〈85年5月同日 W-14ストリート・WBI事務所・オフィス〉

 ビレンは相変わらず画面を見続け、ビリーが彼の座る椅子の背もたれに手をついたままコーヒーをすすっていると、所長室に繋がる扉が開いた。
 ファイルを持って現れた姿は白人の女のそれだ。先ほどから所長室より漏れ聞こえていた声の主である。
「よう、どうだって?」
 ビリーがカップから口を離し、彼女に声をかける。事務方として週に数日やってくるリサ=ロイドだった。
「それがなかなかなのよ。聞いてちょうだい」
 リサはウインクをしながら指を鳴らし、二人のもとへやってくる。
 彼女は三十代半ばごろの女で、肩より上の赤茶けた金髪はたっぷりとボリュームがあり、ウェーブしている。際立った美女ではなかったが、顔立ちというよりも、持つ空気そのものがとにかく明るく華やかだった。少し化粧の濃いきらいがあるものの、それも彼女の雰囲気から見ればそう不似合いなものでもない。
 ビレンは背もたれにもたれようとし、ビリーの手がまだそこにあることに気づいて、眉を寄せながら邪魔だというように顎を動かす。ビリーはとがめに肩をすくめて手を退けた。
「所長のところにミスター・アーキンから入ってきた情報ね。あたしも今、目撃者だっていう警官に直接電話で話を聞いたわ」
 リサはすましたような表情を作ってから、おもむろにファイルを広げた。
「西の十五番街、通称引き金通り。近年にわかに目立ち始め、それでいて明確に把握できていない東洋人たちの存在について。とあるアパートメント付近にて、東洋人を確認」
「何人だ」
 ビレンが眼鏡をはずし、キーボードの横に置きながら問う。
「おそらくひとり」
「ひとり? 頼りないな」
「まぁね。でも聞いて。性別は女。年齢は十歳くらい」
「なんだって?」
 リサの言葉に、ビレンは眉を寄せた。ビリーもその両目を細くする。
「東洋人って幼く見えるしさっぱりわからないとも言ってたから、いくつか上乗せはできそうね。でも子供よ、つまり。ヴァティと同じくらいのね」
 ヴァティというのは、リサの使うヴァレアの愛称だ。彼女はヴァレアをヴァティと呼び、リードをリーと呼ぶ。
「それがひとりでいたってのか? "また"?」
「ヴァティと同じような境遇なのかはわからないわ。その少女は落ち着き払って見えたし、警官に声を掛けられるとあっという間に逃げた」
「警官がガキに逃げられた……つまり向こうは既に土地勘もある」
 ビリーが空になったカップを持った片手を下げて言った。
「そう。そしてこれが黒人や白人ならそれほど不思議じゃないわ」
 人差し指を立てるリサに、ビレンが言葉を繋げる。
「それならただのストリートチルドレンとして理解できる。この一帯は白人と黒人がほとんどだからな。だが東洋人はまずいない。その子供がひとりで引き金通りに紛れ込むのは不自然だ。ということは、その子供に関係する大人がいる」
「そのとおり。もしくは集団の子供たち。あるいは――リーやヴァティのように、既に大人の存在が欠けてしまった子なのかもしれないけど」
 リサは開いたままのファイルを一度胸に抱き、少し悲しげな表情をした。リサは子供という存在を非常に愛し、彼らが苦しむことをとても悲しむ人間だった。
「でもね、その子は結構身奇麗に見えたって言うわ。あの通りでなんの後ろ盾もない子供がひとり、最低限必要な食べ物や住処以外をどうこうできるとも思えない」
「どっちにしろ、そのガキとのコンタクト次第で、なんらかの取っ掛かりになる可能性は高いってことか」
「そうね。場合によっては保護も考えないといけないし。そういうことで、二人にちょっと様子を見に行ってきて欲しいってお達しよ」
「わかった」
 ビレンはそう答え、プロンプト画面になったことを確認するとパソコンの電源を切って席を立つ。
「場所は?」
 ビリーもカップを隅の小さな流しへ運びながら尋ねる。
 リサはその問いに、おどけるような、それでいて含むものがあるような微妙な表情の中で力なく笑い、ファイルの文字の上を指で叩いた。
「多分、偶然だと思うのよ。でも……。ヴァティは部屋にいるわよね? あるいは、あの子も連れて行ったほうがいいかもしれない。もしかしたら、なにか得るものがあるかも」
「どういうことだ?」
 リサの口ぶりに、ビレンが軽く眉を寄せる。
「その『とあるアパートメント』っていうの。あの子たちが居た、あのアパートメントなのよ」
 ビレンとビリーはそれぞれに動きを止め、互いに顔を見合わせた。


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