「俺もこれを持っているからだ」
作品:『拳銃のバラード』(1967) BALLATA PER UN PISTOLERO
解説:
クッドは宿敵ベドージャを倒し、ニグロスは一味が銀行から奪った金を持って、去ろうとする。その彼を呼び止めて、クッドは決闘を申し込む。向かい合う、凄腕の拳銃使いたち。クッドはニグロスが銃を抜く前に、一瞬のうちにホルスターごと銃を撃ち落とす。
クッド「人生では、自分より強い相手にも出会う。賢い男や、腕のいい男にな」
ニグロス「こんな早撃ちは初めて見たよ」
クッド「なぜ殺さなかったかわかるか? 俺もこれを持っているからだ」
 クッドは父親の形見の拳銃のネックレスを見せる。それは、ニグロスが幼い頃から身に付けていたものと同じものだった。クッドは言う。「親爺は俺の無実を信じたまま死んだ。お前が賞金稼ぎになったと知ったら、がっかりするだろう」ニグロスは幼い頃生き別れた兄クッドと再会をはたし、賞金稼ぎから足を洗う決心をして、ガンベルトを捨てる。

009 「夢を見るのもけっこうだ。ただし、目を開けて見ろ」
作品:『豹/ジャガー』(1968) IL MERCENARIO
解説:
メキシコ政府軍の砦から脱出した、ポーランド人傭兵のコワルスキーと、若き革命家パコ。コワルスキーは二人で組んで、傭兵として金を稼ごうとパコを誘うが、パコは革命に命を賭ける決意をしていたために、その誘いを断る。
パコ「でも、俺はメキシコを見捨てられない。俺には夢があるんだ。」
 馬で走り去るパコ。そのパコを、丘の上から追って来た政府軍兵士たちが狙っている。響く銃声。しかし、転がり落ちたのは政府軍の兵士たちだ。コワルスキーがパコを救ったのである。彼は言う。「夢を見るのもけっこうだ。おおいに見ろよ。ただし、しっかりと目を開けてな」二人は別々の方向へと去って行く。
 『ガンマン大連合』『進撃0号作戦』と共に、セルジオ・コルブッチの“メキシコ革命三部作”と呼ばれる中の1本。マカロニ・ウエスタンが世界的なヒットに結びつくと、ハリウッド・メジャーも黙っていられなくて、資本に参加し始めた。本作はMGMの潤沢な資金提供を受けて作られ、メキシコ革命を舞台にした大作。米国資本でもコルブッチのアナーキーな精神は変わらず、殺しに殺しまくる。資金をふんだんに使いながらも、ハリウッドに迎合しない作品姿勢が素晴らしい快作。

010 「金はいくらあってもいい」
作品:『さすらいの一匹狼』(1966) PER IL GUSTO DI UCCIDERE
解説:
望遠照準器が付いたカスタム・ウインチェスターを愛用、“700oズーム殺法”で、300ヤードの距離から狙った相手を外さない。マカロニ・ウエスタンには珍しく、主人公は無敵の強さを誇り、リンチに遭うこともなく、山賊ケネベック一味を壊滅させる。その一匹狼の賞金稼ぎ、ランキー・フェローが賞金を受け取る時に言う台詞。大金を受け取っても満足せず、銀行員のコリンズが「これでもまだ足りんのか?」と言うのに対して、ランキーはこともなげに言う。セルジオ・レオーネの助監督だったトニーノ・ヴァレリの初監督作品。テンポのいいストーリーと主人公の飄々としたキャラクター、ニコ・フィデンコのパンチの効いた主題歌でスマッシュ・ヒットとなった。本作で自信をつけたヴァレリ監督はその後、『怒りの荒野』『ミスター・ノーボディ』と言った名作を生み出してゆく。

011 「俺の理念に反する」
作品:『夕陽の用心棒』(1965) UNA PISTOLA PER RINGO
解説:
銀行強盗を働き、人質を取って屋敷に立てこもるサンチェス一味。保安官事務所で町の人たちは人質救出の策を練るが、妙案が浮かばない。そこで目を付けられたのが、正当防衛ながら、殺人の嫌疑をかけられて牢屋にぶち込まれているリンゴ。保安官は人質救出のために、屋敷に潜入して欲しいと依頼するが、彼は断る。
保安官「奴が銀行から盗んだ金を取り戻せば、報酬は1割だ」
リンゴ「そいつは悪くないが、1割は安いな。3割以下の取引は、俺の理念に反する」
 ジュリアーノ・ジェンマの記念すべきマカロニ・ウエスタン初出演作品。劇場未公開だが、TV放映された。放映時の訳は、「3割以下の取引はやらない。そいつはフィーリングの問題だ」。当然、放映後の中学生、高校生男子の間で盛んに真似をされた。マカロニ・ウエスタンの主人公はよく口癖を言う。この作品では「俺の理念に反する」、あるいは「フィーリングの問題だ」で、その伝統はイーストウッド作品にも引き継がれる。彼は作品中でよく、「Go Ahead, Make My Day」「泣けるぜ」などと繰り返し呟くが、それらのルーツはマカロニ・ウエスタンから来ているのである。

012  「皆殺しにして、一人で帰って来い」
作品:『七人の特命隊』(1968) AMMAZZALI TUTTI E TORNA SOLO
解説:
5人のならず者を率いて、南軍司令部を演習時に制圧してみせたクライド。南軍が彼に下した特命は、北軍の砦の火薬庫に保管されている、金貨の強奪だった。監視役の情報将校リンチ大尉を引き連れた“七人の特命隊”は、難攻不落の砦を目指す。
将軍「前金を渡す。出発する前に皆で分けるがいい」
クライド「で、戻って来たら?」
リンチ大尉「戻って来させてはいかん」
クライド「と言うと?」
リンチ大尉「殺せ」
クライド「何!?」
リンチ大尉「皆殺しにして、一人で帰還するんだ」
 この非情さが、マカロニ・ウエスタンの魅力である。絶妙なチームワークを見せてミッションを達成。仲間同士の連帯感も生まれて、その最期に待っているのは、主人公が受けたこの情無用の命令。『黄金無頼』とはまったく異なる展開だ。本作はクエンティン・タランティーノが最も敬愛するイタリア人、『イングロリアス・バスターズ』の元ネタとなった『地獄のバスターズ』の監督、エンツィオ・G・カステラーリ監督の代表作である。

013 「列車は襲ったことしかないんだ」
作品:『群盗荒野を裂く』(1966) EL CHUNCHO, QUIEN SABE?
解説:
メキシコ人野盗のエル・チュンチョ一味に潜入したアメリカ人殺し屋のビルは、目的の革命家暗殺に成功、大金を手に入れて豪華ホテルでチュンチョと落ち合う。見たこともない料理を食べ、富豪たちとダンス・パーティに参加。山賊の荒野での暮らししか知らず、戸惑うチュンチョにビルは言う。
ビル「これからは何でも手に入る。列車に乗ったことはあるか? 快適だぞ」
チュンチョ「...列車は襲ったことしかないんだ」
 社会派のダミアーノ・ダミアーニが撮った、メキシコ革命に階級闘争を持ち込んだ政治劇。リアルなアクションとユーモアを交えつつドラマは展開し、最期に意外なラストが待ち受ける。初めて他人に気を許した若いアメリカ人殺し屋と、お人好しで頭は弱いが、問題意識が芽生え始めたメキシコ人山賊の、友情と悲劇。

014 「ダイナマイトを買うんだ!」
作品:『群盗荒野を裂く』(1966) EL CHUNCHO, QUIEN SABE?
解説:
大金を稼いだビルは、友達となったチュンチョとアメリカへ旅立つ。だが、列車に乗り込む寸前、チュンチョはビルを撃ち殺す。「チュンチョ、何故殺すんだ?」(原題)悲痛な表情を浮かべてビルは死に、チュンチョは警官たちに追われながら、持っていた金貨を全て靴磨きの青年に与えて、叫ぶ。「その金でパンを買うんじゃないぞ。ダイナマイトを買うんだ!」ビルから与えられたスーツや帽子を脱ぎ捨てながら、チュンチョは遠くへと走り去って行く。
 数多いマカロニ・ウエスタンの中でも、最も印象に残る屈指の名ラストシーン。革命に目覚めた文盲の男の力強いセリフが、いつまでもマカロニ・ファンの記憶に残る。

015 「さようなら、テキサス」
作品:『ガンマン無頼』(1966) TEXAS, ADDIO
解説:
テキサスの保安官バートは、親の仇を討つためにメキシコへと旅立つ。その後を、兄に憧れる、未だ若い弟ジムが追う。二人の兄弟を待っていたのは、暴力と死が支配する町だった。仇であるシスコの屋敷に乗り込んだバートは、ジムを人質に取られ、銃を捨てる。シスコの部下が部屋に入って来た一瞬の隙を突いて、ジムはシスコの銃を取り上げるが、部下の銃弾を浴びて倒れてしまう。バートはライフルを手にし、ありったけの弾丸を部下に浴びせると、ジムを抱き起こす。
ジム「バート、故郷に・・・テキサスに帰ったら、伝えて。テキサス、さようならと・・・」 
 そう言って、ジムは息を引き取る。
 『盲目ガンマン』『皆殺しのジャンゴ』『西部のリトル・リタ』など、カラーがまったく異なる無数のマカロニ・ウエスタン作品を撮り続けた職人監督、フェルディナンド・バルディ。彼の代表作で、涙なくしては観られないクライマックス、主人公の弟がいまわの際に伝えたセリフである。それが、原題にもなっている。

016 「もう二度と捕まらん、絶対にな!」
作品:『復讐のガンマン』(1968) LA RESA DEI CONTI
解説:
少女殺しの汚名を着せられ、逃亡中のメキシコ人クチリオ。凄腕のガンマン、コーベットは、実業家ブロックストンの依頼で彼を追う。むさ苦しい風体と調子の良い性格にだまされて何度か逃がしたものの、ようやく彼を捕まえた時に、彼の無実を知る。真犯人はブロックストンの息子だったのだ。二人で協力してブロックストン親子を倒した後、馬で走り去るコーベットとクチリオ。
クチリオ「俺は西の方へ行くぜ」
コーベット「俺は北だ。クチリオ…」
クチリオ「いいってことよ」
 砂漠を駆け抜けて、太陽の方向に馬を向け、クチリオは叫ぶ。「いいか、俺はもう二度と捕まらん。絶対にな」自分の間違いに気付き、謝罪しようとするコーベットに対してクチリオは許し、今までの追跡劇がまるで二人の間の遊びだったかの様に笑い飛ばす。つるべ打ちの決闘シーンと迫力の人間狩りがクライマックスの本作で、それまでの重厚なドラマが一瞬でカタルシスに変化する感動のラストシーンで叫んだ、クチリオのセリフ。

017 「人の命は高くない。短いだけさ」
作品:『リンゴ・キッド』(1966) JOHNNY ORO
解説:
この映画の主人公は“黄金のジョニー”と呼ばれる、黄金フェチのガンマンである。身の周りのモノ全てを黄金めっきで固め、拍車、拳銃、パイプ、馬具…全てがきらきらと輝いている。銃は撃った直後に布で磨き、他人が銃を手に取ると、指紋がつくのが嫌でそれを拭き取る。キザな性格で、馬は口笛を吹いて呼びつけ、賞金のかかってない若者は敢えて撃ち殺さない。そんなキャラの立った彼が、冒頭で賞金首を始末して、メキシコ政府役人ベルナールから賞金を受け取った時に答えたのがこのセリフ。
ベルナール「人の命は高くつくな」
ジョニー「高くない。短いだけさ」

018 「おーい、旦那がた」
作品:『真昼の用心棒』(1966) TEMPO DI MASSACRO
解説:
砂金取りに出かけていたトム・コーベットに、故郷から連絡が入る。久しぶりに帰郷してみると、町はスコット一家に牛耳られていた。土地は奪われ、兄のジェフは酒に溺れている。スコット一家の長男は気の狂った男で、育ての親のメルセデスは闇討ちに遭って殺された。怒りに燃えるコーベット兄弟は、スコットの屋敷に殴り込みをかける。フランコ・ネロ扮する寡黙なトムとは異なり(何故兄弟でこんなに性格が違うのか、クライマックスで主人公の驚きの出生の秘密が明かされる)、ジェフはアル中ながらも飄々とした性格。ふだんは鶏と遊び、へらへら笑っているが、銃の腕前はピカイチ。スコット一家との銃撃戦の最中、ドアの陰に身を隠して、敵をやり過ごすジェフ。気付かない敵のガンマンに対し、背後から声をかける。
ジェフ「おーい、旦那がた」
 一瞬の内に愛用のコルトでガンマンたちを殲滅した後、彼は呟く。「声をかけてから撃ったんだ。恨むなよ」
 ホラー映画の巨匠として名高いルチオ・フルチが監督2作目に演出したのは、スピーディなマカロニ・ウエスタン。至近距離から敵に何発も銃弾を撃ち込む残虐描写もさることながら、時折覗かせるユーモア感覚もまた、捨てがたい魅力がある。

019 「結局、みんな死んじまった」
作品:『荒野の墓標』(1966) DOVE SI SPARA DI PIU
解説:
血で血を洗う激しい抗争を続ける、アメリカ人のマウンターズ一家と、メキシコ人のカンポス一家。マウンターズ家のジョニーとカンポス家のジュリエッタは恋に落ち、許されない愛に生きようと決心する。駆け落ちしようとした二人だが、それぞれ相手方に囚われの身になってしまう。最期の決着をつけるべく、激しい銃撃戦を繰り広げる両家。飛び交う銃弾の中、ジョニーとジュリエッタは両家の間で抱き合う。愛し合う二人の姿に一度は銃声が止むが、すぐに銃撃戦が再開。やがて、両家は全滅してしまう。辺りに転がる死体の山。生き残ったのは、若い二人のみ。ジョニーは呟く。「結局、みんな死んじまった」二人は呪われた土地を去ってゆく。
 ストーリーを読めば判るように、これは『ロミオとジュリエット』を下敷きとした欧州製西部劇。途中、二人の愛が抗争を止めそうに見えるが、そこはマカロニ・ウエスタン。何事も無かったかのように撃ち合いが再開され、皆殺しの凄絶な結末となる。主役を演じたピーター・リー・ローレンスは、知名度は低いが、レオナルド・ディカプリオ似の若者。爽やかなマスクとは裏腹に、殺伐としたヨーロッパ製西部劇に多数出演している。

020 「運命が彼を殺したんだ」
作品:『つむじ風のキッド』(1967) EL HOMBRE QUE MATO A BILLY EL NINO
解説:
そのピーター・リー・ローレンスが実在した伝説のガンマン、ビリー・ザ・キッド(スペイン語だと、ビリー・エル・ニーニョとなる)を演じたのが、『つむじ風のキッド』。マカロニ・ウエスタンにしては、意外に手堅くまとめた実録風の活劇で、思いの外、史実に忠実でもある。お尋ね者のビリー・ザ・キッドは、恋人のヘレンと新しい生活を始めるため、銃を捨て、旅立とうとしていた。そこに現れたのは、ビリーの旧友であり、保安官でもあるパット・ギャレット。ビリーはギャレットに見逃してくれるよう、懇願する。その時、物陰からビリーを狙撃する影が…。かつてビリーが殺す価値もないと生かしておいた無法者だった。ビリーは銃弾に倒れ、絶命する。
ヘレン「何で彼を殺したの? あなたを信頼していたのに」
ギャレット「私が殺したんじゃない。運命が彼を殺したんだ」

021 「アーメン!」
作品:『続 荒野の用心棒』(1966) DJANGO
解説:
両腕を砕かれ、銃を握れなくなったジャンゴは、最期の決戦に挑むべく、墓場でジャクソン一味を待ち受ける。コルトのトリガー・ガードを歯で外し、両腕で銃を挟んで、十字架で支えるジャンゴ。何度立て掛けようとしてもコルトは十字架から落ちそうになり、ジャンゴは必死で固定させようとする。丘の上にジャクソン一味が現れた。彼らはジャンゴが銃を持てないことを知る。
ジャクソン「その手では十字も切れまい。代わりに祈ってやろう。父と子と…精霊の御名において…」
ジャンゴ「アーメン!」
 十字架でコルトを支え、劇鉄を叩いて連射するジャンゴ。ジャクソン一味はその場に崩れ落ちる。
 マカロニ・ウエスタンのアイデンティティを確立させた、セルジオ・コルブッチの大傑作。ぬかるみ道を棺桶を引きずってジャンゴが登場するイントロからただならぬ雰囲気を漂わせ、棺桶の中から機関銃を取り出して40人もの敵を掃討するすさまじい銃撃シーンから、最期のこの墓場での決戦にいたる迄、初めて観る者は言葉を失う、イタリア製西部劇の金字塔である。本作の登場以降、イタリア製西部劇においては、祈りを唱えながら敵を討つ無数のガンマンたちが登場するようになった。

022 「軍曹…見ていたか」
作品:『さいはての用心棒』(1966) PER POCHI DOLLARI ANCORA
解説:
南北戦争終結直後。戦争が終わったのを知らずに、武装強固なユマ砦を攻撃しようとする南軍ゲリラ隊。無駄な争いを止めさせようと、南軍将校のゲイリーは北軍に協力、ユマ砦へと向かう。そこに、終戦のどさくさに紛れて砦の黄金を奪おうと企むリッグス一味が後を追う。ゲイリーに同行するのは、敵ながら気の合ったピット軍曹と、リッグス一味と通じているルフェーブル大尉。数々の危険に遭いながらもゲイリーは機転を利かせ、ユマ砦へと近づいていく。途中、ピット軍曹はリッグス一味の銃弾に倒れた。彼の形見のデリンジャーを、ゲイリーは受け取る。最期の銃撃戦で、弾の尽きたゲイリーにルフェーブル大尉は銃を突きつける。
ルフェーブル大尉「最期の祈りでも唱えるんだな。天国へ行けるよう、十字くらい切らせてやろう」
 ゲイリーは十字を切りながら、上着に忍ばせたピット軍曹の形見である護身用小型拳銃を抜き、一発でルフェーブル大尉を仕留める。銃を見ながら、彼が言うのがこのセリフ。

023 「サ・ヨ・ナ・ラ!」
作品:『サイレント・ストレンジャー(未)』(1968) LO STRANIERO DI SILENZIO
解説:
去ってゆくストレンジャーに向かって、日本人の娘が声をかける。「日本語で何か話してよ!」ストレンジャーはカウボーイ・ハットを取ると、深々とお辞儀をしながら叫ぶ。「サ・ヨ・ナ・ラ!」彼は馬に乗って、京都・木津川の流れ橋を去ってゆく。
 『暁の用心棒』のヒットにより、その後、MGMは2作の“ストレンジャー”シリーズを製作することになった。その完結作が、京都を舞台に主人公のストレンジャーが活躍する本邦未公開の『サイレント・ストレンジャー』である。周りは殆どが日本人。言葉が通じないので、いきおい主人公は寡黙になり、最期の最期で「サ・ヨ・ナ・ラ!」と叫ぶことになる。そして馬で画面の奥に去って行ったのだが、彼が何処へ向かって行ったのかは、永遠の謎である。南蛮渡来の新兵器ガトリングガンでなぎ倒される長屋、日本家屋をブーツで踏み荒らし、斬りかかってくる忍者や侍を銃でドカドカ撃ち倒すストレンジャー。おびただしい数の珍作・怪作が作られたマカロニ・ウエスタンの中でも、これはかなりの珍品。

024 「俺は恨んじゃいない。憎んでいるだけだ」
作品:『野獣暁に死す』(1968) OGGI A ME, DOMANI A TE!
解説:
愛する妻を殺されたあげく、その罪をきせられ、ムショにぶち込まれていた主人公、ビル・カイオアが出獄する。彼は牢獄の中で木彫りの拳銃を作り、毎日拳銃の練習に励んでいた。そんな彼に刑務所の所長は言う。「人を恨むんでないぞ。怨みは捨てるんだ」彼はそれに答えて、「俺は人を恨んじゃいない。憎んでいるだけだ」
 仲代達矢が悪役を演じたことで有名になった、マカロニ・ウエスタン。主人公はほとんど言葉を喋らない寡黙な男だが、それだけに時折答える短いセリフには凄みが感じられる。仲代演じる悪役エル・フェゴーと最期の対決時に、彼は言う。「昼も夜もお前のことを忘れちゃいなかった。昼も、夜もな」
 イタリア語でこの「昼も、夜もな」は、「Giorno e Notte」と言っているのだが、一音節をひとつひとつ区切るように話す彼の語り口が、憎しみの深さを表していて迫力がある。本作の脚本を書いたのは、後に『サスペリア』で有名になるホラー作家のダリオ・アルジェントだ。

025 「殺っちまおうぜ、同士たちよ!」
作品:『ガンマン大連合』(1970) VAMOS A MATAR, COMPANEROS
解説:
政府軍、革命でひと儲けを企むモンゴ将軍、非暴力による革命を訴えるサントス教授の三派が争うメキシコの町に、スウェーデン人武器商人ヨドラフ・ペテルセンがやって来る。彼はモンゴの副官バスコと共に、メキシコの富が眠る金庫を開けるナンバーを知る教授を連れ戻しに来たのだ。途中、政府軍との撃ち合いでお尋ね者になった二人を、ヨドの昔なじみジョンが執拗に狙う。彼はかつての商売でヨドに裏切られ、右手を失っていた。幽閉された米軍の要塞から無事教授を救い出した二人だったが、目の前に政府軍、ジョン、モンゴらが待ちかまえていた。いつの間にかバスコたち革命派の心情に共感を抱き始めたペテルセンは、ラストでメキシコ政府軍の大軍を前に覚悟を決め、彼らに向かって叫ぶ。
「殺っちまおうぜ、同士たちよ!」
 スタッフ、キャストも『豹/ジャガー』とほぼ同じ。まさしく『続・豹/ジャガー』と言うべき内容の姉妹編。演出した西部劇がちょうどこれで10本目となるセルジオ・コルブッチは、本作でも絶好調。製作資金が増えてもいたずらに大作とならず、持ち前のパンクでアナーキーな精神は変わらず、金はかけてもスピード感は落とさない軽快な娯楽作に仕立て上げた。音楽も『豹/ジャガー』に引き続き、巨匠エンニオ・モリコーネが担当。“殺っちまおうぜ、殺っちまおうぜ! 同士たちよ”と連呼する主題曲が物語のテンションを一気に高揚させる。

026 「俺の名か? 姓はアリゾナ、名は…こいつさ」
作品:『南から来た用心棒』(1966)  ARIZONA COLT
解説:
メキシコ人山賊ゴルドは、囚人を解放して仲間に加えるため、刑務所を襲撃する。収監されていた主人公はいいチャンスとばかり脱獄するが、山賊仲間に加わろうとはしない。大胆不敵、向こう見ずな主人公に向かって、ゴルドは聞く。「お前の名は何て言うんだ?」彼は答えて、「俺の名か? 姓はアリゾナ、名は…(くるくるっと拳銃を回しながら、ホルスターに器用におさめて)こいつさ。アリゾナ・コルトだ」
 マカロニ・ウエスタンのルーツは黒澤明の時代劇だが、『荒野の用心棒』以外の作品にもその影響は強くあらわれていて、この作品の主人公が名乗る時も、まるで『用心棒』の桑畑三十郎と同じだ。他にも、マカロニ・ウエスタンには“シュガー・コルト”“ガーター・コルト”“ローラ・コルト”“チポッラ・コルト”“レヴェレンド・コルト”…無数の“〜コルト”が登場した。その中で最も知名度があり、ファンにも人気が高いのが、本作のジュリアーノ・ジェンマ扮するアリゾナ・コルトである。

027 「俺が本当のアメリカ人だ」
作品:『さすらいのガンマン』(1966) NAVAJO JOE
解説:
強盗団を率いて暴虐の限りを尽くすダンカンに妻を殺され、一族を皆殺しにされたナバホ・インディアンのジョー。ダンカン一味は次のターゲットを辺境の町に定めた。怯えた町の人々は、ジョーに助けを求める。町の保安官は戦闘のプロであるジョーに町を守ってもらう代わりに、強盗団一人につき、1ドルの懸賞金を与えることを約束する。その条件に、ジョーはもうひとつ、要求を突きつけた。それは、自分が町の保安官になることだった。「アメリカ人じゃないと任命できない」と答える保安官に向かって、ジョーは言う。
ジョー「俺の父は此処、アメリカの山で生まれた。その父も、そのまた父も、同じく此処の山で生まれた。あんたはどこの生まれだ?」
保安官「スコットランドだ」
ジョー「どっちがアメリカ人だ? 俺はアメリカで生まれた。俺が本当のアメリカ人だ」
 先住民族を主人公に据え、鮮烈なアクションを見せながら、力強いテーマを掲げることに成功したコルブッチ監督の代表作。“裸馬(はだかうま)”を乗りこなし(通常、インディアンは鞍を付けない裸馬に乗る)、ウイスキーを飲む時は栓を開けずにボトルの首をバキッとへし折ってから飲む、このキャラの立った主人公を演じるのは、実際にチェロキー・インディアンの血をひくバート・レイノルズが演じてこそ。それ迄西部劇では悪役でしか描かれることがなかったインディアンが、この作品では最高に格好良く、意気地無しの白人とは異なる、リスペクトに値する行動を取る。実際にはジョーは、保安官のバッヂをライフルでつつきながら、「これは俺のものだな」としか言ってないが、TV放映時にはこの名台詞に意訳され、放映当時、全国の視聴者を感動させた。

028 「拳銃を捨てれば済むことじゃないの」
作品:『虹に立つガンマン』(1968) SPARA, GRINGO, SPARA
解説:
絞首刑寸前に助けられ、命と交換に人狩りを命じられたガンマンのスターク。標的を追う途中で、カリフォルニアへ向かう開拓者一家と知り合う。その未亡人に淡い恋心を抱くスタークだったが、ガンマンの宿命ゆえに想いを告げることが出来ない。そのスタークに向かって彼女が言った台詞。スタークは「ガンマンは誰にでも出来る商売じゃない。それに、自由もある」と反論するが、説得力に乏しいのを自分でも感じている。フィリップ・K・ディック原作、リドリー・スコットが監督した『ブレードランナー』は、かつてこのマカロニ・ウエスタンで主人公を演じていたブライアン・ケリーが製作した。その事実を頭に入れながら『ブレードランナー』を観直すと、このSF映画の傑作には数々のイタリア製西部劇に対するオマージュがちりばめられているのが判る。例えば、『ブレードランナー』冒頭のフォークト=カンプフ検査実施中の銃撃シーン。CUT割りに至るまで、『続・夕陽のガンマン』冒頭の銃撃シーンと酷似しているのだ。劇場未公開の本作でも、ガンマンのアイデンティティ、標的に対する感情移入といったフィリップ・K・ディックを思わせるテーマが散見され、この未亡人のセリフによって、主人公はそれ迄の生き方(マカロニの主人公の中でもこのキャラクターは、かなり最低の男だ)を変えて行くことになる。

029 「棺桶を用意しろ!」
作品:『皆殺しのジャンゴ』(1968) PREPARATI LA BARA
解説:
野望に燃えるデヴィッドは、手段を選ばず権力を拡大、土地や金を独り占めにしていた。彼の相棒を務めていたのはジャンゴ。だが、デヴィッドは右腕のジャンゴを裏切り、彼の妻共々銃撃する。命を取り留めたジャンゴは死刑囚を集めて仲間に引き入れ、殺された妻の復讐を胸に、デヴィッド一味と対決する。クライマックス、墓場で黙々と墓穴を掘るジャンゴ。復讐を忘れ、再び手を組もうと唆すデヴィッド。だが、ジャンゴの憎しみの炎は消えることが無い。最期のチャンスを与えたものの断られたデヴィッドは、大勢の手下を従え、ジャンゴに最後通牒を突きつける。その時のセリフ。
デヴィッド「お前に贈る言葉はただひとつだ。祈れ。そして、棺桶を用意しろ」
 直後に、墓穴から現れた棺桶の蓋を開け、ジャンゴは取り出した機関銃でデヴィッド一味を皆殺しにする。この映画は、相棒の奥さんに嫉妬した、孤独な悪役の同性愛的な友情がテーマとも取れる。デヴィッドの描き方は際立っていて、他のマカロニに出てくる金の亡者というだけでは捉えきれない。彼は言う。「私には野望がある。胸の中で燃え上がる野望をどうしても抑えきれんのだ」だが、ジャンゴは冷淡だ。彼は妻との平和な生活しか夢見ない。デヴィッドはジャンゴを見限り、妻と一緒の殺害を企てる。そして、彼が実は生きていたと知った時、デヴィッドは密かに喜ぶのだ。彼には、野望を達成するパートナーとしてのジャンゴがどうしても必要だったのである。だから、機関銃に撃たれて息絶える時、デヴィッドは微笑みながら死んで行く。
 原題にもなっている「棺桶を用意しろ!」とは、ジャンゴを演じたテレンス・ヒルの出世作、『西部のリトル・リタ 〜踊る大銃撃戦〜』に出てきたセリフでもある。クライマックスで流れるジャンフランコ・レヴェルベリ作曲のサブ・テーマは、ナールズ・バークレイによってサンプリングされ、新たなリズム&ブルースの名曲「クレイジー」となって蘇り、2006年のグラミー賞でふたつの賞を受賞した。

030 「海の向こうのガンマンかもしれねえなあ」
作品:『皆殺しのガンファイター』(1969) UN UOMO CHIAMATO APOCALYPSE JOE
解説:
“黙示録のジョー”と呼ばれる主人公は、役者を志望する芝居好きのガンマン。シェークスピアに憧れ、一度彼に会って、話をするのが夢でもある。謎の死をとげた叔父から金山の権利を引き継いだジョーは、得意の変装術を駆使して、叔父殺しの犯人たちと戦う。たった一人で30人の敵と撃ち合い、全滅させたジョーは、颯爽と町を去って行く。「これからどうするだ」と呼びかける町の人々に対し、彼は答える。
ジョー「英国に渡って、シェイクスピアに会うんだ!」
リタ「シェイクスピアって、いったい誰?」
クラン「さあ、海の向こうのガンマンかもしれねえなあ」
 言語では、「どこかの流れ者だろうよ」としか言ってないが、“流れ者”を“海の向こうのガンマン”と意訳したTV放映時の翻訳者はさすが。おそらく、この作品を放送時に観た人たちは、ストーリーやタイトルは忘れていても、このセリフは覚えているのではないだろうか。ウィリアム・シェイクスピアが生きていたのは、1564年〜1616年。19世紀のガンマンであるジョーが無事、海の向こうの英国に渡って会いに行ったとしても、シェイクスピアは200年以上も前に死んでいるのである。残念。

031 「ひでぇご時世になったものだ。黒人と白人が同じ値段とはな」
作品:『殺しが静かにやって来る』(1968) IL GRANDE SILENZIO
解説:
賞金稼ぎのロコが、賞金のかかった黒人の妻を人質に取り、彼に武器を捨てるよう、促す。「殺さないから自分で出て来い」「俺を信用しろ。銃を捨てて出てくるんだ」妻の頭に銃を突きつけられた男はライフルを捨てて出てくるが、その直後にロコに射殺される。彼は黒人女に冷酷に言い放つ。「亭主に最期の別れをしてこい」そして、冷笑しながら、黒人も白人も賞金の額が同じになった世の中を嘆くのだ。
 セルジオ・コルブッチ監督がこの映画に登場させた主人公サイレンスは、劇中、一言も喋ることが無い。幼い頃、賞金稼ぎから口封じのため、喉を切られた過去があるからである。それなので、セリフを吐くのはもっぱら敵役の悪徳判事や、人種差別主義者の賞金稼ぎとなる。彼らの暴論、人間性のかけらも無いセリフに対して、主人公は何も言い返すことが出来ない。観客は物語が進むうちに、次第に怒りを蓄え、知らず知らず純粋な正義感を発露させていくことになる。そして、舞台はユタ州の雪と氷に閉ざされた山奥。自動拳銃を使い、賞金稼ぎのみをターゲットとする殺し屋を主人公とした、とても娯楽映画とは思えぬ冷徹な視点で描いたこの異色作は、その驚愕のエンディングで観た者全てを凍り付かせることになる。

032 「正義は俺の魂の中にある!」
作品:『血斗のジャンゴ』(1967) FACCIA A FACCIA
解説:
病弱な大学教授ブレットは、療養のために訪れたテキサスで、無法者ボー・ベネットと知り合う。彼に影響されて、次第に暴力の歓びに目覚め、権力欲に取り憑かれるブレット。逆にボーは、人殺しとしての自分の人生に疑問を感じるようになる。クライマックスで、密偵として彼らと行動を共にしていた裏切り者シリンゴを前に、彼を殺そうとするブレットと、ボーは対立する。
ブレット「正義? 何が正義だ? ボー、正義はひとつしか無い。それは、強い者が作るんだ。他に正義なんてあり得ない」
 ボーはブレットを殴り倒し、叫ぶ。
ボー「あるさ! 教えて欲しいか!? 正義は俺の魂の中にある! 俺のこの胸の中にな」
 本当の“悪”とは、本当の“正義”とは何なのか?
 マカロニ三大監督セルジオ三人衆(セルジオ・レオーネ、セルジオ・コルブッチ、セルジオ・ソリーマ)の哲学派ソリーマが描くこの映画は、「善」と「悪」のキャラクターが入れ替わる物語構造を通して、暴力の本質、正義と悪の観念の違いを鋭くえぐり出す。原題の“顔と顔”は、西部劇においては“決闘”の意味も持つが(顔と顔を向かい合わせるため)、作品はさらにその奥の、レーゾン・デートル(存在理由)までを対比させ、深い余韻を残すエンディングへとつながって行く。

033 「関係ないね」
作品:『スペシャリスト』(1969) GLI SPECIALISTI
解説:
銀行強盗の罪を着せられ、リンチで殺された兄の汚名を晴らしに、故郷へと帰って来たハッド。“殺しのスペシャリスト”として恐れられている彼に、町の人々は手出しが出来ない。必要なことしか喋らず、一貫して矛盾の無い行動を取る彼に、下心を抱く連中がつきまとう。未亡人の悪女、幼なじみの山賊、道化役の保安官、臆病な町の人々…。そんなくだらない連中に対し、彼が繰り返し言うのが、この『木枯らし紋次郎』を思わせるクールなセリフ。彼は言う。「俺には関係ないね。誰ともな」だが、兄殺しの真相が明らかになるにつれ、彼は兄の娘シバを気にかけるようになり、娼婦たちをかばい、「関係ない」とは言わなくなっていく。最期に彼は、人質に取られた町の人々、シバのために銃を取り、単身、敵に向かって行く。愛用のコルトは弾丸が尽きているが、それでもなお、「俺は行く」と言いながら、ぼろぼろの身体で敵に立ち向かっていく。壮絶な銃撃戦の後は一言もセリフは無い。彼はシバに無言の別れを告げて、夕陽の中に消え去って行く。
 フレンチ・ポップ歌手ジョニー・アリディを主人公に据えた、コルブッチ後期の異色作(と言うか、彼は異色作しか撮っていない)。一瞬でカタのつくド迫力の銃撃戦、意表を突いたドラマ展開、隠された10万ドルの謎を追うスリリングなストーリー…この作品も見所が満載だ。特にロングコートを身にまとい、満身創痍になりながらも全てを片付け終えて、夕陽の中へ消えていくハッドの格好良さは、2010年に公開されたジョニー・トーのフィルムノワール、『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』の原点も感じさせて、小気味よい。黙々と行動、やる時はやる。男の格好良さを、このマカロニ・ウエスタンの主人公はアクションのみで見せてくれるのだ。

034 「俺たちは銃に縛られて生きている」
作品:『情無用のコルト』(1966) ALL'OMBRA DI UNA COLT
解説:
ガンマン稼業から足を洗い、家族との平和な生活を夢見る若い拳銃使いスティーヴ。彼は相棒の熟年ガンマン・デュークの娘、スーザンとの結婚を望んでいる。だが、そんな彼の甘い考えをデュークは打ち砕く。デュークもかつては拳銃を捨て、妻との平和な暮らしを望んだ時期があったのだ。だが、デュークを倒して名を上げようとするガンマンが狙った銃弾で、デュークの妻は命を落とした。娘スーザンを同じ目に遭わせたくないデュークは、相棒に向かって言う。「一度銃を握った者は、一生捨てることは出来ない」
 拳銃を捨てようとして捨てきれなかった初老のガンマンと、稼いだ金で平和に暮らそうとする若きガンマンの友情と悲劇を静かなタッチで描いた、忘れられぬマカロニ・ウエスタンの佳作。タイトル・バックでニコ・フィデンコが歌う主題歌が泣かせる。「穀物の粗い穂、女の滑らかな髪に俺は触れてみたい」「人々と目を合わせて微笑みたい」「大勢の人と握手をしてみたい」「…しかし、それは俺には許されない。何故なら、俺には殺ししか出来ないのだから」作曲家自身がインタビューで答えているが、これはひょっとすると、ガンマンの悲哀を憂愁のメロディに乗せて、歌手がつぶやく、世界初のラップ・ミュージック。西部劇とラップとの相性は良く、他にもデヴィッド・ボウイが悪役を演じた未公開のマカロニ・ウエスタン、『IL MIO WEST』や、『黒豹のバラード』『地獄のアパッチ』などでも、主題歌に印象的なラップが使用された。

035 「俺たちは川の分かれ目にいたが…これからは一緒だ」
作品:『アヴェ・マリアのガンマン』(1969) IL PISTOLERO DELL'AVE MARIA
解説:
「川」とは、メキシコと合衆国を隔てて流れる、川のことである。記憶を無くしたセバスチャンは、夕暮れ時に鳴る鐘(アヴェ・マリアの鐘)を聞くと、過去の断片的な印象が思い出されるような気がしてならない。ある日、彼は山賊から追われていたラファエルの命を救う。偶然のように思われたが、それは最初から仕組まれていたことだった。彼らはメキシコに渡り、カラスコ将軍暗殺に関わる陰謀に巻き込まれていく。生き別れの姉、宿敵と密通していた母…ラファエルが実はセバスチャンの幼なじみで、彼が命を賭けて真実を知らせに彼の元を訪ねたことを、セバスチャンは知る。彼は出生の秘密を探るために、ラファエルとメキシコを目指す。その時の、セバスチャンの決意に満ちたセリフ。ラファエルはセバスチャンに友情を感じながらも、実は彼の姉を愛している。だが、彼には姉を愛せない事情があった。
 それぞれの思惑を抱えながら、物語は次第に大きく展開していく未公開のマカロニ・ウエスタンにも傑作は多いが、中でもこの作品はスケールの大きさ、ギリシャ悲劇を思わせる人間ドラマの深み、ミステリアスな物語の展開で、ファンの間で人気が高い。ロベルト・ブレガディオの音楽は美しく、そのテーマ曲はベッカムの出たコマーシャルや、マカロニ・ウエスタンをテーマにした人気ゲーム、『レッド・デッド・リボルバー』にも流用された。主人公を好演したレオナード・マンは、翌年にも『CHUCK MOLL』で記憶を喪失したガンマンを演じている。

036 「志を持って、たまには働いたらどうか? 牛泥棒とか。駅馬車強盗でもイカサマ賭博でもいい」
作品:『風来坊/花と夕日とライフルと…』(1970) LO CHIAMAVANO TRINITA
解説:
馬の後ろに寝そべって、思い切り薄汚れた男がメキシコ国境近くの町に流れてくる。男の名はトリニティ(『マトリックス』のトリニティはこの作品から命名された)。“悪魔の右手”として知られた早撃ちの男だ。町では彼の兄、巨漢のバンビーノが保安官になりすましていた。彼の本職は“まっとうな”馬泥棒だが、成り行きで町を牛耳る「少佐」と対立、保安官を偽っていたのである。少佐は谷に住むモルモン教徒を追い払い、馬の牧草地にしようと企んでいた。ところが、モルモン教徒の女の子たちに惚れた風来坊兄弟が彼女らのために加勢、事態はややこしくなっていく。このセリフは町に到着した途端、相次いでトラブルを起こす弟に、兄が諭す時の説教。彼の説得に対して、弟は答える。「何もしないのも忙しいもんだよ」
 それまで激しいアクションと残酷描写を売り物にしてきたイタリア製西部劇は、この作品をきっかけとして、おおいなる方向転換を迫られる。怠け者で垢だらけ、トラブルを好み、食い物と女に目のない前代未聞の主人公。ベタなギャグ、決着は銃を使わず殴り合い…。本作の大ヒットにより、イタリア娯楽映画はコメディ化の道を歩み始めた。この作品の成功がセルジオ・レオーネを刺激し、同じテレンス・ヒル主演による傑作、『ミスター・ノーボディ』へとつながっていく。

037 「アメリカ式に死にたい」
作品:『西部のリトル・リタ 〜踊る大銃撃戦〜』(1967) LITTLE RITA NEL WEST
解説:
西部きっての早撃ちリトル・リタは、今日も相棒と共に荒野をさすらう。友人のインディアンの族長から頼まれて、大金を奪ったリンゴらを追うことになった彼女は、得意の早撃ちと秘密兵器で次々にガンマンたちを倒していくのだった。棺桶をひきずったジャンゴとの墓場での決闘の後、死にかけているジャンゴは彼女に願いを伝える。
ジャンゴ「頼みがある。アメリカ式に死にたい」
リタ「何なの、それは?」
ジャンゴ「死ぬ前に人生を語りたいんだ」
リタ「時間のムダよ」
ジャンゴ「インディアンと日本人は簡単に死ぬが、俺はガンマンだ。死ぬ前に2分間は、語る時間をもらえるはずだ」
 リタはうなずき、ジャンゴは人生を語りながら息絶えていく。
 何と、ミュージカル仕立てのマカロニ・ウエスタン。60年代当時、コニー・フランシスと並ぶアイドル歌手だったリタ・パヴォーネを主役に据え、登場人物全員が歌い、踊る、パワフルな娯楽作となった。パロディ満載で、取り巻くガンマンたちも、マカロニ・ウエスタン常連俳優のテレンス・ヒル、フェルナンド・サンチョ、ゴードン・ミッチェルと豪華。全編を通じてのバカバカしい展開にあ然とさせられるところもあるが、アクションは手を抜いておらず、マカロニなのでオチは常に“皆殺し”。本格的なミュージカルだが、殴り合いも真剣で、そのミス・マッチ感はモンド映画史上、群を抜いている...と思う。

038 「思い切り泣くといい」
作品:『荒野の処刑』(1975) I QUATTRO DELL'APOCALISSE
解説:
冷酷非情、情無用をモットーとするマカロニ・ウエスタンの世界で、主人公が吐く台詞としては珍しい、思いやりに満ちたセリフ。“悪党一掃の日”に命からがら町から逃げ出したギャンブラーのスタビィ、娼婦のバニー、飲んだくれのクレム、黒人の墓堀人バドたちは、荒涼とした山奥でハンターのチャコと出会う。彼は恐ろしい男だった。危うく彼に殺されかかった4人はさらに荒野をさすらい、数々の事件と遭遇する。ならず者たちが襲撃する現場を見て怯えるバニーの肩をそっと抱き、優しく声をかけた時のスタビィのセリフ。それ迄互いに距離を持ち、冷ややかだった彼らは、この時から心が通い始める。
 ホラーの巨匠ルチオ・フルチが撮った3本のマカロニ・ウエスタンのひとつ。地獄のロード・ムービー。無法、虐殺、カニバリズム…目を背けたくなるような出来事がいくつも続くが、この映画のテーマは「愛」だ。本作のはみ出し者の主人公たち(ギャンブラーに娼婦、黒人、アル中)はまっとうな考えをし、他人への思いやり、慈しみの感情を持っている。冷徹な視線で描かれてはいるが、そこには「希望」が感じられる。だから物語中盤の、ろくでなしの男だけが住む町でのバニーの出産シーンは感動を呼ぶのである。最期に一人残されたスタビィは、チャコへの復讐を決意する。その時の彼は、登場時のキザなギャンブラーではなく、信念を持った一人の男に変わっているのである。

039 「信じるのもいいが、疑う方がより賢い」
作品:『増える賞金、死体の山』(1973) CAMPA CAROGNA...LA TAGLIA CRESCE
解説:
大量の銃器と弾薬を奪い、美人看護婦を誘拐したロペス将軍指揮下のならず者アンジェロを追うために、ワシントンからチャドウェル、ヤンガー、スミスの3人の米陸軍騎兵隊が辺境の砦に差し向けられる。道中、アンジェロの賞金千ドルを目当てに、イスラム教徒の賞金稼ぎコーランが加わった。ガトリングガンが唸り、ダイナマイトが炸裂する大銃撃戦の果てにミッションは終了。結局、賞金を受け取れなかったコーランと騎兵隊たちの間で緊張が走るが、既に仲間意識が芽生え始めた彼らは、一緒にワシントンへ向かおうということになる。このセリフはコーランがモハメッドの言葉として引用(真偽のほどは不明)したものだが、チャドウェルの「ワシントンはきちんと賞金を支払う用意がある」との返答に対し、半信半疑で放った言葉。それに対し、チャドウェルは笑いながら「つきまとわれても困る。一緒に行こう」となって、4人仲良く馬を走らせるエンディングとなる。
 傘に仕込んだマシンピストル“GUNブレラ”、炸裂弾頭を遠方から命中させる長距離射程ライフルなど、奇想天外な兵器が活躍する、未公開のマカロニ・ウエスタン。ジャンニ・ガルコ扮するイスラム教徒の賞金稼ぎは何かある度にコーランを引用、“コーラン”と呼ばれることになる。他にもナポレオンを信奉する狂った革命軍の将軍、仲間でも平気で撃ち殺す非道の山賊アンジェロ、男気に溢れる騎兵隊将校チャドウェルなど、ストーリーは滅茶苦茶だが、登場人物全てがキャラの立った、劇画的な展開が魅力の作品である。

040 「あんたはいい先生だった。いい先生は人殺しを教えちゃいけない」
作品:『バンディドス』(1966) BANDIDOS
解説:
荒野を疾走する列車が襲撃され、乗客たちが皆殺しにされた。乗り合わせた射撃の名手マーティンは、両手を撃ち抜かれ、ただ一人の生存者となる。襲撃したバンディドス(山賊)の首謀者はビリー・ケイン。早撃ちで知られた無法者だ。数年が経ち、酒に溺れて落ちぶれたマーティンは、射撃の見せ物を巡回営業しながら、じっと復讐の機会を伺っていた。ある時知り合った若者リッキーに、マーティンは射撃のノウハウを教え込む。だが、リッキーはマーティンの真意を知る。見せ物で稼ぐのは表向きで、銃を使えなくなったマーティンはリッキーに射撃の腕を仕込んで、身代わりに復讐をさせようとしていたのだ。マーティンの申し出を断った時の、リッキーの返答がこの言葉。マーティンは自分自身で復讐を果たす決意を固め、銃身を切断した散弾銃を持って、単身ビリーに挑んでいく。
 西日や逆光など陰影を活かした美しい撮影、深みのある人物描写にリアリズム溢れる演出が魅力の、イタリア製西部劇。『荒野の用心棒』の撮影監督、マッシモ・ダラマーノの初監督作品でもある。決闘直前に拍車をブーツから外したり、弟子同士の着弾がまとまっていたりと、細かい描写が光る。クライマックス近く。実は、ビリーはかつてマーティンの弟子で、それで彼だけが生き残った理由が判るのだが、無念の死を遂げた師匠の形見の散弾銃を拾い、リッキーはビリー一味に戦いを挑む。弟子同士の銃撃戦は今観てもサスペンスフルで、その後のエンディングも深い味わいがある。練られたダイアログも見事な、知られざる傑作である。

041 「俺を殺すには俺の許可が要る」
作品:『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(1967) DA UOMO A UOMO
解説:
復讐の相手を追って、メキシコの寒村“エル・ヴィエント(風の村)”にたどり着いたビル。そこは、山賊とならず者のたまり場だった。ひなびた酒場で酒を飲んでいたビルは、酒場の娘から警告を受ける。「早くここから出て行って。殺されるわ」しかし、ビルは怯まずに言う。 「俺を殺すには俺の許可が要る。...許可を出すつもりもないけどな」
 拳銃の師匠が若者に心得を教えていく話は西部劇の定番だが、『怒りの荒野』や『バンディドス』など、イタリア製西部劇においても名作が多い。本作は『怒りの荒野』に引き続き、リー・ヴァン・クリーフがジョン・フィリップ・ローにガンマンの掟を教えていく復讐譚。家族を皆殺しにされた幼い子供が成長、銃の腕を磨き、幼い頃の記憶を頼りに復讐する相手を探し続ける。ふとしたきっかけで知り合った謎のガンマン、ライアンと共に。だが、ライアンには別の目的があり、最期には意外な正体が明かされるのであった。本作は『さすらいのガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』と並び、クエンティン・タランティーノ監督のお気に入りのマカロニの1本。エンニオ・モリコーネが作曲したテーマ曲は、『キル・ビル Vol.1』の“青葉屋”の死闘のシーンでも流用された。

042 「復讐は冷めてから味わえ」
作品:『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』(1967) DA UOMO A UOMO
解説:
同じく、『新・夕陽のガンマン/復讐の旅』から。憎悪だけを糧に銃の腕を磨き、早撃ちと正確な射撃の腕は抜群な腕前となったが、実戦経験の無いビル。初老のガンマン、ライアンは彼に都度、アドバイスを与える。例えば、上記のセリフ。
ライアン「お前は憎しみに酔っている。自己陶酔は失敗の元だ」
ビル「憎しみだけが俺の人生だ」
ライアン「“復讐は冷めてから味わえ”と言うぞ。荒野の掟だ」
 この「復讐は冷めてから味わえ」とは、『スタートレック』における“クリンゴンの諺”としてアメリカ人には知られており、クエンティン・タランティーノは『キル・ビル Vol.2』の冒頭で引用した。だが、実はイタリアで古くから使われている常用句なのである。レオナード・マンが主演した『ガンマン無頼/地獄人別帖』の原題にも引用されていて、原典は「復讐とは冷めた料理のようなもの」と言う。要するに、冷めてから食べた方が美味しい料理と同じで、復讐する際はすぐに実行せず、じっくりと機会を待ち、宿敵を倒す想像を頭の中で巡らせてから、時間を置いて実行せよ、ということなのだ。

043 「幸せに砂金はいらない」
作品:『スレッジ』(1969) LO CHIAMAVANO SLEDGE
解説:
お尋ね者のスレッジは仲間と共に、武装した40人の護衛がつく砂金輸送馬車を襲おうと計画する。自殺行為だと止めるよう警告する親友のワード。だが、スレッジは興奮を抑えきれない。
スレッジ「俺はあの砂金がどうしても欲しい! 俺の最期の大芝居なんだ。俺は白い垣ををめぐらせた家で、女に料理をさせながら、静かに白髪の晩年を迎えたいんだ!」
 「女」とは、恋人のリアである。そのリアは、スレッジにこう告げる。
リア「幸せに砂金はいらないわ」
 結局、友人の忠告も女の願いも聞き入れず、スレッジは砂金強奪を実行。計画は成功したかに見えたが、その後、仲間割れを発端にして、スレッジは友も、女も、砂金すらも失うことになる。
 『コンバット!』のヴィック・モローが監督、『スペース カウボーイ』のジェームズ・ガーナー、『警部マクロード』のデニス・ウィーバーが出演したアメリカ/イタリア合作のマカロニ・ウエスタン。主人公のスレッジは一匹狼でなく、仲間を思い、気持を言葉にして伝える無法者だ。無法者であるが故のルールを守り、親友が殺された時には危険を顧みず、仇を討ちに引き返したりする。だが、そこは非情のマカロニ・ウエスタン。黄金の輝きに目がくらんだスレッジは、仲間に裏切られ、恋人を殺され、ほんとうに大切なものが何だったかを、最期に知ることになる。

044 「毎晩、神に尋ねている。“主よ、真の友達は誰ですか?” 毎晩尋ねているが、答えは同じだ。…答えはない」
作品:『盲目ガンマン』(1971) BLINDMAN
解説:
全盲だが凄腕のライフル使い、ブラインドマンは、スカンクから50人の花嫁候補の女たちを、テキサスの鉱山労働者相手に送り届ける仕事を引き受ける。ところが、スカンクは約束を反故にして、「女たちはドミンゴに連れ去られた。報酬を渡すわけにはいかない」と突っぱねる。ブラインドマンは手探りで馬の鞍からダイナマイトを取り出し、スカンクたちのいる売春宿の軒下に設置する。ダイナマイトを仕掛けながら語る、ブラインドマン。
ブラインドマン「知ってるか? スカンク。俺は毎晩、ひざまずいて祈っている」「毎晩、神に尋ねているんだ。“主よ、真の友達は誰ですか?”」「どうなると思う? 毎晩、答えは同じだ。…答えはない」
 スカンクにメッセージを伝えると、ブラインドマンはダイナマイトの導火線に火を点け、馬で走り去って行く。直後に大爆発。スカンクと手下たちは、売春宿もろとも吹き飛ばされる。
 大胆不敵なキャラクター“ブラインドマン”が登場する、『盲目ガンマン』のアヴァン・タイトルで呟く、主人公のセリフ。この作品の主人公はブラック・ユーモアが得意で、キャラクターも相当にタフである。『暁の用心棒』のトニー・アンソニーがビートルズのリンゴ・スターと共演した、マカロニ・ウエスタン版“座頭市”。主人公は盲目なので、行きたいところへは盲導馬「ボス」が導き、敵は建物ごとダイナマイトで吹き飛ばす。敵が銃の撃鉄を起こす音を聞くと、その方向にありったけの銃弾を叩き込む。波瀾万丈のストーリーと、主人公の濃いキャラクターが痛快な、マカロニには珍しいお色気シーン満載の娯楽作。余弾だが、冒頭で吹き飛ばされるならず者の一人を演じているのは、ビートルズのプロデューサーだったアラン・クラインである。ちなみに、ビートルズを成功に導いたもう一人のプロデューサーの名前はジョージ・マーティン。何かとマカロニ・ファンには嬉しい名前だ。

045 「あいつがメキシコを嫌っていたんだ」
作品:『復讐無頼 狼たちの荒野』(1968) TEPEPA
解説:
メキシコのある町で、革命派の英雄テペパが処刑されようとしている。銃殺寸前に彼を救い出したのは、英国人医師プライスだった。だが追い手を振り切り、テペパに銃を突きつけたプライスは「自分の手で殺したかったんだ」と言い放つ。再び追っ手が迫り、逃げ延びた二人。メキシコ政府軍騎馬警官隊指揮官のカスコッロ大佐から執拗に追われるうちに、彼らの間には不思議な友情が芽生え始める。このセリフはラスト近く。重症を追ったテペパを、プライスが治療した後のシーン。手術は失敗し、テペパは命を落とす。しかし、テペパを崇拝していた少年パキートは、プライスがある理由から、意図的にテペパの命を奪ったことを知っていた。パキートはテペパの銃を手に取り、プライスを撃つ。「何故だ? あいつのことを嫌っていたのか?」問いかける仲間に、パキートは答える。
パキート「違うよ。あいつがメキシコを嫌っていたんだ」
 時代に翻弄され、命を失っていく男たちの虚しさを描いた未公開マカロニ・ウエスタンの傑作。登場人物たちの複雑な性格設定や政治的背景が敬遠され、日本では劇場公開されなかったが、欧州では絶大な人気を誇り、南米にはこの作品の専門上映館が出来たとの噂もある、硬派の作品である。悪役カスコッロ大佐を演じたのは、巨匠オーソン・ウェルズ。亡くなった今野雄二氏は、『情無用のジャンゴ』のロベルト・カマルデュエルのモデルがオーソン・ウェルズであることを推理し、マカロニとオーソン、ホモ・セクシュアルの関連性について鋭いコラムを執筆している。言語では“あいつ”ではなく、白人一般への侮蔑用語“グリンゴ”と言っている。つまり、このセリフは、単にパキートのプライスに向けた言葉ではなく、白人全般のことを指している。彼は「白人がメキシコを嫌っていたんだ」と返答したのである。

046 「興奮の絶頂で私は生きたい」
作品:『西部悪人伝』(1970) EHI AMICO...C'E SABATA, HAI CHIUSO!
解説:
西部の町ドハティにやって来た謎の男、サバタ。時を同じくして、銀行強盗事件が発生。いち早く気づいたサバタは悪党たちを追跡、奪われた10万ドルの奪還に成功する。事件の首謀者ステンゲル男爵はサバタの暗殺を試みるが、刺客たちはことごとく返り討ちに遭ってしまう。この台詞は、ミッションに失敗した部下を独特の方法で処刑する時のステンゲルの言葉。彼は自ら部下と決闘の場に臨み、専用の決闘機械を使って処刑する。
ステンゲル「興奮の絶頂で私は生きたい。恐るることなく、死と直面することこそが、価値ある一生」
 マカロニ・ウエスタンにハリウッドのジェット・コースター・ムービーの要素を持ち込み、それ迄の残酷描写、陰鬱なムードを排した新感覚のイタリア製西部劇“サバタ”シリーズ。リー・ヴァン・クリーフ主演で『西部悪人伝』『西部決闘史』の2作が作られ、ユル・ブリンナー主演で姉妹編『大西部無頼列伝』が1作作られた。これはその第一作『西部悪人伝』から。よく出来た映画は悪役の描き方にも手を抜かない。本作の悪役ステンゲルは、自らが手を汚す。悪事をはたらくことよりも、その過程の興奮状態に生き甲斐を求めているのだ。この映画には他にも、ウインチェスターを仕込んだバンジョーを武器にする、その名も“バンジョー”、軽業師のインディアン、ナイフ使いのメキシコ人など、濃いめのキャラクターが大勢登場、ストーリーもテンポ良く、最期まで飽きさせることが無い。

047 「男には信じられるものが要る」
作品:『ミスター・ノーボディ』(1974) IL MIO NOME E NESSUNO
解説:
早撃ちで名の知られた初老のガンマン、ジャック・ボーレガードは、彼を倒して名を上げたい男たちに常に命を狙われ、今では引退してヨーロッパへ渡るのが唯一の夢となっている。その彼の前に現れたのは、“ノーボディ(誰でもない)”と自称する正体不明の若者。ボーレガードに憧れるノーボディは彼につきまとい、歴史に残るガンファイトを演出しようと伝説のガンマンを唆す。荒野で行われる1対150の大決闘。そして、無法者集団“ワイルドバンチ”との対決が終わった後は、ノーボディ自らがボーレガードを決闘で倒そうと目論んでいた…。得体の知れない若者に興味を持ち始めて、詰問するボーレガード。そのノーボディが、憧れのガンマンに対し、心情を吐露する。
ボーレガード「俺を英雄にしたいのか?」
ノーボディ「もう英雄さ。俺はあんたを伝説にしたいんだ」
ボーレガード「何故、それほど伝説にこだわる?」
ノーボディ「男には信じられるものが要る」
 巨匠セルジオ・レオーネが、『風来坊』シリーズのキャラクターと世界観をベースに、『ウエスタン』で完成させた西部開拓時代への郷愁、滅び行く19世紀の伝説の男たちへの哀悼の想いをプラスして、プロデュースした傑作西部劇。ヘンリー・フォンダが『ウエスタン』に引き続き、イタリア製西部劇に登場。伝説のガンマンを貫禄たっぷりに演じる。老眼鏡をかけ、2挺のウインチェスターで150人の“ワイルドバンチ”と荒野で対峙するクライマックスは圧巻である。ノーボディは、テレンス・ヒルが『風来坊』のトリニティのキャラそのままにのびのびと演じた。マカロニ・ウエスタンの実力派スタッフと演技派スターが集結、とぼけたギャグとスケールを感じるアクションのバランスが見事な、イタリア製西部劇の集大成、失われゆく西部劇そのものへの挽歌となって、本作は完成した。

048 「戦争で家族の一員になれると思っていた」
作品:『黄金の棺』(1966) I CRUDELI
解説:
北軍輸送隊を全滅させ、黄金を奪った南軍のジョナス一家。奪った黄金を棺に隠し、故郷へ運ぼうとする。山賊の襲撃、北軍の検問…道中、数々の危機を回避し、ジョナス一家は故郷を目指す。南軍復興を夢見る狂気の父、仲間割れの兄弟、棺の中の南軍将校未亡人に仕立て上げた酒場女との愛と葛藤。ろくでなしの息子たちの中で、種違いのベン一人だけがまっとうな考えを持ち、家族への愛を信じている。その彼が、酒場女に身の上を打ち明けるシーン。
ベン「僕はずっと孤独だった。生き方を変えようとしたけど、無駄だった。戦争で家族の一員になれると思っていた」
 内戦で敗北した南軍復興を目的にする南軍将校の話だが、これは家族の団結と崩壊をテーマにした物語である。苦労の果てに、故郷へたどり着く寸前、流れる川を前にして、家族の夢、主人公たちの野望は崩壊する。
 『続 荒野の用心棒』のセルジオ・コルブッチ監督が、『第三の男』の名優ジョセフ・コットンを主演に描く、夢に憑かれた男たちの末路。家族の中で孤独感に苛まれる末っ子のベンを、ジュリアン・マテオスが好演した。家族に希望を持たない彼が、唯一、兄弟と父を想い、家族をまとめようとする。しかし、凄絶なラストシーンで彼は傷を負い、兄弟を亡くし、目の前で父は力尽きていく。

049 「俺はさすらう」
作品:『ガンマン無頼/地獄人別帖』(1971) LA VENDETTA E UN PIATTO CHE SI SERVE FREDDO
解説:
辺境の地で開拓者一家がインディアンに惨殺され、ただ一人生き残った少年ジェレマイアはその後、寡黙な殺し屋に成長。インディアンと見れば、次々に襲っては頭皮を剥ぎ続ける復讐の鬼と化す。ある日、インディアン娘を殺し損ねたことをきっかけに、彼は意外な事実を聞かされ真の敵を知ることになる…。このセリフはラストシーン、インディアンと和解したジェレマイアが、「どこまでもついていく」と言うインディアン娘に対して言った言葉。
ジェレマイア「お前は仲間と一緒にいろ。俺はさすらう」
 オリジナルのセリフでは単にインディアンの言葉で別れの言葉を言っているだけだが、TV放映時にはこの言葉に翻案された。真実を知った主人公は、白人社会にも戻れず、インディアンたちに別れを告げ、荒野を独りさすらう決心をする。“復讐とは冷めた料理”との原題を持つ、マカロニ・ブームも終わりに近い1970年代に入ってから作られた、憂愁の佳作。マカロニ・ウエスタンで最も取り上げられることの多いテーマ、“復讐”。それを正面から捉えながら、今までと全く異なったアプローチで鋭く描き出した非凡な演出力に、今もなお驚かされる。憎しみが憎しみを生む…復讐の連鎖が何の解決にもならない事を、観客は復讐を遂げたジェレマイアの虚しさに学ぶのである。

050 「この世にはあんたに買えないものがある。人の心だ」
作品:『ハチェット無頼』(1977) MANNAJA
解説:
ブレイドは、斧を武器とする賞金稼ぎ。霧深い山奥で賞金首を捕らえた彼は、鉱山町の酒場に現れる。その時、賭けに勝利して鉱山の監督ボレルから金を巻き上げ、彼の恨みを買うことになった。ボレルは鉱山の持ち主マッゴワンの娘を誘拐、鉱山の権利を要求するが、マッゴワンはブレイドを雇って娘を取り返そうとする。だが、誘拐は狂言だった。娘の裏切りによってブレイドは囚われ、両眼を潰される。洞窟に身を隠したブレイドは集めた石を研いで石斧を作り、ボレルとの一騎打ちに備えるが…。マッゴワンは父親の土地を奪った憎い仇でもある。鉱山労働者を酷使し、私腹を肥やすマッゴワンに、ブレイドが吐き捨てたのがこの言葉。ブレイドは孤独な賞金稼ぎだが、人の心を解し、非道に対しては憤りを感じる、マカロニ・ウエスタンの主人公としてはまっとうなタイプである。自然を破壊し、暴利をむさぼるマッゴワン、人の命を何とも思わないボレルへの怒りを、彼は斧に込めて叩きつける。
 マカロニ・ブームも沈静化した70年代後半に作られたこの未公開作は、異質な舞台設定の上でスリリングなドラマが展開、一癖も二癖もある登場人物が入り乱れる。残酷なアクションを交えて物語は進行、神話的なクライマックスへと突入していく。斧を投げて敵を倒す賞金稼ぎ。霧と雨に覆われた鉱山の町。黒いマントを翻し、二匹の猛犬を従えた悪魔のような敵役…この作品以降、マカロニ・ウエスタンの制作本数は著しく減少、本作は“最期のマカロニ・ウエスタン”となる。


関連)『続・マカロニ・ウエスタン名言集』

(蔵臼金助)

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