〈83年11月同日 W-15ストリート〉

 ワルターとビレンは並んで荒れた道を歩く。もちろん舗装はされているのだが、長い間手を入れられていない道路は、普通よりも傷みが激しい。並ぶ建物は無骨なコンクリートの物が多く、軒並み古い。
 引き金通りは基本的にひとけの多い通りではない。住人たちは路地裏に潜んでいる場合が多いことも相まって、特に日の高いうちは、視界に全く人影が映らないこともいたって普通だ(もっとも、動く人間の代わりに死体が転がっていることはある)。
 それでも彼らは互いの死角を補うように警戒の眼差しを辺りに巡らせる。
 実際のところ、二人へ実行を伴う害意が向けられる可能性は、それほど高くない。引き金通りにも、この"自主的に閉じた掃き溜め"なりの秩序があるからだ。
 ここにはなにも自殺志願者が集まっているわけではない。その日その日を、生きて暮らそうとする者が大半なのだ。
 確かに、些末なことで争いを起こし、わずかな金や食料や嗜好品を奪うために戸惑いなく引き金を引く連中が溢れている。
 だが基本的に彼らが狙うのは自分よりも弱い者である。殺してしまえば、報復を恐れる必要もない者である。
 だから彼らは、まず警官や刑事は狙わない。警察組織は仲間意識が強く、必ず報復に出るからだ。逮捕はよほどよいほうで、犯罪者として射殺される可能性は非常に高い(もっともこの辺りを取り仕切る警察は、完全に腐敗しているとまではいかなくとも、賄賂が有効な警官もそれなりの数いる。そういった者たちは引き金通りにやってきても、本来の警察としての役割をまったく果たさない。ミスター・アーキンとは、そういった警官の存在に頭を悩ませる、この町の警察署の署長だった)。
 マフィアの類も、もちろん狙わない。奴らほど報復が恐ろしい連中はいない、と皆一様に思っている(今のところ、引き金通りはマフィアの支配が強い場所ではなかったが)。
 WBI事務所の人間、厳密に言えばワルター、ビレン、ビリーの三名は警官ではないし、もちろんマフィアなどでもない。
 だが彼らは――所長のワルターは警察や、国の捜査局と密接な関係がある。拳銃そのものの所持は当然のこと、実弾入りの拳銃やナイフを隠匿して常時携帯する許可すら持っている。そして彼の下にいる二人も、それに準ずる。しかも彼らは皆、訓練されたプロフェッショナルだった。
 つまりWBI事務所の人間は、引き金通りの住人にとって、目先の欲求のために襲うにはあまりにリスクが大きい存在なのである。
 この引き金通りに多少なりとも長く住んでいればWBI事務所の者たちの顔は知っていたし、顔を知らないにしてもその身なりや雰囲気から手を出すのに妥当でない人間であることは判断できる。
 だから彼らを襲う人間がいるとすれば、それはアルコールや薬物で正体を失くした者か、死にたがりとしか言えないほどに血の気の多い者か、なにか特別な動機がある者か、"あるいはなにも知らない者か"。

 ビルとビルの狭い隙間の前を通り過ぎたその瞬間。ビレンが大きく振り返り、コートをひるがえしてワルターの背後――ワルターもほぼ変わらぬタイミングで振り向いていたから、既にワルターの前になるのだが――に飛び出した。突如ビルの間から躍り出た影から、ワルターを守るために。
 懐から素早く銃を抜き、その影に突きつける。
 ビレンの構える銃口は斜め下に下がっている。その人影の構える銃口は斜め上に上がっている。
 そう、"小さい"のだ。
 その影が。銃を持つ震える小さな両手が。薄汚れた青いワンピースから伸びる脚が。ビレンによって目の前に銃口を突きつけられている頭が。
 そういった小さな全ては、本来なら銃など持つべきではない、幼い少女を形作っていた。
 少女は恐怖に音を鳴らそうとする歯を必死で食いしばり、見開いた両目で銃口を見つめる。
 ビレンはわずかに眉を寄せた険しい表情で、少女と対峙する。
 ワルターは腰のホルスターにある自分の銃に手を掛けたままで、目を細めてビレン越しに少女を観察する。
 引き金通りで銃を持ち、しかし引き金《トリガー》が引かれることはなかった。その場にいる人間の持つ銃、どれのひとつも。


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