【Chapter 18】

 北側に先行した一団は、闇に包まれたあばら屋が見え始めたところで行軍の速度を上げた。二十頭近い馬が大地を踏み鳴らす。
 そして先頭を走る三頭ほどが、突然崩れる。馬のいななきと、放り出される人間の悲鳴が響く。あとに続く者の驚きの声も。
「気をつけろ、ロープだ!」
 誰かが叫ぶが、馬を止めるのが間に合わずにまた何頭かもつれて倒れる。
 辺りに散在する木々の間に、縄が張られていた。縫うような、あるいは蜘蛛の巣のような執拗さで幾重にもだ。
「馬は駄目だ!」
 声が複数重なって上がり、皆馬を降り始める。しかし縄は人間の膝の高さで、ときには交差しながら十フィート(三メートル)に渡って張り巡らされていて、一本二本を乗り越えれば済むものではなかった。おまけに今は荒野の夜だ。
 また別の鋭い悲鳴が上がる。女が一人うずくまるところへ、男が走り寄る。目を凝らして見下ろすと、女は錆びたトラバサミに足を食われていた。
「罠だぞ!」
 男が周囲に向け、焦った声で叫ぶ。
「下手に動くなよ!」
 別の女が腕を横に振るいながら怒鳴る。
 次の瞬間、男が首を急に折り曲げ、女は背を仰け反らせて倒れる。それぞれの身体は張られた縄に受け止められて揺れる。
 ナイフを取り出して縄を切り始める者もいたが、それもすぐに上方から狙撃される。
 縄を支える木々の上では、パウラの手下たちが銃やライフルを構えていた。
 ゲールの部下たちもその場で武器を構え、木の上に向かって発砲し始める。
 潰し合いが始まる。


 東に向かうゲールたちに、遠くから異変の空気が届く。それは明らかに混乱を伝える音と叫び、そして銃声だ。
「気を抜くなと言ったはずだ、馬鹿どもが!」
「駄目だ、こっちも止まれ!」
 ゲールが苛立った様子で手綱を引きながら髪を振り乱して怒鳴り、キャットも馬を止めて先を行く集団に声を張り上げる。ゲールを始めに皆素早く馬から降りる。手下たちは各々銃を構え周囲を窺うが、まだ人影は見えない。キャットは手下を掻き分け前方へ駆け出る。
 キャットの目の前にも、交差して張り巡らされる縄が広がっていた。こちらの奥行きは五フィート(一メートル半)ほどだ。しかし縄の隙間を狙って置かれたトラバサミも見える。
「やっぱりだ、片方で済むわけねえ」
 キャットに続いて前に出たゲールが重く言った。
「知ってたのか?」
 腹に氷の杭を打ち込むようなゲールの問いに、キャットはぎこちなく首を左右に振る。
「あたしにも、どういうことか解らない……本当だよ」
 ゲールはそれになにも答えず、手下たちに縄を切るよう指示を飛ばす。彼らはナイフを抜き、ノコギリのように引きながら張られた縄の切断を始める。
 キャットはゲールがなにか言い出す前、あるいは行動を起こす前に、上を向いて周囲を見回す。横に長く伸びた太い木の枝に目をつける。数歩後退し、それから助走をつけて跳び、その枝に両手でぶら下がる。ゲールは鋭く振り仰いだが、銃を向けることはしなかった。
「失敗したぶん、取り返してくるさ。話はそれからでいいだろ」
 ゲールを見下ろして、キャットは少し引きつりながらもにやりと笑った。身体を前後に大きく何度かスイングさせ、そのまま逆上がりをして枝の上に乗る。すぐさま再び跳躍し、前方にあるもう一段高い枝に手を掛けながら、あばら屋の屋根まで一気に飛び移った。両手を払うように打ち合わせ、一度ゲールたちを振り返り、そして軽い身のこなしで屋根の上を渡ってゆく。
 キャットの姿がゲールたちの視界から消える前、唐突に銃声がして、手下の一人が腕を押さえた。
 罠のロープのすぐ向こうにある小さな小屋の影から、パウラの手下が銃を片手に顔を覗かせていた。それと同期するように、ゲール一団の背後に近い木陰からも弾丸が飛ぶ。何人かが縄を切る作業を中断し応戦する。
「とっとと切れ! とっとと殺せ!」
 離れた二つの空間で銃声がけたたましく響き始める中、ゲールも銃を抜いて小屋の一人を撃ち殺しながら叫ぶ。


 キャットは身を低くして屋根の上を伝い走り、あばら屋の裏側に飛び降りた。しかし降りた瞬間からその表情を緊張させ、ゆっくりと背筋を伸ばしながら視線を後ろに向ける。
 あばら屋の壁にもたれ、キャットの背に銃を突きつけていたのはレダーナだった。咥えた紙巻煙草の先が小さく赤い。
 レダーナはキャットの顔を見ると微笑み、右手に構えたコルトをホルスターに戻す。左手にはリボルビング・ライフルを提げていた。
「心配するな、私ひとりだ。首尾はどうだ」
「どうだもこうだもあるか!」
 キャットはくるりとレダーナのほうへ向き直ると、声を潜めながらも強い調子で迫った。親指と人差し指で半円を作って自分の首に添える仕草をする。
「首吊り縄に首を突っ込んでる気分だ、あの女はなんなんだ?」
「どれだ、全部女だ。ランプを持ってた?」
「そうだ。待ち伏せしてるだなんてばらしやがった!」
 レダーナは平然と少し視線を下げ、煙草の根元を指先で挟んで煙を細く吐き出す。
「私も、なにもかも段取りをつけられるわけじゃない」
「おまけに北には罠がないなんて……それで御覧の有様だ。ゲールの機嫌は最悪さ」
「仕方ない、こっちにも色々あった。パウラの機嫌も最悪だ」
 灰を燻らせる煙草の先を見つめて、レダーナは続ける。
「しかし状況は悪くないと思うが? 十人以上は減らせたろう」 
 キャットは片手で顔の縦半分を押さえ、苦虫を噛み潰したような面で首を振る。
「バレたらヤバいって言ってる」
「バレたらヤバいのはお互い様だ」
 顔の横で煙草を揺らしながら、パウラの部下を五人殺しているレダーナがしたたかに笑う。キャットはそのレダーナの胸を拳で強く叩く。
「あんたはもう乗り切っただろうが、あたしはこれからなんだぞ!」
 レダーナは少し顔をしかめ、煙草を咥え直してから胸元をさする。そして気のない様子で言う。
「話はことが全部終わってから付き合うさ」
 途端、キャットの両目が鋭くなる。空気の変化を察してか、レダーナも身体の前のホルスターに収まるキャバルリーに再び手をかける。
 だが紫銀のコルトがホルスターから抜け出る前に、レダーナの動きは止まる。その視界には、既に自分のほうへ向けられた銃口が映る。
 暗闇の中でキャットが笑い、構えた銃を顔の横に掲げる。早撃ちに向く短いS.A.A.。レダーナが彼女に買い与えようとした銃だった。
 レダーナは暗いブラウンの瞳を、キャットの顔とその銃との間でゆっくり一度往復させ、それから銃に固定した。照星を削るように言った、銃身4.75インチであったはずのそれは、しかし銃身そのものが長さ3.5インチまで切り詰められていた。
「あんたの言う通りだ」
 キャットは顔の横でくるくると銃を二回転させる。
「確かにこんだけ短くすりゃ早い。でもわかった」
 腰まで下ろしながらの三回転目。その終わりと共に銃をホルスターに戻す。そしてコートに隠れた背中から、もう一挺の銃を取り出す。彼女が本来持っていた、銃身5.5インチのコルト・アーティラリー。
「こいつを使ってもあんたよりあたしのほうが早いぜ」
 黄金フレームのそのコルトをレダーナの胸に突きつけながら、キャットが不敵に唇の片端を上げる。レダーナは少し顎を上げてキャットを見下ろし、抜きかけの紫銀のコルトから手を離す。銃はホルスターに落ちるように戻る。
「あんたと銃を交換したっていい。抜くところから試してみるか?」
 キャットが表情をそのままに挑発する。レダーナも軽く口角を上げ、笑みを向け合う睨み合いが少し続く。
 一呼吸の間のあと、先に動いたのはレダーナだった。足を踏み出し壁から身を起こして、ライフルを構えながら右を向く。
 キャットはわずかに遅れて、半歩足を後ろへ下げながらコルトを自分の右へ向ける。
 キャットの肩の上から、レダーナの脇の下から、反対の方向へ向けて異なる銃口がほぼ同時に火を噴く。
 ふたつの方向で、人間が倒れ伏す音がする。キャットが片付けたのはメキシカンハット、レダーナが片付けたのはカウボーイハット。
「決闘なんぞしてる間に、二人とも背中からやられる」
 両手で構えたままのライフルを下げ、レダーナが皮肉に笑む。キャットも銃を下ろして苦笑しながら肩をすくめる。
「わかってる。思い知らせてやりたかっただけだよ。あんたに、ちょっとだけね」
 キャットのその言葉にレダーナは鼻を鳴らして笑うと、片手にライフルを提げ直し、帽子の位置を整える。
「ひとまずこの場を乗り切れ。残りはパウラだ」
「そう、そうだ。せめてパウラは片付けなきゃ、あたしは終わりだな」
「まだ終わらないよう上手くやってくれ。パウラはたぶん、向こうの小屋だ」
 レダーナがそう言って指差す方向を眺め、キャットは二、三度頷く。そしてレダーナに軽く片手を上げてから、身を低くし、足音を忍ばせながら走り出す。
 レダーナはその場に留まり、短くなった煙草を足元に放って踏み消した。



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夕陽の決斗/黄金ガンマン
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