【Chapter 8】

 夜の町の暗さに酒場の灯りが眩しく浮かび、静けさに喧騒が漏れ響く。
 酒場の中では踊り子が三人、広いステージでスカートをひらめかせ、ピアノ弾きは肩を弾ませるようにしながら鍵盤を叩く。十かそこらあるテーブルはすべて埋まり、大半がポーカーに興じている。あるいは一人の客にしなだれかかり、あるいはあちこちに愛嬌を振りまく着飾った女や男が、その空間を艶っぽく彩る。
 人々の耳は賑やかさに塞がれ、意識はそれぞれの娯楽に注がれていたので、キャットが些か乱暴にスイングドアを押し開けたときも、特に注目を集めることはなかった。キャットは入り口に立ったまま中を見回し、カウンターに並んで酒をあおる三人の男の姿を認めるとそちらへ歩く。
「酒《ウイスキー》だ」
 男たちのすぐ隣に立ち、カウンターに背中を向けてもたれ、ポケットから吸いかけの葉巻とマッチを取り出しながらキャットは店主に告げる。すぐさまグラスが置かれて酒が注がれる。
 一番近い男がちらりと彼女を見下ろしたが、一瞬だけのことだった。
 キャットは葉巻を噛み、右手を上に高く伸ばし、その男のカウボーイハットで、マッチを強く素早く擦った。爆ぜるように発生する着火の音と燐の臭い。
 男が動きを止め、ごくゆっくりと振り向く。殺気立った目がキャットを見下ろす。
 向けられる剣呑な視線には知らん顔で、キャットはマッチを口元に運んだ。きちんとじっくり炙るレダーナと違い、葉巻を咥えた状態で火をつける。
 そして何度か唇をすぼめてすぱすぱやりながら、振り消したマッチを男のグラスに放り入れる。
 次の瞬間には、男がキャットの胸ぐらを掴み上げていた。
「なんのつもりだ、嬢ちゃん」
 怒りと笑みに引き攣る男の顔がキャットに近づく。床から浮きそうなほどのつま先立ちを強いられるが、それでもキャットは表情を変えない。騒ぎに気づくのはまだ近くの数人だけで、酒場の賑やかさも消えない。
「灰皿がないんだ。仕方ないだろ?」
「俺たちになんの用があるってんだ?」
 連れの男の一人が、のぞき込むように顔を出して凄む。
「別に用はねぇよ」
 キャットはにやりと笑い、葉巻を咥えた歯の隙間から、自分に掴みかかっている男の顔に煙を吹きつける。
「用があるのは一人頭の千ドルだけさ」
 言葉の終わりと同時に、葉巻を男の顔めがけて飛ばす。火のついたそれが顔に当たって男は短い悲鳴をあげ、キャットを強く突き飛ばす。キャットは大きくよろめくが、倒れることなく姿勢を立て直す。
 もう一人の男がキャットに襲いかかる。キャットはほとんど助走もなく手の補助で跳躍してカウンターに乗る。自分が注文していたウイスキーのグラスを鋭く蹴って襲ってきた男の顔面にぶつける。その辺りで喧嘩騒ぎは酒場全体に伝わり、驚いたピアノ弾きが出す割れるような鍵盤の音を最後に娯楽の賑やかさは失せた。
 ソンブレロを首に掛けた三人目の男がキャットの足にしがみつこうとしたので、キャットはまたカウンターから高くジャンプして降りる。降りるに伴い体勢の低くなったところを狙って、最初の男がキャットの背中を蹴りつけた。
 キャットは前に吹っ飛び、派手な音を立てて近くのテーブルに突っ込んだ。その席でゲームを中断して状況を見ていた四人の男女が悲鳴をあげて飛び退く。
 ウイスキーで顔を濡らした男が、キャットの首根っこを掴んで無理矢理テーブルから引き剥がす。勢いで彼女の身体を反転させ、頬に拳を叩き込む。すぐさまキャットも右手で男の顎を下から殴りつけて反撃する。そこを後ろからソンブレロの男が羽交い絞めにしようとし、キャットはすんでのところで身を屈め、逃れる。
 キャットが突っ込んだ席の客が――乱闘から少しでも距離を置こうと位置をずらして――立て直したばかりのテーブルに、彼女はひらりと飛び乗り、そして男たちのほうへ向き直る。
 少し腰を落としながらも周囲を見下ろすキャットと、それを囲むように並ぶ三人の男。訪れる少しの膠着状態。
 鼻血と口元の血を、猫が顔を洗うように左拳の横で拭ってから、キャットは小さくにやりと笑った。
 その挑発に、最初に葉巻を浴びた男が動く。しかし男が手を掛けた腰の銃を抜ききらないうちに、キャットは金色を纏う己のコルトを素早く抜ききった。ホルスターから銃口が現れるや否や、一発目の銃声が酒場の空気を震わせる。二人目の男も既に銃を構えていたが、キャットの二発目三発目が先んじた。腰の高さで撃鉄を弾く、目にも留まらぬあおり撃ち《ファニング》。
 銃弾を受けた二人の男は身体を痙攣させ硬直させて、一人が前に、一人が後ろに倒れた。
 ソンブレロの男が一人残って、倒れた二人を横目で見た。右手に銃を握り、しかし引き金はまだ引けていなかった。両目は緊張に開き、顔は汗でてらてらと光る。キャットもその大きな瞳で男を見据え、親指でゆっくりと撃鉄を起こすが、すぐには動かない。
 互いを窺い合う時間がわずかに流れ、先に耐えることができなくなったのはソンブレロのほうだった。歯を食いしばりながら銃を構えるが、キャットはそれを見越していた。テーブルの上に伏せるように素早くうずくまり、男の心臓を狙って引き金を引く。的を失った男の弾は、キャットの背後の柱に掛かっていた小さな額縁を打ち砕く。そしてその身を穿たれた男が、ゆっくり後ろに傾いてゆく。カウンターに引っかかり、ずるりと腰を下ろすように沈んで、事切れた。
 キャットはそれを見届け、テーブルの上で立ち上がる。銃を一回回して二回目でホルスターに戻す。溜息をひとつ吐き、それから軽く両手を広げて見せた。
「見てただろ? こいつらが先に抜こうとした」
 誰に向けるでもなく、人間を含めた酒場の空間に向けてキャットは言った。
「あんたが先に手を出した!」
 店の隅に避難していた老人が叫ぶ。
 しかしキャットは涼しい顔でロングコートのポケットを探り、冊子状に小さくたたまれた紙束を取り出す。顔と名前と賞金額が書かれた三枚の手配書だ。
「アーチー、ウィリー、マノロ。三人とも千ドルずつ掛かってる。この町じゃ知られてないのか?」
 ページをめくるようにそれらを読み上げると、ようやくテーブルから飛び降りた。拍車がカチャンと音を鳴らす。
「それとも知らんふりか。誰かシェリフを連れてきてくれ。三千ドルと一緒にな」
 酒場の扉から、二人ほど急ぎ足で出て行く。キャットの言う通りに呼びに走ったのか、これ以上面倒に巻き込まれないうちに逃げ出したのかはわからないが、騒ぎを起こした以上、じきにシェリフもやってくるに違いない。
「確かにあっという間だな」
 キャットは紙束をもう一度ぱらぱらと眺めて胡乱げに呟き、溜息と共に乱雑にポケットに押し込んだ。



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夕陽の決斗/黄金ガンマン
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