〈83年11月 W-14ストリート・WBI事務所〉

 西の十四番街は雑多な建物の連なる通りだ。アパートメントも、雑貨店も、オフィスも、飲食店もある。活気に満ちているわけではなく、寂れているわけでもなく、治安は良くも悪くもない。建築物は時折高いオフィスビルがあるが、全体的に低く統一されている。
 目立たない、ありふれた地区だ。
 そんな通りのなかほどに、三階建てのレンガ造りの建物がある。入り口のガラス扉の横、目立たせようという意図が感じられないほど控えめな金属のプレートに、繊細な文字が刻印されている。
 Walter Barnes Investigation Office――ワルター=バーンズ調査事務所。


 入り口扉を開けてすぐの部屋も、諸手を広げて来客を歓迎する様子ではなかった。扉の脇に電話機の置かれたデスクがあるが、そこにいて然るべき受付の人間はいない。いや、実際にはそこにひとが座ることもあるのだが、少なくとも今は空席だった。
 その小部屋にある扉をくぐった先に、ようやく人間が二人いる。どちらも男だ。
 ひとりはまだ若い、二十代半ばほどの青年で、壁に並ぶ棚からファイルを取り出しては中を確認する仕事をしている。背丈はきっかりちょうど六フィート(百八十三センチメートル)、黒髪の白人だ。目鼻立ちは随分と整っているが、手放しにハンサムと褒めてしまうには、いささか雰囲気が冷たい。ファイルの戻し方などにも少し神経質さが感じられる。しかしそれが生真面目でいかにも有能そうな雰囲気を生んでいることも確かだった。
 もうひとりはがっしりした体格の逞しい中年男だ。まだ白いものは見えない濃い茶の髪を後ろへ撫で付け、ダークブラウンの三つ揃えのスーツに身を包んでいる。肌の色は色素の薄い黒人にも見えるが、顔立ちから判断して白人の血が混じっていることは間違いない。部屋の奥中央にある重厚なデスクの前で、黒い大きな椅子にもたれて難しい顔をしている。
 座っている場所と、年齢、そして誰もが持てるものではないもの。つまりは彼の醸し出す威厳が、彼がこの事務所の主であることを示していた。
 ワルター=バーンズ。
 青年のほうは、ビレン=ガートランといった。
「ビレン」
「はい」
「ビリーはどうしたんだったかね」
「地下でトレーニングを」
「どのくらい?」
 その問いでビレンはようやく作業の手を休め、わずかに考える間を置きながらワルターのほうを振り向く。
「たしか、三時間にはなると思いますが」
「なら切り上げさせても構わんな。留守番に上がってきてもらおう」
 そう言ってワルターは机の上の受話器を取り上げ、内線のボタンを押した。コールの音がビレンの耳にも微かに届く。
「私はなにを?」
 ビレンは手にしていたファイルを棚へ押し込め、そう尋ねながら扉近くのコート掛けに向かった。ビリーに留守を頼むと言う以上、自分も外出する必要があると察したからだ。
「私と一緒に来てくれ」
 ワルターが手短に答えた後、少し長い呼び出し音が途切れて受話器の向こうで返答の声がする。やはり青年の声だ。少し呼吸が荒いのは、トレーニングを中断したせいだろう。
「ハロー、ビリー。精が出るがそろそろ休憩だ。上でセルフサービスのコーヒーでも味わっていてくれ。ついでに溜まっている書類仕事も片付けてくれるとありがたいがね」
『お気遣い嬉しいですよ、所長。身体の疲れが頭に回って、数字を一桁間違えても構わないなら頑張りますがね。シャワーを浴びる時間は?』
「疲れはコーヒーに砂糖をたっぷり入れてやっつけてくれたまえ。シャワーくらいなら問題ない。ゆっくり……とは言わないが、済ませてからで構わんよ」
『了解。十分でそっちへ行きますよ』
 冷ややかで淡々としたビレンのそれとは違い、どこか笑みの乗ったような、それでいてシニカルな声は、そう言って通話を切った。ワルターも静かに受話器を置く。
「十分で上がってくるそうだ」
「身支度を考えればそんなものでしょうね。どちらへ?」
 告げるワルターのもとへ、自分のコートを片手に掴んだビレンが近づく。十分という時間を聞いて、ワルターの分を持ってくるのはやめたのだ。どこへ向かうにしてもワルター自身の準備はこの部屋の中でこと足りるから、わざわざ椅子から立ち上がってコートを着込み時間を持て余すなら、出て行くときに着るのが合理的だ。
「"引き金通り"だよ」
「なるほど、では私も"身支度"を。七分で戻ります」
 ワルターの答えにビレンは少し眉を上げて、それから頷く。壁の時計に視線を向けて言うと、そのまま奥に繋がる扉の向こうへ消えた。
 ワルターは部下たちを待つ間、椅子に身を沈め、両手を腹の上で組んで目を伏せていた。


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