夕陽を追いかけてみないか? (Togetter「蔵臼金助氏によるマカロニウエスタン・コラム再録ツイートまとめ2」)

 昨日再掲したコラムは、SPOからマカロニウエスタンDVDがリリースされた時に、主に販売会社や店舗、各雑誌社へ配られる業務用カタログに掲載されました。

 一般には出回らないものですが、店頭で手に取って見たことのある方もいらっしゃるかと思います。このカタログに掲載されたコラムはDVD販売促進用として書かれたものですので、書籍再掲時には結びやトーンをアレンジしました。今回もオリジナルの文章を掲載します。

夕陽を追いかけてみないか?

 人生に必要な知恵はすべて、アルメリアの砂漠から学んだのだ。「人にものを頼むな」から始まり、「物事は一度始めたら途中で止めることは出来ない」に至る迄、実践可能なものもそうでないものもあるが、人生の指針は全て、1960年代のイタリア製西部劇の中に描かれていたのである。
 物語が常にハッピーエンドでは終わらないことも、弱肉強食の世界で生き残る為には自分しか頼れないことも教わった。
 マカロニウエスタンのテーマの多くは“復讐”だが、その裏に隠されてるのは親兄弟への思いだ。家族への愛が孤独なガンマンの心の唯一の拠り所だから、大切なものを奪った宿敵に対しては代償が幾ら大きかろうと報復しなければならない。そのことを教えてくれたのも、マカロニウエスタンだった。
 ガンマン、用心棒たちに何かが欠落しているのも大切な要素だ。彼らは完全無欠でもなければ、スーパーヒーローでもない。アウトローのコミュニケーションを拒絶した基本姿勢(“寡黙”“無表情”“すぐカッとなる”〜まるで昨今の少年犯罪の加害者みたいだ。)は置いといても、従来の映画の主人公たちと比べ、彼らは何かがおかしい。極端な目的指向(金への執着)や偏愛(銃器への依存)等々…どうもキャラクターがいびつなのである。
 だから、マカロニは心に傷を負ってる者、何かが欠落した者たちに特に強く訴えかける。社会的に健全な人間は、むしろマカロニの世界に拒絶感を覚えるのだ。

 そういった理由に起因してか、マカロニファンのイタリア製西部劇への思いは過剰だ。DVD制作を始めて、毎日の様にファンからの意見を頂戴する。有り難いアドバイスもあれば、当然苦情も来る。好きな作品が編成されないので復讐を誓われた。仕様に満足出来ないらしく足下に銃弾を撃ち込まれた。最近は、風呂に入る時もコルトネービーを手放せない(嘘です)。消費者だけではない。送り手もマカロニには過剰な愛を注ぐ。『殺しが静かにやって来る』がリバイバルされた時は夢かと思った。雑誌「ブルータス」でマカロニ特集が組まれた時は、今度こそブームが再燃すると信じた。我々SPO+IMAGICAも、キングレコードのCD、“究極のマカロニウエスタン”シリーズの映像化を夢見たのだ。そして、かねてからもう一匹の賞金稼ぎの存在に気付いていたのだが、“情無用篇”が発売された頃、スティングレイ社が接触してきた。どうやら同じ標的を追いかけていたらしい。

 互いのブーツを踏みつけ合って挨拶を終えた後、SPO担当が呟いた。「同じ匂いがするな」。
 私は私で社長がペドロ・サンチェスに似ているのが気に入った。

 黄金探しは一人よりも二人で掘った方が早い。そう信じた我々は以来、情報交換を始め、共同でのPR活動、イベント開催などで協力し合っている。スティングレイ社担当も根っからのマカロニ好きだが、彼らだけではない。商売抜きでイタリア製西部劇が好きな連中が大勢いるのだ。今年2003年よりさらに数社がマカロニDVDのリリースに参入するが、その動機というのが、「一度マカロニの仕事をしたかった」「心の中の1本があったので」と言うのが泣かせる。夕陽が地平線の彼方へ沈み去った後も、太陽を追いかけ続ける連中がいるのである。ファンもメーカーも、マカロニウエスタンのことを決して忘れてはいない。その思いがある限り、イタリア製西部劇は新作が作られなくとも永遠に不滅なのである。

 まだ一度もマカロニウエスタンを観たことのない、そこのムチャーチョ。一緒に夕陽を追いかけてみないか?


(蔵臼金助)

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