【Chapter 7】

 サルーンのスイングドアからお下げ髪の女――ノウンが転がり出てきて、デッキを降りきる前につまずき道に掌をつく。
「あんたフェルネスさんのところと揉めたらしいじゃないか!」
 サルーンの主人である鷲鼻の女が、ドアの前で腰に両手を当てて叫ぶ。ノウンは脱げた帽子を取って頭に載せながらその場に座り主人を見上げる。
「逆らうなって言ったのに……泊める部屋なんてないよ、とんでもない! 巻き込まれるのはまっぴらだ」
 そう吐き捨てた主人は追い払う仕草をするとすぐに中へと引っ込んだ。
 ばたんばたんと前後に揺れるドアを前に、ノウンも押し潰した帽子で目元を隠して立ち上がる。下唇を突き出し尻を両手で払ってから帽子の角度を戻す。現れた両目はこたえた様子もなく丸い。
 首筋を軽く掻き、サルーンの横手へ足を向ける。音は出さないが口笛の形に唇をすぼめ、建物を見上げて歩く。
「あんたってば、なんのつもり?」
 建物の裏手に差し掛かったノウンに声が投げられる。立ち止まって見た先にいる、デッキの手摺に頬杖をつく女からのものだ。不機嫌な赤毛の踊り子ローラ。
 ノウンは目をぱっちり開いた笑顔で左右を一度見回し、そして首を傾げる。
「なにが?」
 ローラはアイラインのくっきりした双眸を細め、溜息を吐き、手招きをした。近づいてきたノウンにしかめっ面を寄せ、声をひそめる。
「フェルネスさんには用がないんじゃなかったの。わざわざちょっかいだけ出したわけ」
「いやぁ、その辺はさ、偶然、たまたま。相手が悪かったよ」背中を丸め、ローラの口と自分の耳の距離を縮めたノウンは悪びれずに歯を見せる。「それに向こうが先さぁ。あとフェルネスってのもまだ知らないよ、あたしが知ってるのは、こう……」言いながら指先で宙に二段線を引いた。「でっかいのとちっさいの」
 ローラが音を立てて鼻から息を抜く。
「あの二人ね……同じことでしょ。あんたフェルネスさんに目をつけられたわよ。早くこの町出てったら」
「いやまだそれ駄目」
 身体の向きを変え、手摺に両肘を掛けてもたれるノウンを、ローラは下から覗き込む。
「あんた……なにが目的? 冗談じゃなくて、腕試しなら余所に行ったほうがいいわよ。フェルネスさんは腕試しなんて受けてくれないし、それに正真正銘の早撃ちよ。あんたも早いみたいだけど、かないっこないわ」
 ノウンは答えず、にこにことした顔で周囲の風景を見ている。
「……まさか本当にジョディに用があるの?」
 怪訝そうな、しかしそれでいてどこか真実味のある声音で、ローラが問うた。
「なんでさ、あのひと紹介してくれたの」
 笑顔のまま瞬きをして見下ろし、問い返すノウン。
 ローラは一瞬視線を外し、唇を結び、頭を横に振る。
「……泊まる場所がないんなら、私の部屋に泊めてあげるわ。内緒でね」
 質問には答えずに、ローラは自分の頭上、サルーンの二階を指差した。
「どしたの、優しいね」
「あんたが、度胸があるんだか心底怖いもの知らずの馬鹿なんだかわかんなくて呆れてきただけよ。そしたらどうでもよくなっちゃった。窓開けてくるから、見つからないように上手く上がってらっしゃい」


 ローラの部屋に上がり込んだノウンは遠慮のない様子で椅子に座り、足置き台に足を載せた。
「ねえ、ちょっと、これ」
 伸ばした足に手を伸ばし、辛うじて届く足首を掴んでうんうん唸りながら助けを求める。少し周囲を気にしてから窓を閉め、振り向いたローラは露骨に顔をしかめるが、それでもブーツを掴んで片方ずつ引っ張り脱がしてやる。
「やあ、どうもどうも」
 朗らかに礼を言い、脱げたブーツを抱きしめるように受け取って椅子の陰に置く。
 ローラはそんな足置き台の上、二本揃ったノウンの脛の上に横座りに腰を下ろしてしまう。
 ノウンもぱちぱちと瞼を派手に上下させるものの、すぐに気にする様子もなく笑って、腹の上で両手を組んだ。
「お姉さんさ、あのジョディとかいうひとのこと、いつから知ってる?」
 投げられた質問に苦々しさを滲ませた視線を一度流し、あからさまに顔を背ける。
「どういう意味?」
 肩をすくめる。
「そのまーんま」
 ローラは深く長く息を吐いて俯き、それから天井を仰いで、諦めたように口を開いた。
「五年くらい前じゃない。私がこの町に来た頃からだから」
「あのひと昔からここにいたの」
「いいえ」ローラの視線がどこを見るでもなく宙を横切る。「この町には一緒に来たのよ、私と……フェルネスと、あの女と」
 唇を突き出し、へーえ、とノウンが殊更感慨深げな声音で相槌を打つ。
「長い付き合いだったって、こと?」
「そういうわけじゃないわよ。私はカンザスの酒場にいて……そろそろ違う町へ移りたいと思ってた。ちょうどそんな頃に二人に会って、彼女たちに連れて行って貰うことにした」
「その二人は連れ合い?」
「そうね。組んで賞金稼ぎをやってるみたいだった。随分荒稼ぎだったけど、二人とも早かったし、強かったわ。フェルネスも……」ローラは言葉を一旦胸の奥に留めるような間を置いて、細い息とともに吐き出した。「……ジョディもね」
 ノウンの脚から立ち上がり、過去を思い返す女は数歩歩き離れる。
「どっちが上だったのか、私にはわからない。でもフェルネスはずっとジョディを超えたがってた」
「で、あのひと右手が駄目になったって?」
 ベッドの傍で立ち止まり、足側のフレームに手を置いて、振り向かずに答える。
「そう」
「どうしてだか知ってる?」
「野宿のとき、急に傍の馬が暴れ出して、それに巻き込まれて焚き火に突っ込んだんですってよ。間抜けな話!」
 俯いたまま罵るローラの声はくぐもって響く。
「お姉さん見てないの」
「あのとき二人は分かれて賞金首を追ってた。私はフェルネスと一緒だったから知らないわ。合流する約束の日から十日も遅れてあの女は戻ってきて……火傷でもう動かなくなったって、医者にも見放されたって、そう……あとは腑抜けよ、抜け殻よ、こっちがなにを言ったって」
 ベッドを掴むローラの手は小刻みに震え、それを見るノウンの様子は普段となにも変わらない。声だけは心持ち神妙に相槌を打つ。
「そうかそうか、そりゃあショックだね。そいつはショックだ。お姉さんもあのひとが誰だか知ってんだよね」
 しかしローラは顔を上げ振り向いて、怪訝そうに眉尻を上げる。
「どういうこと?」
 ノウンも少しの驚きを表す様子で目を丸くし、組んでいた手を広げて尋ねる。
「あのひとの名前だよ。知ってるよね?」
「名前って……ジョディじゃないの?」
 ノウンの瞬きが速くなる。右手で額を掻いて考え込むように眉と目を寄せる。ローラも訝しげな表情のまま戻ってくる。
「フェルネスはずっとあの女のことをJって呼んでたし……あの女も自分からは名乗らなかったもの。利き手を潰して、この町へ来てからよ、あの女がジョディだって名乗ったのは」
 ローラがノウンを見下ろして言い、その脚の上に先ほどと同じように座る。
「そのときにフェルネスが……ジョディのことをすごい顔で睨んでたのは覚えてる」一度記憶をたぐるように目を閉じて、それから真っ直ぐノウンの顔を見る。「それ以来ね、あの二人が今みたいな関係になったのも」
 ノウンはじっとローラの顔を見つめ、目の前に並んだ言葉を噛み砕いて飲み込んで染み渡らせるだけの緩やかさで頷いた。ゆっくりと曖昧に一度、深く明確に二度三度。
「なるほどね」
「あんたこそなんなのよ……本当にジョディを知ってて、最初からあの女を探しに来たってことなの」
 険しい目で問い詰めるローラに、とぼけて肩をすくめるノウン。そして足音が聞こえる。
 ローラは大きく扉を振り向き、慌てて立ち上がる。
「隠れて! ベッドの下!」
 小声だがしかし強く言って、着ているドレスを脱ぎ始める。ノウンも転げるように椅子から立ち、垂れ下がるシーツをくぐって素早くベッドの下に入り込む。訪れる乱暴なノックの音と声。
『ローラ、いるのか』
「ちょっと待って! 着替え中よ」
 下着姿になったローラが、ノウンが隠れたのを確認してから扉を開ける。その向こうにいたのはサルーン主人の鷲鼻の女だ。
「なにをしてるんだ、お客が来てるぞ。相手をしろ」
「まだ明るいってのに、ろくでなしの飲んだくればっかりね。わかってるわよ」
「早く支度して降りてこい」苛々と用件だけ告げて済ませようとした主人が、気まぐれに察したようにローラの身体越しに室内を覗き込む。「誰かいるのか?」
 ローラは後ろを見る素振りだけをして、眉間と鼻筋に皺を寄せ、赤毛を揺らし頭を振る。
「まさか。稼ぎにならないんなら独り寝しかしないわ。すぐに着替えて行くから待ってて」
 主人を追い払うように急かして扉を閉め、脱ぎ捨てていた服を拾って椅子に掛けてからベッドの下を覗く。
「聞こえたでしょ、そういうことだから。見つからないと思うけど、できれば大人しく隠れてなさいよ」
 ベッドの下で腹這いになっているノウンは、その説くような口調の言葉に道化の笑顔で頷く。
 ローラはクローゼットを開け、取り出した緑のドレスを手早く着た。ブラシで髪を整えている間に、少しだけ這ってにじり出て来たノウンがシーツを捲り上げて顔を出す。
「あのさ」
 呼ばれて振り返ったローラも、またベッドに近づいてしゃがみ込む。
「なによ」
「ジュディス・ネックって知ってる?」
 一瞬きょとんとした様子で眉を上げてから、ローラは気のない素振りで頷く。
「そりゃね。名前くらい誰でも知ってるでしょう。昔はよく子供が……弟や妹たちが真似してた。ごっこ遊びでね」
 ノウンの唇がむずつき、口角が頬を大きく押し上げる。
「だよね」
「毎日飽きもせずやってたわ。いつも誰が『伝説』役かで喧嘩ばっかり」
「お姉さんは嫌い?」
 問われたローラの口元が初めて、一瞬のことながら少し緩む。
「別に。ああいうのはお伽話みたいなものよ……子供には必要でしょ」しかしすぐ不機嫌な顔に戻り、「いまさらジュディス・ネックがなんだっていうの?」
 ノウンは無言を返し、ブルーグレーの瞳を輝かせて、ただにっこりと笑った。
 ローラは眉間に皺を深く深く刻んで言い募る。「いまさら、そんな昔話が――」そしてその表情が、不意に消え去る。
 影を落とすほどの睫毛の下、見開かれた両目が虚空を見つめて、硬い眼差しはそのままノウンに下りる。
 揺れる瞳に、満足気なノウンの笑みが映る。
『ローラ!』
 ローラが震える唇を開こうとした矢先に、遠くから鷲鼻の女の怒鳴り声が届く。思わず弾かれたように振り向きながら立ち上がり、扉へ向かう。ノブに手を掛け、改めてノウンを見る。ノウンは笑顔で手を振っている。
 感情を抑えるごとくに髪を手で撫で押さえ、ローラは慌ただしく部屋を出た。後ろ手に扉を閉め、背中を預ける。首だけで半ば見返って戸惑いの強く滲む眼差しを流す。
 感情に迷い、記憶を探り、思考で乱れる視線を深い呼吸三つ分の間さまよわせてのち、ローラは背をぴったりとつけていた扉から離れた。
 緑のドレスのスカートを掴み、早足で一階へと向かう。
 途中、未練を示す様子で大きく振り返るが、その一瞬立ち止まっただけで、厳しい面持ちのまま廊下の向こうに消えてゆく。



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星空のガンマン
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