〈91年6月 W-14ストリート・ホテル一室〉

 ビレンがシャワーから出たとき、ヴァレアはベッドに腰掛けて半ば身体を横たえていた。そっと近づいて覗き込むと、彼女は顔をあげる。眠っていたわけではないようだった。
「ヴァレア」
 しかし身体を起こす様子にはやはり疲労が見て取れたので、ビレンは彼女の肩を抱きながら隣に腰を下ろした。
「君は疲れている。眠ったほうがいい」
「大丈夫よ、少しだけなの。平気」
 ヴァレアは顔の半分を片手で覆い、首を振った。
「すぐに眠ってしまうより、ビレンといたいわ。そのほうが落ち着く種類の疲れだから」
 ビレンはそうかと相槌を打ち、ヴァレアの少し湿った柔らかな黒髪を撫で、その身体をさらに抱き寄せる。ヴァレアはビレンの肩に頭を預けて目を伏せた。
 ここは十四番街にあるビジネスホテルの一室だ。彼らは事務所で暮らしていたから、恋人としての親密な時間はこうしてホテルなどで過ごす。WBI事務所という場所は、そこに住まう全員(つまりビレンとヴァレアと、そしてビリーだ)にとって大切な家《ホーム》であったが、同時に所員としてのアイデンティティが最優先される場所でもあった。だから誰に言われずとも、ビレンもヴァレアも、極めて私的な関係を事務所に持ち込みすぎることはしなかった(もちろん事務所でもともに過ごす時間は増えたし、交わす会話の色合いも今の関係以前のものとは異なっているのだが)。
「本当に、疲れることね」
 ビレンの腕の中でヴァレアが呟く。ビレンは口を閉ざしたまま、首のタオルを片手で取り、濡れた自分の髪を拭いた。
 ヴァレアは今でも、両親を探している。毎日とはいかないが、それでも折を見てはその目的のために引き金通りに出向いていた。ヴァレアが銃を取る決意をした理由のひとつは自分の足で求めるものを探すためで、彼女は実際その能力を身に付けた。
 だが、ヴァレアはなにも得られなかった。もともと情報の得にくい引き金通りで、写真の一枚もなく、何年も前に姿を消した人間を探したところで、なにかが見つかるほうが奇跡に近いのだ。今日もヴァレアはそんな徒労を味わったばかりだった。
「疲れる」
 悲しみを滲ませ、ヴァレアは繰り返した。見つからない大切な存在を探し続けることは、精神を激しく消耗する。ビレンにそんな経験はなかったが、ヴァレアを間近に見ることで多少なりそれを感じていた。ヴァレアはあまりそれを表に出さなかったし、引きずる様子も見せないものの、時折はこうして落胆と疲労を隠しきれないこともあるのだった。
「あまり、無理をしないことだ。仕事にも支障が出る」
 ビレンは相変わらず慰めの類いなど苦手だったので、いつもそういった言葉しか掛けられない。それでも不思議とヴァレアとはかみ合う。最優先すべき事柄――つまりはワルター=バーンズのために働くということ――を同じくする人間同士だからだろう。加えてヴァレアはわりあいおおらかで穏やかな気質だったので、ビレンの言動にぴりぴりとした反応を見せることも滅多になかった(もっとも、ビレンと親しく付き合うような人間はだいたい皆そうだ)。事実今も顔をあげて、力ないながらも微笑をみせた。
「そうね。ごめんなさい」
「いや」
「きっとね、ずっとましなのよ。自分の目で、耳で、足でなにも探せずに、ただ結果を待っているだけよりは。……ううん、本当は、自分ではなにもできなければ、それを理由にして諦めてしまうこともできるって、そう思うこともあるの。探して探して、見つからなくて、私はなんのためになにをしているのか、わからなくなることも、本当はあるの。でも」
 ヴァレアは言葉を切り、少し考えるような間を置いて、結局首を左右に振った。
「これももう、仕事みたいなものね」
 おそらくは本来口にしようとした内容と異なるであろう言葉を、ジョークめいた様子で言う。ビレンはそんなヴァレアの頭を抱き、額に軽く口付けをした。
「……私にできることなら、いくらでも手伝おう」
「……ありがとう」
 ヴァレアもビレンの膝に手を置き、口元には笑みを浮かべたまま、強く目を閉じた。
「私には人生の目的がある。ビレンもいる。兄さんも、ビリーも、リサも、みんな……だから幸せだと思っているわ。本当に」
 ヴァレアの両腕が、ゆっくりとした動きでビレンの首に回された。ビレンもそのまま彼女の身体を抱き返す。
「でも私、動物を飼うことってもう一生しないかもしれないわ」
 ビレンの肩に頬を押し当て、ヴァレアが少し軽い声で言った。
「だって、もし逃げ出したりしていなくなったらどうしたらいいの? また必死の思いで、よれよれになりながら探し回らなくちゃいけない。そんなの、お父さんとお母さんのことだけで充分よ」
 ヴァレアの脇腹に片手を差し入れ、滑らかなウエストの曲線を手のひらで撫でながら、ビレンは苦笑する。
 それは苦いジョークでしかなかった。二人とも、実際そのつもりだった。


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