【Chapter 22】

 そこはレダーナがカネを見つけた納屋だった。キャットは足首を縄で縛られ、両手も後ろで拘束されて、柱の一本を背に座っている。切れた唇を舌で舐め、口の中を確かめるように頬を動かす。
 外で複数の足音がし、次に扉ががたがたと開いた。姿を見せたのは二人の男女と、彼らに引きずられたレダーナだ。キャットと違って足は自由だが、手首を前に縛られた状態で、床へ乱暴に放り出される。手下たちはキャットに嘲りの笑みを一度向けて、すぐに納屋から出てゆく。扉が閉まり、閂が下ろされた音がする。
「おい、生きてんのか。おい」
 しばらく様子を見たあと、キャットは少し身を乗り出し、声を潜めて、俯せに倒れ顔の見えないレダーナに呼びかけた。すぐに反応はなかったが、何度か繰り返すうち、レダーナが身動ぎをする。
「生きてるとも」
 縛られた両手で震える身体をわずかに起こし、レダーナが答える。その声は酷く掠れているうえ、聞き取り損ねそうなほど小さいが、それでも口調にはいつも通りの色合いが窺えた。
 レダーナは重い荷物を引きずるように、少しずつキャットのほうへ這う。距離がある程度近づくと、キャットが両脚を伸ばしてレダーナの両手の縄につま先を引っ掛け、その身体を引き寄せてやった。一気にキャットの隣まで移動したレダーナは、大きく溜息を吐きながらごろりと仰向けになる。
 しょぼつかせた左目で、レダーナは納屋の中を見回した。それから視線をある一角に向け、自棄調子に呼気を伴って笑う。
「さすがになくなってるな」
「なにがだ?」
 キャットが傍らのレダーナを見下ろす。左目の下には、一インチ(二センチ半)ほどの短い、しかし乱れた縦傷が、赤く生々しく刻まれている。キャットは眉を微かに寄せた。
「カネに決まってるだろう。ここで見つけたが、しくじった。全部で四万ドルはあった。また探し直しだ」
 レダーナはキャットの様子に気付かず、あるいは構わずに、喉から搾り出すような声で言う。キャットは思わず顔をしかめ、呆れ笑いに息を吐く。
「まだ諦めてないのかよ」
「なんのためにあれだけやったと思ってる」
「本当にカネのためだけか?」
 シニカルな笑みを浮かべるレダーナに、キャットが切り込む。レダーナは表情を動かさず、しかし視線だけをキャットに向けた。
「お前が耐える必要はなかったろう」
 レダーナは唇の片端の角度を更に上げる。頬が動き、傷の位置がずれる。それは今の問いではなく、キャットが傷に注ぐ視線に対する答えのようだった。
「素直に喋ったらすぐ殺されそうだったからだよ」
 キャットは質問を無視され苛立った様子で、肩を上げて鼻を掻こうとしたが、鼻先が届かずに一層眉間の皺を深くした。
「あんたが名乗ってたって言う」鼻筋にも皺を作りながら、キャットは問いを重ねる。「ロシータってのは誰のことなんだ?」
 レダーナの左目が細くなる。鋭く、それでいて冷めた暗さを帯びる。その瞳がそのままキャットを見上げる。
「私の母親だ」
 掠れの酷い声が、静かに紡ぐ。


 保安官事務所のような私室で、ゲールはバルコニーに繋がる窓際に立ち、目の前を見つめる。窓の外ではなく窓ガラスを見つめる。そこに記憶が映し出されているかのように。
 白い塗壁の、四角い小さな民家。その中で、ゲールは台所のテーブルの前に座っていた。まだ若い印象のゲールの胸には、正確な六芒星の保安官バッジが光る。
 中年にさしかかった頃合いの、美しいメキシコ人の女が傍にいる。豊かな黒髪を垂らし、黒い服を着、暗い表情で立ち働いている。ゲールは彼女になにか話しかけているが、女はときどき沈んだ視線を返すだけで、取り合う気配はない。ゲールが手振りを交えて声を高める様子を見せても同じだった。
 ゲールはテーブルを拳で叩きながら立ち上がり、女に詰め寄る。ゲールの手が女の二の腕を掴んで、彼女を無理矢理抱き寄せる。女は驚いたように目を見開いたあと、首を振り髪を乱し身を捩って逃れようとする。
 しばらく揉み合いが続き、唐突に女が動かなくなる。開いたままの目の焦点が失われ、ぐらりと身体が傾き、床に崩れ落ちる。
 ゲールの右手には、硝煙の立ち昇るコルトが握られていた。
 ゲールは不吉な冷たさを持つ双眸に、どこを見るでもない強い眼差しを湛えているが、すぐ我に返ったように周囲へ視線を向けると、銃をホルスターに戻し、女の死体を跨いで立ち去ろうとする。
 しかし女からいくらも離れないうちに、戸口をひとつの影が遮る。どこかから戻ってきた若い娘。
 まっすぐな黒髪と、少しだけ濃い色の肌、今は驚きに大きくなった、切れ長の両目を持つ…………

 レダーナの切れ長の左目は、やはり険しく細められている。仰向けの身体をキャットのほうへ向ける。
「ゲール・ブレナンは私の母を殺した」
 目元こそ鋭いが、語るレダーナの声に感情はなにも滲んでいない。
「もともとロクな保安官じゃなかった。罪のない母を殺し、ちょうどその場に戻った私を犯した」
 ダークブラウンの瞳が隠される。レダーナの瞼の裏には、過去が映る。
 屋外にいたカウボーイスタイルの若いレダーナは、なにかが起こった気配に目を見開き自宅のほうを振り向いた。そのまま家に駆け込んで目にしたのは、保安官のゲールと、床に倒れる母の姿だった。
 事態を把握すると怒りに燃やした瞳でゲールを睨みつけ、腰のホルスターから銃を抜こうとする。
 だがそれよりもゲールが速い。ゲールの撃った弾丸がレダーナの手から銃を弾く。右手を押さえ身体を曲げるレダーナの胸ぐらを、素早く距離を詰めてきたゲールが掴む。レダーナの身体は乱暴に床に引き倒される。大きく開いた瞳に狂気を滲ませるゲールがそこへのしかかる。
 長身のレダーナでも、更に背が高く筋肉質なゲールをはね退けることはできない。もがくレダーナのシャツの前をゲールが引き裂く。レダーナは歯を食いしばって抗うなか、その手でゲールの胸から保安官バッジをもぎ取った。ゲールの薄い眉が歪む。バッジを奪い返そうとするゲールの手がレダーナの手と荒々しく縺れ合う。ゲールの拳がレダーナの頬を殴り、生じた隙でバッジはゲールの手に戻る。
 輝くバッジを、ゲールが握って振り上げる。
 飛沫が床に痕を刻む。
「奴のバッジが私の右目を抉り、奴の不潔な爪が私の中を掻き回した」
 レダーナは目を開け、縛られた両手で眼帯を軽く押さえてみせた。
「上と下二つの傷で私は高熱を出し、何日も死のすぐ手前にいた」
 手を下ろし、顔を上げる。難しい顔をしているキャットに視線を向け、レダーナは口元でにやりと笑った。
「だが死ななかった」
 キャットは一度目を逸らしてから、再びレダーナを見た。
「それがあんたの、我慢のできない屈辱か」
 キャットが持ち出した自分自身の言葉に対し、レダーナは言葉で答えず首も振らず、ただ思わせぶりな、そしてしたたかな微笑みを浮かべる。
 キャットは少しの間そのレダーナの顔を見つめ、鼻で深くまで息を吸った。飲み込んだなにかごと捨てるように息を吐いてから問う。
「いつの話だったんだ?」
「せいぜい十年前だな」
 レダーナの答えを受けて、キャットが考えこむように目線をずらして床まで下げる。その様子を見、レダーナは揶揄めかして左目を細める。
「復讐は時間を置いてこそだ」
 レダーナの言葉にキャットは視線を戻す。
「怒りに囚われているうちは上手くいかん。キャット」
 どこか軽さを含む口調で続けてから、レダーナは肘を床について身体を起こし、そしてキャットの名を呼んだ。
「私の髪を一房噛みきれ。根元からだ。ばらけないように」
 キャットが早いまばたきを何度かする。レダーナは重い動作でキャットと同じ柱にもたれながら顎で促し、頭の位置を下げる。
 キャットはまだ少し面食らっていたが、結局小さく頷いた。レダーナの頭頂部に顔を近づける。そしてその黒髪を細く一房、歯で持ち上げ、切る。乱れているが結われたままの髪から、噛み切った房を抜き取る。
「よこせ」
 両手を顎の辺りへやり、レダーナが指示する。キャットは更に身を乗り出し、首を傾け、レダーナの口元に切った髪を運ぶ。レダーナはキャットと逆の方向に首を曲げると、キャットが咥えた髪の少し下を唇で食んで受け取った。
 取り落とさないようにやや深く咥え直しながら、レダーナは縛られた両手でその髪を編み始める。手は縛られている位置こそ身体の前だが、縄は手の甲にまで巻かれていて、指がかろうじて狭い範囲を動くだけだった。
「そっちの藁の下を探れ」
 もどかしいほどのぎこちない動きで長い髪を細く編みながら、レダーナがくぐもった声で言う。キャットは後ろを振り向き、納屋の隅の藁の山を見る。座ったままそこへにじり寄り、足を使って藁を漁る。硬質な音がする。そのまま掻き出すと、出てくるのはあの短く切り詰めたコルトだ。
 レダーナが人差し指で招く。キャットはその銃を足でレダーナの尻の辺りまで押しやる。
 続いて元の場所までキャット自身も戻り、レダーナは作業をする姿が扉の位置から死角になるように、キャットの背後に身体を沈めた。
「あたしの縄をなんとか解けないか?」
「ただでさえまだ力が入らん。そんな縄は無理だ」
 扉のほうを見つめながらキャットがすぐ後ろにいるレダーナに問うが、レダーナはキャットの手首の頑丈な縄を一瞥して答える。
「なにをする気なんだよ」
「なんとかする気なんだ」
 大きな溜息のあとキャットが言って、レダーナはそれを鼻で笑う。


 ゲールは視線を窓から外し、室内に流す。だが目の前では記憶の再生がまだ少し続いた。
 女の娘を蹂躙し陵辱したあと、ひとの気配を感じて立ち上がる自分。床に落ちた血濡れの六芒星を拾うことすらできずにその場から逃げ去る過去の己自身。
 現在のゲールの手が、上着の胸ポケットから銀色の保安官バッジを取り出した。自らが削り出した歪な偽物。
 ゲールはしばらく無表情でそれを見つめ、そして大きく眉を歪める。
 激しい挙動でバッジを床に叩きつけ、腰のキャバルリーを抜いてそのバッジに弾丸を叩きこむ。星の角と同じ数だけ。



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夕陽の決斗/黄金ガンマン
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