【Chapter 6】
リン・バガアスは暗い面持ちでマホガニーの扉をノックした。返事はないが一呼吸分の間のあとにドアノブを回して開く。
足を踏み入れた広い部屋の中央で、白い泡の浮かぶバスタブの湯にフェルネスが身体を沈めていた。両肘を縁に掛け、頭を後ろへ傾けて、目はどちらも閉じられている。
後ろ手に扉を閉め、落ち着きなく視線を左右にさまよわせてから、足取り重くバスタブに近づく。そこには恐れが滲む。
「フェルネス……」
カウボーイハットを脱ぎ、胸の前で握って名を訪ね呼んだ。フェルネスはすぐに応えず、片手ですくった湯で乳房の間と顔を洗い、唇をすぼめ音を立てて息を吐く。頭を横に倒し、首筋に湯をかける。
「リン」そして目を閉じたまま水音に紛れるような声で言う。「Jになんの用だった?」
リン・バガアスは強張らせた顔を背けた。ハットを握り潰し、唇を開いては噛み締める。ざあと水が引き摺られて落ちるような、フェルネスがバスタブの中で立ち上がる音がし、次に濡れた足音が少し遠ざかり、衣擦れの気配が返ってようやく、リン・バガアスは面を上げる。
「もう一度言わなきゃ駄目かな」
隅にあるパーテーションの前でシルクのバスローブの紐を結びながら、フェスネスは曖昧な笑みを浮かべていた。リン・バガアスの瞳がさらに揺れ、慌てて首を振る。
「ジョディの……」整えるように髪を撫で、引きつった声を一度飲み込んで言い直す。「ジョディのところに、よそ者がいるって話を聞いて」
フェルネスは視線を一度リン・バガアスから外し、雫の落ちる毛先を首のところで握り絞って浅く頷いた。
「少し騒ぎがあったらしいのは聞いたよ。それがJのところにか。どういうことだろう」
声は静かで波打つ様子もないが、その大きな三白眼の両目は爛々と見開かれている。
胸元に抱いていた帽子を下にさげ、リン・バガアスは答える。
「ふざけたよそ者の女が……腕利きを探してたらしくて。酒場のローラがからかってジョディの名前を出したの、だからそいつはジョディに付き纏ってたって」
それを聞いたフェルネスの目がことさらぎらりと虚空を睨めつけ、しかしすぐに髪を掻き上げながら顔を伏せて、バスタブ傍へ戻ってくる。
「そうか、なるほど。ローラも困った女だね」
バスタブを挟んで、フェルネスとリン・バガアスは向き合い立つ。背はリン・バガアスのほうが高いが、フェルネスのほうがよほど威圧感を湛えて見える。
「それで、お前がそのよそ者を探してたのはなんでかな」
フェルネスは腰に手を当て、顔を伏せたままだ。声も変わらず静かなままだ。
「そ、その女、屋敷の傍をうろうろしてたのよ。モノーと一緒に追い払おうとしたら……」
「コケにされた?」
先回りするように補われた言葉に、リン・バガアスは小刻みに頷いてから答える。「そ、そうよ」
ようやくフェルネスが顔を上げ、配下の女の顔を見た。唇を微かに緊張で震わせながら喉を鳴らすリン・バガアスに、フェルネスは少しだけ微笑む。
「確かに図に乗ってるらしい。思い知らせてやるのは僕も賛成だ」
リン・バガアスの表情がわずかに安堵に緩む。フェルネスは笑みを深め、そしてリン・バガアスの胸ぐらを掴み、乱暴に引き倒して頭をバスタブに押し込む。激しい水音と、もがく女の手足がバスタブにぶつかる濁った木音で空気が掻き乱される。
「フェルネス……! やめて! ごめんなさい!」
必死に窒息を逃れながら、咳と喘ぎ混じりにリン・バガアスが叫ぶ。フェルネスはもう一度だけ深くその頭を沈め、そして引き上げる。
「お前も図に乗ってはいないよな? リン? お前が探してたのはそのよそ者だね?」顔に顔を寄せ、首を傾げてフェスネスが問いを重ねる。「Jまでコケにはしなかったろうね?」
リン・バガアスは荒い呼吸を繰り返しながら眉を歪める。
「し、してない、してないわ」
「本当に?」
「ほん、本当よ」
嘔吐くように咳をして、リン・バガアスは首を縦に振った。胸ぐらを掴んでいたフェルネスの手が離れる。バスタブの縁にしがみついて咽る姿を凝視するまま、立ち上がって数歩離れる。
「僕の許可なく余計なことはするな。わかってるな?」
再び首を振るリン・バガアスにフェルネスも頷き返し、背を向けてパーテーションのほうへ戻る。戻りながら呟く。
「そのよそ者の顔は見たいね」
しかし呟きは呟きにとどめ、立ち止まったフェルネスはバスローブの紐を解いて、振り向かずにリン・バガアスに呼び掛けた。
「リン、着替えるのを手伝ってくれ」
硬い表情で蹲っていたリン・バガアスは今度こそ安堵の息を小さく吐き出し、湯と泡で濡れた顔を掌で拭う。
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