【Chapter 5】

 疎らな、くすんだ低木が彩りであるような砂色の荒野を、暗い鹿毛の馬が進む。手綱を握るのはシスレ、彼女にしがみつき後ろに跨るのがテリー。シスレは真っ黒なインバネスコートを着て、テリーはドレスの上に深緑のケープを羽織る。ちょうど二人の間には革鞄もひとつ載せられている。
 馬は荒野の道沿いにある一本の高い木の傍で止まる。
「降りるんだ」
 きょとんとした顔で前を覗き込むテリーに、手綱を引いたシスレが言う。テリーは大きな瞬きをし、それから少し気分を害したように眉を寄せ、鞄の持ち手を握る。先に馬を降り、あとから鞄を引っ張る。いかにも重い様子のそれは、下ろすというより落ちるといった態で、音と砂煙を立てて地面に場所を移した。
 テリーは腰に両手をあて、ひらけた周囲を見回し唇を尖らせる。
「この辺りに金庫が隠してあるっていうの?」
 シスレはすぐには答えず自分も馬を降りた。翻って覗く黒のインバネスの裏地はやはり紫だ。手綱を片手に絡め、テリーのほうを向いて立つ。
「鞄の確認を先にやろうじゃないか」
 微笑み、二人の足元にある鞄を顎で示す。小さな緑の帽子を頭に乗せているテリーは、とぼけるように帽子についた花を指先で整えた。
「別に急がなくてもいいと思うわ、シスレ」
「賭けない奴はテーブルから追い出されるだけさ。随分重そうだな」
 鞍に肘を掛け、シスレはネクタイの結び目を弄びながら言う。テリーが縦巻きの髪を弾ませ肩をすくめる。
「そりゃあ、金だもの」
 テリーの答えのすぐあと、シスレのベストから抜かれた銀のデリンジャーが、瞬く間に鞄を撃ち抜いた。穴開き桶から漏れる水のように、革鞄から四筋の砂が噴き出る。
「それはどうかな」
 行動と言葉の順序を入れ替え、シスレがにやりと笑う。テリーは四つの穴からこぼれてゆく砂としぼむ鞄を見下ろして諦めの溜息を吐き、澄ましたように背筋を伸ばした。
「すり替わってたのよ」
「いつ」
「いつだか。私がすり替えたあとよ、ダイアンに偽物を掴ませたあと」
 シスレは相槌を打つが、手袋に包まれた指先を微かにしかめた眉のあたりに添え、苦味の混じる思案顔をする。
「とにかく、鞄がなけりゃ金庫の場所も教えられない」
 シスレの反応にテリーは首を左右に振り、ぎこちない笑みを浮かべて両手の拳を胸の前で握る。
「でもシスレ、考えて? 先に金庫の中身を山分けしてから、一緒に鞄を探したほうがきっと」
 しかしテリーの言葉の途中で、なにかに気付いたシスレが素早く横後方を振り向き、それからテリーを押し倒すようにしながら身を伏せた。同時に銃声が乾いた風合いの周囲に木霊する。
 シスレは目を丸くしているテリーの手首を掴んで低い姿勢のまま立ち上がり、足を止めない状態で、鞍に取り付けられたホルスターから銀のウィンチェスターM92を抜く。そしてテリーを引っ張って高い木のほうへ走る。幹の裏側へテリーを押し込み、自らも陰に身を隠してライフルを構える。レバーを押し下げ戻して狙いをつけるが、その表情は徐々に怪訝さに覆われ、シスレは引き金を引かずに顔を上げた。シスレの視界の先、斜面の岩陰から、眩しい光が届いていた。シスレを照らすようにゆっくりと、あるいは瞳を刺すように落ち着きなくちらちらと。つまりは、長く、短く、長く、短く、その組み合わせ。
 シスレは目を細め、しばらくその光の元を睨み、足元にしゃがんで様子を窺っているテリーの、今度は二の腕を軽く掴んで立つように促した。ライフルを握ったまま、馬の傍へ連れていく。
「あまり安全じゃない、先に町へ。酒場で会おう。話は全部後回しだ」
 答えを聞く素振りも見せずに言って、シスレはテリーを馬の上へ押し上げる。尻を押されながら、テリーはちかちか光る光と同じような早さで瞬きを何度もするものの、素直に馬に乗る。
「無事でね、シスレ」
 大げさに眉を下げてテリーはそう言い、シスレが笑み混じりに頷くのを見てから、手綱を振るって馬を元来た道へ走らせた。
 シスレはテリーの後ろ姿から視線を外さずに、高い木の傍に戻った。ライフルの銃身を肩に預けて抱え、上着のポケットからシルバーの分厚いシガーケースを取り出した。蓋を開け中に一列並ぶ細い葉巻と、マッチを取り出す。マッチは木の幹で擦り、咥えた葉巻に火をつける。ケースをポケットに戻し、最初の煙を吐き出す頃に、シスレは先程の光の出所、あるいは銃声の出所に視線を移した。ひとつの人影が斜面を滑るように降りてくるのが、その後馬に跨ってこちらに歩いてくるのが見える。シスレは葉巻をふかしながらのんびりと待つ。
 栗毛の馬に乗ってシスレのもとにやって来たのはならず者ふうの年増の女だった。サルーンの二階ですれ違った女。マーロウ。
「通じるとは思わなかったよ」
 マーロウはおどけたように笑いながら馬を降りた。抱えていたライフルを握って提げながらシスレも微かに唇を薄くして笑う。
「戦争で慣れたんでね」
 答えてからシスレは葉巻を指で摘み、唇をすぼめてマーロウの顔に煙を細く吹きかける。マーロウは顎を引いて顔をしかめ、腹を立てる素振りもなく黙って苦笑する。
「私となんの話がしたいって?」
 シスレが問うと、マーロウは馬の手綱を肩に掛けて首を軽く右に傾けた。
「もちろん、あんたが奪って隠した金庫についてだよ」
「私が盗んだわけじゃない」
 シスレは涼しい顔で葉巻を咥え、コートと上着を少し後ろへ払って空いた片手をズボンのポケットの縁に預ける。
「わかってるさ。やったのはさっきの彼女だろう? 彼女が金庫と鞄を盗む段取りをして、あんたが金庫だけ預かったわけだ」
「詳しいな」
「情報集めなら戦争で慣れたんでねえ」
 マーロウの言葉にシスレは葉巻を揺らして短く笑う。たがその続きには笑みを消す。
「彼女が鞄の在り処を知らないことも知ってる」
「……なるほど。すり替えたのはお前か」
 シスレは煙を吐き出し、目の焦点を顔の前の葉巻に合わせる。マーロウは頬が引きつるほどに唇の片端を上げ、手綱を離して緩やかに歩き出した。両手はジーンズの尻に親指だけ引っ掛ける。
「彼女がパクストンから金庫と鞄を盗む段取りをつけた。マダムを歌姫が誑かしてね、いい絵だね」
 マーロウはシスレの周りを歩く。砂利を踏み締め、蹴る足音はゆっくりとしたものだ。そこに拍車の金属音が重なる。シスレは視線だけでマーロウを捉えながら無言で紫煙を燻らせる。
「金庫と鞄を馬車に載せて運び出したのは、あんた」シスレの真後ろで一旦足を止め、マーロウはシスレの背中を指差した。「適当な所で彼女と合流。彼女が鞄を、あんたが金庫を隠した。追手を撒くのに」
 シスレは首を半ば後ろに回し、眉を上げて目を細める。
「それで?」
 マーロウはまたにやりと大きく笑い、元いた位置に向かって再びシスレを中心にした円を進む。
「彼女は鞄だけじゃ取り分が足りない。あんたは鞄がなけりゃ取り分が取れない。違うかい?」
 シスレは肯定の頷きか、それとも生返事じみた中身のない相槌か、どちらともつかぬ曖昧な動きで顎を小さく上下に動かしてから、上へ向かって高く細く煙を吐き、葉巻を横へ投げ捨てる。マーロウは自分のほうへ飛んできた葉巻を飛び退くようにかわし、苦笑いをしながらシスレの真正面へ戻る。笑みはすぐにしたたかさを含むものに変わる。
「そして今や、鞄を持ってるのは彼女じゃなくてアタシってわけ」
「つまり?」
 シスレはややわざとらしく微笑んで視線をわずかに下げ、マーロウの琥珀の両目を真っ直ぐ見据える。マーロウは腰に片手をあて、右手の人差指でシスレの胸をネクタイの上からトンと突いた。
「あの女からアタシに乗り換えろってことさ、相棒」



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シスレとのゲーム...賭け金は棺桶に
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