〈89年12月 W-14ストリート〉

 十四番街には、すっかり冬の空気が降りている。ビレンはこの月の騒々しさを忌々しく思っていたが、この寒さは嫌いではなかった。革の手袋を軋ませてコートの襟を正しながら、事務所の建物の裏口から通りへ出る。目的地はそう遠くないので歩くことにした。歩道を少し行くと、前方のバス停にバスが止まる。何気なく視線を向けて、下車をするまばらな人影の中に知った姿を見つけた。
「あ、ビレン!」
 バスから降りたヴァレアは、ビレンが声を掛けるよりも先に気付いて、彼の元へ駆け寄ってくる。
「やぁ、お疲れ様。どうだった?」
 ビレンも路肩で足を止め、ヴァレアが傍まで来るのを待って尋ねる。ヴァレアは運転免許を取得するための筆記試験を受けに行っていたのだ(彼らの住む州では十六歳から取得でき、ヴァレアがその誕生日を迎えて半年ほどになる)。
「合格したわ」
「それはおめでとう」
「ありがとう。緊張しちゃった。運転教えてくれる?」
「ああ、構わない」
「ありがとう! あ、それでね、実技試験のときも、ビレンの車で……」
 照れた笑顔で喜びを表していたヴァレアが、そこまで言ってから気付いたように表情を困惑に変える。ビレンの車は八月の一件で結局買い換える羽目になり、まだ新車の態が濃い。ビレンもそのことを改めて思い出して、少し思案の色を浮かべた。
「あぁ……そうだな、どうするかな。少し不安があるね」
「やっぱり駄目よね、ビリーは貸してくれるかしら?」
「借りるべきだね。あいつだってなにかあると私の車を使うんだ。キーをひったくられたことなんて何度もある。車体を擦るくらいしてやればいい」
「もう」
 ビリーに対する憎まれ口を、ヴァレアはおかしそうに笑ってたしなめる。
「でもそうね、ビリーに借りるわ。新しい車だと、余計に緊張しちゃう」
「そのかわり、運転の指導も、試験の付き添いも私がやろう」
「いいの?」
「あいつの運転は乱暴だ。君にまでそれが伝染しちゃかなわない」
 その言葉にヴァレアは小さく笑い声を上げて、それから気付いたように首を傾げた。
「ビレンは、今からどこか行くの?」
「私の小切手帳が切れたんでね。銀行に」
「私も一緒に行っていい?」
 ビレンはわずかに視線をヴァレアからはずし、即答を一瞬ためらった。
「あ、だ、駄目ならいいの、別に用事があるわけじゃないし」
「……いや、いいんだ。行こう」
 慌てるヴァレアに対して、ビレンは微かな苦笑交じりに首を振り、再び道を歩き出した。


〈89年12月同日 W-14ストリート・銀行〉

 事務所から北へ十五分ほど歩くと、外壁が少しくすんでしまった小さな銀行がある。
「私、まだ小切手がちょっと苦手なのよね」
 ビレンの後をついて入り口の階段を上りながらヴァレアが漏らした。この国では、小切手がなければ様々な支払いに不便するシステムになっているから、ヴァレアも既に口座もカードも小切手帳も持っている。
「じきに慣れる。すぐ済む、待っていてくれ」
 ドアをくぐり、ビレンは振り向いて言う。ヴァレアは頷き、入り口脇の壁際に移動する。それを見届けてから、窓口に向かった。
 応対に出たのは、長く鮮やかなプラチナブロンドの女だった。ビレンの懸念通りに。きつい面差しの、しかし美しい女だ。そしてビレンに対し、あからさまに険しい表情を見せる女。この表情に出会うのは、もう何度目かわからない。とび色の瞳がビレンを睨む。
「小切手帳を」
 ビレンは目を伏せ気味にしながらも構わず言った。別段、心は動かないのだ。目の前の女が向けてくるような、おそらくは悲しみの混じった憎悪も、ビレンの中にはなかった。
 愛想など互いに欠片も示さないやりとりの最中、ビレンは女の刺すような眼差しが自分を通り越してヴァレアに注がれることも感じ、それに彼女は気付いただろうかと思った。


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